エドゥアルド・ゴンザウヴェス・デ・オリヴェイラ

From Wikipedia, the free encyclopedia

本名 エドゥアルド・ゴンサウヴェス・デ・オリヴェイラ
愛称 エドゥー、北埃神[注 1]
ラテン文字 Edú
エドゥー
シャルケ04所属時 (2011年)
名前
本名 エドゥアルド・ゴンサウヴェス・デ・オリヴェイラ
愛称 エドゥー、北埃神[注 1]
ラテン文字 Edú
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1981-11-30) 1981年11月30日(43歳)
出身地 サンパウロ州サンパウロ
身長 184cm[3]
体重 80kg[3]
選手情報
ポジション FW
利き足 左足[4]
ユース
1996–1999 ブラジルの旗 グアラニ
2000 ブラジルの旗 サントス
2001 ブラジルの旗 サンパウロ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002 ブラジルの旗 ナウチコ
2002–2003 ブラジルの旗 CRAC
2003–2006 ドイツの旗 ボーフム 63 (16)
2006–2007 ドイツの旗 マインツ 14 (1)
2007–2009 大韓民国の旗 水原三星 70 (25)
2010–2013 ドイツの旗 シャルケ 43 (5)
2011–2012 トルコの旗 ベシクタシュ (loan) 21 (3)
2012 ドイツの旗グロイター・フュルト (loan) 10 (1)
2013 中華人民共和国の旗 遼寧宏運 23 (14)
2014 日本の旗 FC東京 30 (11)
2015 大韓民国の旗全北現代 20 (11)
2015 中華人民共和国の旗 河北華夏幸福 15 (12)
2016-2017 大韓民国の旗全北現代 11 (1)
通算 320 (100)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エドゥアルド・ゴンサウヴェス・デ・オリヴェイラ(Eduardo Gonçalves de Oliveira "Edú", 1981年11月30日 - )は、ブラジルサンパウロ州サンパウロ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)

KリーグJリーグ時代の登録名はエドゥーハングル: 에두)[5][6]

クラブ

15歳の時にグアラニFCの下部組織に加入[7]。この頃から、選手層が薄く試合に出られそうという理由で左サイドバック(SB)でプレーするようになる。自身曰く「ACミランセルジーニョのような」攻撃的SBだった[7]。その後サンパウロFC在籍時にネルシーニョによってトップチームへと引き上げられたが出場機会を得られず、ナウチコへ移籍しムリシ・ラマーリョの下でプロデビューを果たした[7]

2003年に渡欧。ブンデスリーガ(ドイツ1部リーグ)VfLボーフムのテストを受けて高評価を掴み、5年契約を締結した[7]。クラブは2005年2部降格を喫したが、チームメートの不調の影響によって自身の好きなポジションでもあるFWに配されると[7]チーム得点王となる活躍で1部昇格に貢献した。しかしその後は出場機会を得られず、2006年夏に同国1部1.FSVマインツ05へ移籍。再びSBに戻されるなど[8]本領を発揮できずに終わった。当時のチームメートには車ドゥリがいた。

車の紹介もあって[9]2007年1月、車の父・車範根が監督を務めるKリーグ(韓国1部リーグ)水原三星ブルーウィングスに移籍。フィットするまでにはやや時間を要したが[8]、翌2008年は攻撃の要としてチームを牽引[10]。鋭い突破と競り合いの強さ[9]、正確な左足のシュートを武器に[11] 16得点7アシストを記録[12][8]。リーグ優勝を達成し、ベストイレブンに選出された。同年8月にはKリーグ選抜として訪日し、JOMO CUPにおいてJリーグ選抜を相手に2得点を挙げている[13]

2010年、ブンデスリーガでの再挑戦を決め[9]シャルケ04に移籍。高い運動量と安定した足先の技術が評価され、クラース・ヤン・フンテラールの怪我の関係もあり、レギュラーに定着した。2011年4月のUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝ファーストレグでは、前年度大会優勝のインテル・ミラノを相手にアウェー戦ながら2得点を挙げて[4]試合を決定付け[14]、チームのジャイアントキリングに大きく貢献した。

2011年9月よりスュペル・リグ(トルコ1部リーグ)ベシクタシュJKへ、2012年8月には豊富な経験を評価されてドイツ1部リーグに初参戦するSpVggグロイター・フュルトへ期限付き移籍[15]。2012-13シーズン末にシャルケへ復帰した。

2013年2月末にシャルケと契約解除し、中国超級(中国1部リーグ)遼寧足球倶楽部に移籍[16][17]。登録名は「埃杜」[17]。同年リーグ戦ではチーム総得点の4割となる14得点を挙げた[4]

2014年J1(Jリーグ1部)FC東京へ完全移籍[18]。推定年俸は7000万円[19]。コンディションが上がりきらないままでの加入だったこともあり[20] リーグ戦でのフル出場は8試合に留まったが、屈強な体躯を活かした鋭いプレーでリーグ二桁得点を含む公式戦通算17得点を挙げた[21]。しかしエドゥーを先発定着させないマッシモ・フィッカデンティ監督の起用法に耐えかね[22] 移籍を決断[23]

2015年1月、Kリーグクラシック全北現代モータースへ完全移籍[24][3]。同年7月の第20節終了時点でチーム総得点の3分の1に迫る11得点を挙げ、リーグ得点王としてチームを牽引した。

2015年7月、中国甲級(中国2部リーグ)河北華夏幸福へ完全移籍した[25]。同月26日の甲級第19節青島海牛戦でハットトリックを達成[26]ネナド・ミリヤシュと共に得点源となってリーグ準優勝を果たし[27]、クラブ創設以来となる超級(1部)昇格を掴んだ[21]。しかし外国籍選手を総入れ替えする方針が採られ[28]、2016年2月に退団が決まった[29]。同月中に古巣の水原や全北と接触し、全北と仮契約[注 2]を結んだと報じられたが[31][28]、クラブ・本人共にこれを否定[30][32]

無所属の間はポルトゥゲーザで調整[33]。同年7月、既報通りルイスを放出し枠を空けた[33]全北に復帰。自身の生年と2015年に着用した背番号9へのこだわりから背番号81(8+1=9)を選択した[34]。しかし、復調に時間を要したことと選手層の厚さから[35] 1得点に終わった。

その後、2016-17シーズン限りで引退した。

所属クラブ

個人成績

クラブ成績 リーグ カップ リーグ杯国際大会 通算
シーズンクラブリーグ 出場得点出場得点 出場得点 出場得点 出場得点
ブラジル リーグブラジル杯 リーグ杯 南米 通算
2001サンパウロセリエA
2002ナウチコセリエB
2003CRAC
ドイツ リーグDFBポカール リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2003–04ボーフムブンデスリーガ130---130
2004–0517420-10204
2005-062. ブンデスリーガ331221--3513
2006–07マインツブンデスリーガ14110--151
韓国 リーグFA杯 リーグ杯 アジア 通算
2007 (en) 水原Kリーグ22621111-358
2008251221113-3816
20092373100443012
ドイツ リーグDFBポカール リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2009–10シャルケブンデスリーガ132---132
2010–11283301082405
2011–1210-10-20
トルコ リーグトルコ杯 リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2011-12ベシクタシュスュペル・リグ213--72285
ドイツ リーグDFBポカール リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2012–13フュルトブンデスリーガ10100--101
シャルケ1010--20
中国 リーグFA杯 リーグ杯 アジア 通算
2013遼寧中国超級231423--2517
日本 リーグ天皇杯 リーグ杯 アジア 通算
2014FC東京J130113254-3817
韓国 リーグFA杯 リーグ杯 アジア 通算
2015 (en) 全北Kリーグクラシック201111-832915
中国 リーグFA杯 リーグ杯 アジア 通算
2015 (en) 河北中国甲級1512---1512
韓国 リーグFA杯 リーグ杯 アジア 通算
2016 (en) 全北Kリーグクラシック111--50161
通算 ブラジルセリエA
ブラジルセリエB
ブラジル州選手権
ドイツブンデスリーガ 971170209211513
ドイツ2.ブンデスリーガ 331221--3513
韓国Kリーグクラシック 101378422417714852
トルコスュペル・リグ 213--72285
中国超級 231423--2517
中国甲級 151200--1512
日本J1 30113254-3817
総通算 32010022102983311404129
その他の公式戦出場
  • 2007年 Kリーグプレーオフ - 1試合0得点
  • 2008年 Kリーグプレーオフ - 2試合1得点
出場歴

タイトル

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI