エミール・ルモワーヌ
From Wikipedia, the free encyclopedia
エミール・ルモワーヌ | |
|---|---|
| Émile Lemoine | |
|
| |
| 生誕 |
1840年11月22日 フランス、カンペール |
| 死没 |
1912年2月21日(71歳没) フランス、パリ |
| 研究分野 | 数学、土木工学 |
| 研究機関 | エコール・ポリテクニーク |
| 出身校 | |
| 博士課程指導教員 |
|
| 主な業績 | ルモワーヌ点 |
| プロジェクト:人物伝 | |
エミール・ミシェル・イアサント・ルモワーヌ[注 1](仏: Émile Michel Hyacinthe Lemoine、フランス語: [emil ləmwan]、1840年11月22日 - 1912年2月21日 )は、フランスの土木技術者、数学者。とりわけ幾何学を研究した。
最も重要な成果に三角形の類似重心(ルモワーヌ点)の存在証明がある。他の研究には Géométrographie (作図学)と呼んだ体系や幾何学的対象の代数的表現に関する手法などがある。三角形幾何学の創始者の一人とされる。
主にエコール・ポリテクニークで教授を務めた。後年は、パリで土木技術者として働いた。ルモワーヌの数学の論文はネイサン・コートの College Geometry の14頁のセクションに収められている。
ルモワーヌはシャルル=アンジュ・レザンとともに数学の学術雑誌 L'Intermédiaire des mathématiciens を創刊した。
生い立ち (1840–1869)
1840年11月22日、フランスのカンペールに生まれた。父は1807年以降フランス第一帝政の軍事作戦に参加した退役軍人(大尉)であった。父が学校開設の一翼を担ったことから奨学金を得て、ラ・フレーシュの陸軍幼年学校に通学した。 この時期に早くも雑誌 Nouvelles annales de mathématiques に論文を寄稿し三角形の性質について述べた[1]。
20歳でパリのエコール・ポリテクニークに入学した。同年、父が没した[2][3]。1861年、音楽に造詣のあったルモワーヌは[4]、室内楽協会ラ・トロンペットの設立を助けた。後にカミーユ・サン=サーンスがトランペット、弦楽五重奏、ピアノの『七重奏曲』をこの協会に提供している。1866年にエコール・ポリテクニークを卒業した。ルモワーヌは法に携わるキャリアを考慮したが、共和主義的イデオロギーと自由主義宗教的観点がフランス第二帝政の理念と衝突したため、この考えを断念した[1]。その代わりに、建築学院と国立高等鉱業学校で J. Kiœs に、エコール・デ・ボザールと医学校(エコール・ド・メドゥシヌ)でアドルフ・ヴュルツに師事しつつ、ウーヴェ・ヤンセン (Uwe Jannsen) を教導した[1]。また、エコール・ポリテクニークに採用される以前は、パリで講師や家庭教師として働いていた[5]。
壮年期 (1870–1887)
1870年、喉頭の病に罹患してルモワーヌは教育活動を中断した。グルノーブルで短期間の休暇を過ごしたのち、パリに復帰し、未発表の数学研究の一部を発表した。また、1871年に設立・創刊したフランス数学会や Journal de Physique 、 Société de Physique などの学会や雑誌に携わった[1]。
Association Française pour l'Avancement des Sciences の創立時からの会員として1874年にリールで開催された協会の会議にてルモワーヌは後に最も名声を得ることとなる論文 Note sur les propriétés du centre des médianes antiparallèles dans un triangle を発表した。この論文の主題はこんにちルモワーヌの名が冠される三角形の点についてであった[6]。ルモワーヌ点から構成される共円点についても論じられている[2]。
この論文を発表したのちの数年間、ルモワーヌはフランス軍に勤務した。パリコミューン時に除隊され、その後パリで土木技術者となった[1]。1896年まで主任検査官として働き、街のガス供給に責任を負っていた[7]。
晩年 (1888–1912)
土木技術者としての在職中、ルモワーヌはコンパスと定規による作図に関する論文 La Géométrographie ou l'art des constructions géométriques を執筆した。評価を得ることはできなかったが、ルモワーヌはこの論文を自身の作品の中でも無上のものだと考えていた。元の題は De la mesure de la simplicité dans les sciences mathématiques であり、数学全体に関わるものとしてルモワーヌが考案した概念について論ずるものであった。しかし、時間の制約を受けて主題の範囲を絞ることとなり[1]、代わりにコンパスと定規による作図の基本操作の簡略化を提案した[8]。1888年にアルジェリアのオランで開催された Association Française の会議で論文を発表したが、会議に参加した数学者の関心をあまり獲得することができなかった[9]。同年に、Sur la mesure de la simplicité dans les constructions géométriques(アカデミー・フランセーズの Comptes rendus に掲載)など自身の作図体系に関する論文を幾つか執筆している。後年にも他の雑誌でこの題に関する論文を発表した。例えば Mathesis (1888年)、 Journal des mathématiques élémentaires(1889年), Nouvelles annales de mathématiques(1892年)に発表したものや、自費出版した La Géométrographie ou l'art des constructions géométriques がある。後者の作品はポー(1892年)、ブザンソン(1893年)、カーン(1894年)で開催された Association Française の会議で発表された[1]。
その後、ルモワーヌは別の一連の論文を発表した。論文の主題の一つに、方程式を幾何学的対象に結び付ける transformation continue(連続変換)について述べたものがある(この「変換」の定義は現代的な変換の定義とは異なる)。Sur les transformations systématiques des formules relatives au triangle (1891), Étude sur une nouvelle transformation continue (1891), Une règle d'analogies dans le triangle et la spécification de certaines analogies à une transformation dite transformation continue (1893), Applications au tétraèdre de la transformation continue (1894) などで研究された[1]。
1894年、エコール・ポリテクニーク時代の友人であったシャルル・レザンとともに数学の雑誌 L'Intermédiaire des mathématiciens を創刊した。1893年には雑誌の構想を計画していたが、多忙により実行に移すことができていなかった。1893年3月にレザンと会食した際、ルモワーヌはレザンに自身の構想を伝えた。レザンは雑誌を創刊するようルモワーヌを説得し、2人は Gauthier-Villars 社に接近して、1894年1月に創刊号が発刊された。ルモワーヌは初代編集員を務めた。第一号の発刊の翌年、ルモワーヌは数学研究から引退したが、数学研究を支援し続けた[6]。1912年2月21日、ルモワーヌはパリの自宅で歿した[2]。
功績
ルモワーヌの作品は近世三角形幾何学の基礎を築くことに貢献したと言われる[10]。後にルモワーヌの作品を出版した American Mathematical Monthly は "To none of these [geometers] more than Émile-Michel-Hyacinthe Lemoine is due the honor of starting this movement [of modern triangle geometry] ..." (これらの中で、エミール=ミシェル=イアサント・ルモワーヌ以上にこの運動の創始の栄誉に浴すべき人間はいない)と述べている[1]。1902年、パリ科学アカデミーの年次会議でルモワーヌは1000フランのフランクール賞を受賞し[11]、数年間賞を保持した[12][13]。
ルモワーヌ点とルモワーヌ円

1874年の論文 Note sur les propriétés du centre des médianes antiparallèles dans un triangle でルモワーヌは三角形の類似中線の共点性を証明した。類似中線は三角形の中線を角の二等分線で鏡映した直線である。同論文では類似中線が対応する三角形の辺を他2つの辺長の自乗の比で分割する性質についても証明されている。
また、ルモワーヌはルモワーヌ点を通り三角形の各辺に平行な直線と三角形の各他2辺との交点の延べ6点は共円であることを示した。この円は現在(第一)ルモワーヌ円と呼ばれる[14][2][15]。
作図体系
ルモワーヌの作図体系 Géométrographie は、作図を評価するための方法論的体系を構築することを意図するものであった。既存の作図方法をより簡略化する方法を作り上げることができた。ルモワーヌは5つの主要な操作を挙げた[14][16]。
作図の「単純さ」をこの操作の数によって定める。論文でルモワーヌは、ペルガのアポロニウスの提起した、3つの与円に接する円を作図するアポロニウスの問題を例にとって議論した。1816年のジョゼフ・ジェルゴンヌの解法の単純さは400であった。ルモワーヌは単純さを154まで減少させることに成功した[2][17]。1936年にフレデリック・ソディ、2001年にデイヴィッド・エプスタインがより単純な方法を発見した[18]。
ルモワーヌの予想
1894年、ルモワーヌは現在ルモワーヌの予想として知られる予想を提案した。
1985年、ジョン・キルティネン (John Kiltinen) とピーター・ヤング (Peter Young) はアメリカ数学連合の雑誌でルモワーヌの予想を拡張した "refined Lemoine conjecture" を提案した。
三角形幾何学における役割
ネイサン・アルトシラー・コートはアンリ・ブロカール、ジョゼフ・ノイベルク、そしてエミール・ルモワーヌを近世三角形幾何学の創始者としている[14]。ここで「近世」[21] (morden) 三角形幾何学とは、18世紀後半以降に発展した三角形幾何学を指す[22]。近世三角形幾何学は、より早い時期に発展した具体的な角や距離に関連する解析的手法でなく、むしろ平面図形の抽象性に基づいている。共線、共点、共円といった測度に依らない事象に焦点をあてている[23]。
ルモワーヌの作品はこの運動の多くの著名な特徴を定義した。ルモワーヌの Géométrographie 、四面体と三角形の方程式との関係、共点と共円の研究は当時の近世三角形幾何学に大きく貢献した。ルモワーヌ点のような三角形の点の定義も三角形幾何学の基礎であり、ブロカール点やタリー点のように、アンリ・ブロカールやガストン・タリーらによって研究されている[22]。
主な作品
- Sur quelques propriétés d'un point remarquable du triangle (1873)
- Note sur les propriétés du centre des médianes antiparallèles dans un triangle (1874)
- Sur la mesure de la simplicité dans les tracés géométriques (1889)
- Sur les transformations systématiques des formules relatives au triangle (1891)
- Étude sur une nouvelle transformation continue (1891)
- La Géométrographie ou l'art des constructions géométriques (1892)
- Une règle d'analogies dans le triangle et la spécification de certaines analogies à une transformation dite transformation continue (1893)
- Applications au tétraèdre de la transformation continue (1894)
- “Note on Mr. George Peirce's Approximate Construction for π”. Bull. Amer. Math. Soc. 8 (4): 137–148. (1902). doi:10.1090/s0002-9904-1902-00864-1.