オン・ザ・ロード (1982年の映画)
From Wikipedia, the free encyclopedia
あらすじ
白バイ警官の富島哲朗は、飲酒運転の取り締まり中にスクーターをひっかける事故を起こしてしまう。富島はスクーターに乗っていたファッションモデルの比嘉礼子に謝罪に行きたいと上司に申し出るが、上司の高森は「軽傷だし、謝罪に行かれると警察の責任を認めたことになる」としてそれを押しとどめる。数ヵ月後、富島は、比嘉礼子が大怪我であり歩行障害が残ったためファッションモデルを断念せざるを得なくなっていたことを知る。比嘉礼子は、富島を激しくなじった。
改めて富島が比嘉礼子のアパートに謝罪に訪れると、比嘉礼子は東京から故郷の沖縄に戻ることを決め、姉・比嘉さち子が運転する赤いスポーツカーで陸路鹿児島まで向かう旅に出た直後だった。富島は、白バイに乗ったまま、謝罪のためにその赤いスポーツカーを追跡する。
勤務を離脱した白バイがあることが問題となり、各地で警察をあげての大追跡劇がはじまる。
キャスト
スタッフ
製作
ピンク映画出身の和泉聖治の一般映画進出は、当時の井筒和幸、高橋伴明、中村幻児らと同じ流れにあるものだが[6][8]、日本映画界はさらなる混沌に陥るのではという見方もあった[8]。洋ピン(洋画ピンク映画)配給会社として知られたジョイパックフィルムが邦画製作に乗り出した第1回作品であった[3][9]。
企画
和泉聖治は「着想は『バニシング・ポイント』です」と述べている[8]。
製作発表
1981年秋に林瑞峰ジョイパックフィルム社長が、新鋭の独立プロと提携して映画製作に乗り出すと発表[3]。この時の発表では製作方式として、提携プロに対して製作費の半額(最高5000万円程度)を出資する、配給業務については配給経費は一切取らない、作品は自社の新宿座(定員450席)で最低4週間上映する、製作費宣伝経費をトップ・オフした利益は、50対50で対等配分するなどの説明があった[3]。林社長は「映画界は非常に難しい状況にあり製作については迷ったが、映画作りに情熱を燃やす若い才能に門戸を開放し、低迷する映画界に新風を送り込めればと決起した。製作費の全額を出資しないのは、作る側にもリスクの半分を背負わせ、お互いに失敗したらペナルティを課すという厳しい状況の中で映画作りをするためです」などと述べた[3]。同時に本作を第1回作品として製作し、内容やキャスティング等の発表もあったが、この時はグループ・サウンズのヒット曲を劇中に挿入すると述べていた[3]。1981年10月6日から新宿から鹿児島に向けて約1カ月のキャラバンロケを行い、既に初号は完成しており、新宿座で1982年2月からロードショー公開すると発表された[3]。この時は併映作の発表はなかった。また本作に続く第2回作品として水上洋子原作、小林竜二脚本で『素敵な朝帰り』を内定していると発表があった[3]。
配給経緯
和泉監督は『プレイガイドジャーナル』1982年4月号のインタビューで「僕は全部自分でホンを書くんですけど、夜中にシコシコシナリオを書いていると、だんだん話が膨らんで来るんですよ。でもピンク映画の300万円の予算じゃとても撮れないから削らざるをえない(中略)その膨らんだ一本が『オン・ザ・ロード』だったわけです。それで応援してくれる仲間たちとあちこち駆けずり回ったんだけど、金はともかく第一に配給先が決まんない。90%が路上の話だし、そうすると警察とか事故とか色んなトラブルが起きるんじゃないかと、みんなブルッたらしいんですよ。それに僕がピンクの監督だということもあったようです。しばらく見送りになってたんだけど、ジョイパックの社長が話を聞きつけて『どこも断るならウチでやろうか』と言ってくれたわけです。僕もジョイパックでピンクを何10本も撮っていますし、社長もまだ40歳ぐらいの若い人でいつかは一般映画も製作したいと考えていたらしくタイミングが良かったですね(中略)ジョイパックでは完成してから、自分の館(映画館)以外にも広げていこうとジョイパックがセールスして歩いたら、松竹が配給してくれることになったんです。お蔭で借金も全部返せました(笑)」などと述べている[8]。
ムービー・ブラザーズは和泉を代表とする独立プロダクションで[10]、製作費7000万円を半分ずつジョイパックと負担した[3][10][8]。
キャスティング
四分の三あたりから藤島くみと秋川リサ姉妹の乗る赤のオープンカーを渡辺裕之が、東名、名神高速と追うため、3人が主役のような映画になる。エンドクレジットでは、渡辺裕之(新人)、藤島くみ(新人)、秋川リサの順番ながら、封切時の『シティロード』の記事ではキャスティングのトップは藤島くみで[5]、以降、秋川リサ、渡辺裕之、室田日出男、長谷川弘、山田辰夫、絵沢萌子、岡田真澄、竹田かほり、平泉征の順番で計10人のみが紹介されている[5]。封切時のポスターでは、渡辺裕之、藤島くみ、秋川リサ、室田日出男、竹田かほり、山田辰夫、青空球児、青空好児、殿山泰司、岡田真澄の10人か[4]、武知杜代子を加えた11人のものがある[1][2]。
娼婦・比嘉さち子を演じる秋川リサは、15歳からトップモデルで映画は初出演[11]。東映版『青春の門』など大作からもオファーがあったがずっと断っていたという[11]。元々、映画が大好きで製作費を自身で半分出した和泉監督の男気に惚れ出演[12]、本作でヌードも披露する[11]。「裸のシーンは、あくまで映画の一部分でね。映画は青春ラブストーリーだから、アクションもあるし、濡れ場もあるのは当たり前でしょ」などと、あっけらかんと話した[12]。ラスト近くに藤島が秋川に「姉さん、仕事は?」というため、売春は妹にも内緒にしているサイドビジネスと見られる。劇中一度だけ外国人を相手にするシーンがある。渡辺と藤島はヘタで、藤島は声も致命的に悪く、この3人の中では秋川が意外に上手い。藤島も入浴シーンで形のいい乳房を見せる。
撮影
撮影の赤川修也は和泉の大学時代の友人[8]。大学卒業後に1年間、和泉とピンク映画の仕事をやったが、その後は疎遠になっていた。当時CMのカメラマンとして有名になっていて和泉が撮影を頼んだ[8]。ところがハードなアクションが予想されたことからジョイパックフィルム側から「CMのカメラマンに撮れるのか」と反対されたが、和泉が押し切った[8]。
40数人のスタッフと10数台の車両を引き連れてのオールロケで[8]、東名高速での撮影は、走行シーンが撮れる位置に撮影班がスタンバイして無線で役者にスタートの連絡を入れるが、10分15分間隔でパトカーが走って来るため、失敗すると次のインターチェンジで役者を降ろして引き返し、また撮り直ししなければならない[8]。これらの撮影には和泉監督がピンク映画で鍛えた早撮りの経験が活きた[8]。
下関のガソリンスタンドの青年(山田辰夫)が、囮になって改造マシンを爆走するシーンは、国祭A級ロードレーサーの荘利光が演じている。また富島とやりあう地元白バイ警官は、全日本モトクロスチャンピオンの鈴木秀明が演じる。
新宿駅西口地下ロータリーや西新宿を白バイで走る渡辺から映画が始まる。渡辺は代々木東警察の所属設置。渡辺の白バイは品川ナンバーを付けて、東名、名神高速を走るが、本部に連絡が入るのが大阪の豊中で、携帯もネットもない時代とはいえ遅すぎる。渡辺が管理人から比嘉姉妹が沖縄に帰るため赤いオープンカーで20分前に出たと聞き、東名高速を飛ばし静岡あたりで追いつくのはいいとして、ここで一旦別れて再追跡を開始し、名神かのサービスエリアのレストランでまた見つけるのは偶然過ぎる。大阪神戸以西はまだろくに高速が開通してない時代に女性(運転は秋川一人)が車で沖縄まで帰るという設定も無理がある。豊中通過後は中国道に入り、以降は神戸JCTで山陽道に入るにしても本来山間部が続くが、絵にならないためか瀬戸内海を望む岡山県らしき一般道で撮影が行われている。秋川が藤島に「大阪まで戻ってあげるからアンタ飛行機で(沖縄)に帰りなさい」と言うため、この後映る路面電車が走る街は岡山市と見られる。山陽道はほとんど出来ていないため、一般道を乗り継ぎ山口県下関市まで辿り着く。関門橋の検問を突破するアイデアは上手い。九州に入ると大分市まで50キロ、日田まで25キロの道路標識が出る道を走るため、鹿児島まで大分→宮崎側から行く。この後渡辺が白バイで道のない山を越える無茶なシーンがある。
音楽
音楽監督はビーイングの総帥・長戸大幸が務めており、タイトル曲の「オン・ザ・ロード」を歌うイーストロードのボーカルは織田哲郎で[7]、曲はブロンディの「コール・ミー」風[7]。首都高速を走るシーンで歌入りのバージョンが、以降、インストバージョンで3回流れる。
作品の評価
いしかわじゅんは「主演の3人は運転が恐ろしく下手。警官が仕事中に女を追わなければならない必然性が伝わって来ない…公道を爆走するシーンは力強くのせられ、全体として見ると元気がある。充分おススメ品に成り得る」などと[5]、宇田川幸洋は「こんなにあたたかく人間的な血が通ったロード・アクションは初めて見た…あの傑作『続・激突! カージャック』ですら、この映画のアクション豊かな感情表現には負けるのではないか」などと[5]、えりかわクロは「小さな思いやりで始まった追いかけっこが日本中騒ぎ出す程のデッカイ事件に広がっていくなんて、ステキだなあ」などと[5]、垣井道弘は「白バイ野郎が警察に追われるという発想が面白い…『ロングラン』よりはるかにいいのは、主人公が頭でっかちでないことだ。残念なのはヒロインにすべてを捨ててもいいほどの魅力がないこと」などと[5]、今野雄二は「ピンク映画出身の作家にしばしば見受けられるように、いかにも手慣れた演出力を感じさせる…問題はシナリオの肉付けの貧弱さと、それ故に薄っぺらくなってしまった主人公像であろう。各地でのエピソードという点を、主人公たちの線でつなぐこの種の映画なら『憎いあンちくしょう』や『ロングラン』がベター」などと[5]、松田政男「年間100本近くピンク映画を見ている私でさえ、和泉聖治とは題名と中身が一致しない並みの監督の一人であったが、この初の一般映画を大いに見直した。渡辺裕之と藤島くみ+秋川リサのトリオを、列島を西へ、順撮りしていった着想の勝利であった…警察権力をこうまで徹底的にコケにするとは、さすがピンクの申し子だ」など評価している[5]。