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エスクデロ競飛王

日本のサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

エスクデロ 競飛王(エスクデロ せるひお、1988年9月1日 - )は、スペイン・アンダルシア州グラナダ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。スペイン国籍およびアルゼンチン国籍を保有する。

本名 エスクデロ競飛王
エスクデロ・アリエル・セルヒオ
愛称 セル
ラテン文字 Escudero Sergio
Sergio Ariel Escudero
概要 エスクデロ 競飛王, 名前 ...
エスクデロ 競飛王
名前
本名 エスクデロ競飛王
エスクデロ・アリエル・セルヒオ
愛称 セル
ラテン文字 Escudero Sergio
Sergio Ariel Escudero
基本情報
国籍 日本の旗 日本
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1988-09-01) 1988年9月1日(38歳)
出身地 スペインの旗 スペイン グラナダ[1]
身長 171cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 EDO ALL UNITED
ポジション FW / MF (OH, SH)
利き足 右足[1]
ユース
1996-2000 アルゼンチンの旗 CAベレス・サルスフィエルド
2001-2002 日本の旗 柏レイソル青梅ジュニアユース
日本の旗 浦和レッズジュニアユース
2004-2005 日本の旗 浦和レッズユース
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
2005-2012 日本の旗 浦和レッズ 81 (7)
2012 →大韓民国の旗 FCソウル (loan) 20 (4)
2013-2015 大韓民国の旗 FCソウル 66 (10)
2015 中華人民共和国の旗 江蘇国信舜天 29 (6)
2016-2019 日本の旗 京都サンガF.C. 86 (5)
2018 →大韓民国の旗 蔚山現代FC (loan) 14 (3)
2020-2021 日本の旗 栃木SC 30 (0)
2021-2022 タイ王国の旗 チエンマイ・ユナイテッドFC 22 (0)
2022-2023 エルサルバドルの旗 CDアトレティコ・マルテ 19 (1)
2023 オーストラリアの旗 バンユール・シティSC
2024-2025 オーストラリアの旗 ノース・ジーロング・ウォリアーズFC
2025- 日本の旗 EDO ALL UNITED
通算 367 (36)
代表歴2
2008  日本 U-23 5 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年5月10日現在。
2. 2014年9月21日現在。
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スペインおよびアルゼンチンでの氏名はセルヒオ・アリエル・エスクデロ(スペイン語: Sergio Ariel Escuder)。日本国籍取得後は姓を先に置いた「エスクデロ・セルヒオ」の登録名でプレーしていたが、2014年より漢字を用いた「エスクデロ競飛王」を使用している。

Kリーグ時代の登録名はエスクデロ(ハングル: 에스쿠데로)[2]。

来歴

父親のセルヒオ・エスクデロが浦和レッズでプレーし、引退後にも浦和下部組織の育成に携わったことから、3歳から8歳までを日本で過ごす。その後アルゼンチンへと帰国したが、2000年に再度来日。以後柏レイソル青梅を経て、ジュニアユース、ユースと浦和の下部組織に所属。

2005年4月29日、16歳7ヶ月で浦和のトップチームに登録[3]。同年5月21日のナビスコカップ第3節、対アルビレックス新潟戦において16歳8ヶ月21日でJリーグ公式戦デビュー。9月8日、浦和とプロ契約を締結した[4]。埼玉県の埼玉栄高校(父が同校サッカー部を指導)に在学していたが、浦和入団と同時に退学[5]。

2006年3月29日のナビスコ杯・FC東京戦でJリーグ初ゴール[5]。2007年6月11日に日本国籍を取得[1]。2008年5月15日にフランスで行われたトゥーロン国際大会に向けたU-23日本代表に初選出された。

2009年にフォルカー・フィンケが監督に就任すると、途中出場やスタメンとして出場を重ねるようになり、5月5日の柏レイソル戦でJ1リーグ戦初ゴールを挙げた。 その後は度々負傷で離脱することもあったが、最終的には浦和加入後最多となる公式戦30試合に出場した。

2010年3月6日の開幕戦(鹿島アントラーズ戦)でスタメン出場を果たしたが、その後は度重なる負傷に悩まされ、復帰しては再発と離脱を繰り返し、前年より出場試合数は減ってしまった。ただし、8月21日の湘南ベルマーレ戦、9月25日のアルビレックス新潟戦では追加点、11月27日の川崎フロンターレ戦では試合終盤に同点ゴールを決めた。

2011年は終盤戦まで出場機会に恵まれなかったが、監督が堀孝史に交代後は1トップのFWとして定着。高い身体能力を生かしたプレーで前線の起点になっていたが、11月26日のアビスパ福岡戦の前半に相手GKと接触した際に負傷し途中交代、左半膜様筋損傷と診断され[6]、以降全ての公式戦を欠場した。

2012年は途中交代でリーグ戦1試合に出場するに留まった。同年7月17日、Kリーグ・FCソウルへ期限付き移籍が発表された。移籍後はスタメンを勝ち取り、主力として2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。同チームに所属する日本国籍の選手は、前園真聖(当時のチーム名は安養LGチーターズ)以来2人目となる。シーズン終了後の同年12月にFCソウルに完全移籍した。

2013年は背番号を9に変更し、2012年に引き続き主力としてプレー。一時は調子を落としたが監督の崔龍洙からのアドバイスから建て直し、チームの初AFCアジアチャンピオンズリーグ決勝進出に貢献した。決勝では、自身初出場し(浦和レッズ在籍時にチームは決勝に出場したが、ベンチ外だった)1stレグで先制点をあげ、その後逆転を許したがデヤン・ダミヤノヴィッチのゴールをアシストし同点に追いついた。2ndレグでも再びダミヤノヴィッチのゴールをアシストし同点に追いついたが、アウェーゴールの差で優勝は逃した。

2015年2月に中国サッカー・スーパーリーグの江蘇国信舜天足球倶楽部へ移籍[7]。同年は主力として活躍したが、翌年オフに江蘇が行なった大補強の影響を受けて外国人枠から外され、2016年の2月13日に契約解除となった。同年2月24日、京都サンガF.C.へ加入[1]。

2018年7月6日、期限付き移籍により蔚山現代FCへ加入すると発表された[8]。

2020年、栃木SCへ完全移籍[9]。

2021年4月25日、日本サッカー協会選手契約書内第9条1(5)にある「クラブの秩序風紀を乱す行為」があったとして、4月22日付で契約を解除したと発表された[10]。同年5月24日、タイ・リーグ1に昇格したチエンマイ・ユナイテッドFCがエスクデロの加入を発表した[11]。

2022年6月にチエンマイ・ユナイテッドFCを退団[12]。同年9月、エルサルバドル・プリメーラ・ディビシオンのCDアトレティコ・マルテ(スペイン語版)へ移籍した[12]。

2023年5月、オーストラリア・ビクトリア州リーグ1部(英語版)のバンユール・シティSC(英語版)に加入した[13]。

2025年8月20日、EDO ALL UNITEDに加入した[14]。

人物

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2005浦和34J150200070
200610310041
20071510000010
20081301021161
20092337100304
20101733021224
20112016100262
20121000-10
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2012ソウル26K/Kクラシック204--204
20139344-30374
2014326-51377
中国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2015江蘇国信舜天11中国超級296-50346
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2016京都10J2385-21406
2017210-10220
2018150-00150
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2018蔚山9K1143-41184
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2019京都39J2120-10130
2020栃木9300--300
202100--00
通算日本J1 8172234210712
日本J2 1165-411206
韓国K/Kクラシック 10017-12211219
中国中国超級 296-50346
総通算 3263522325537343
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その他の公式戦

さらに見る 国際大会個人成績, 年度 ...
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2008浦和1510
2013ソウル9122
2014112
通算AFC 244
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その他の国際公式戦

代表歴

出場大会

タイトル

クラブ

浦和レッズ
FCソウル

脚注

関連項目

外部リンク

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