カート・スズキ

アメリカの元プロ野球選手 (1983 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

カーティス・キヨシ・スズキ英語: Kurtis Kiyoshi Suzuki、日本名:鈴木 清〈すずき きよし〉、1983年10月4日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州マウイ島ワイルク出身の元プロ野球選手捕手)。右投右打。愛称はズック[1]

生年月日 (1983-10-04) 1983年10月4日(42歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
210 lb =約95.3 kg
概要 ロサンゼルス・エンゼルス 監督 #8, 基本情報 ...
カート・スズキ
Kurt Suzuki
ロサンゼルス・エンゼルス 監督 #8
ワシントン・ナショナルズ時代
(2019年4月8日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ハワイ州マウイ島ワイルク
生年月日 (1983-10-04) 1983年10月4日(42歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 2004年 MLBドラフト2巡目
初出場 2007年6月12日
最終出場 2022年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
ロサンゼルス・エンゼルス (2026 - )
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祖父母が愛知県名古屋市出身であり、スズキ自身は日系アメリカ人3世[2]である。

経歴

プロ入り前

カリフォルニア州立大学フラトン校在籍時の2004年、全米大学一に輝く。正捕手として好成績を挙げ、全米大学代表チームに選ばれた他、ビッグ・ウェスト・カンファレンスプレーヤー・オブ・ザ・イヤーブルックス・ウォレス賞カレッジ・ベースボール・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー)、並びに大学最優秀捕手を称えるジョニー・ベンチ賞の3賞を受賞している。

プロ入りとアスレチックス時代

2007年7月31日タイガース戦で、2安打3打点の活躍で初のヒーローインタビューに答える
オークランド・アスレチックス時代(2012年3月28日)

2004年MLBドラフト2巡目(全体67位)でオークランド・アスレチックスから指名を受け、7月16日に契約成立。この年からA-級バンクーバー・カナディアンズでプレーを始める(46試合出場)。

2005年はA+級ストックトン・ポーツで114試合に出場。守備では15失策、19捕逸を喫し、特に捕球に難があった。しかし、2年連続でベスト・ディフェンシブ・キャッチャーに選出されたほか、チームのプロスペクトランキングで10位(前年9位)となった[3][4]

2006年はAA級ミッドランド・ロックハウンズにステップアップ。99試合、打率.285、出塁率.392、OPS.807を記録し、7月9日に行われたオールスター・フューチャーズゲームに出場した他、ベースボール・アメリカ誌が選ぶAA級オールスター・チームにも選出された[5]。シーズン終了後チーム内の有望株リストで3位にランクされ、3年連続でベスト・ディフェンシブ・キャッチャーに挙げられるなど[6]マイナーリーグにおいて着実に成長を続ける。

2007年の開幕はAAA級サクラメント・リバーキャッツで迎えた。控え捕手アダム・メルヒューズテキサス・レンジャーズへ移籍したため、6月9日にメジャー初昇格。6月12日、ヒューストン・アストロズ戦の延長10回表に代打でメジャー・デビュー。14日のアストロズ戦ではライト前に初安打を放っている。7月16日、成績が低迷していたベテラン正捕手のジェイソン・ケンドールシカゴ・カブストレードされたため正捕手に抜擢され[7]、翌17日のレンジャーズ戦の8回表、ハワイ出身の日系人投手であるシェーン・コミネが5番手として登板し、メジャー史上初のハワイ出身バッテリーが誕生した[8]盗塁阻止率19%と低迷したが[9]、8月16日のシカゴ・ホワイトソックス戦でサヨナラ本塁打[10]、9月10日のシアトル・マリナーズ戦では満塁本塁打を放つ[10]など、68試合に出場して経験を積んだ。

2008年開幕戦から正捕手で、初めて規定打席に到達し、打率.279、7本塁打、42打点、出塁率.346を記録した。8月16日のホワイトソックス戦では代打でサヨナラ本塁打を記録[10]。守備でも捕手としてリーグ1位の141試合で、盗塁阻止率37%(アメリカンリーグ5位)、5捕逸、23暴投に抑えた。

2009年は打率.274、15本塁打、88打点、出塁率.313の好成績を残した。長打は自己最多の53本を記録した。守備では捕手として135試合で2年連続でア・リーグ1位だった。

2010年は打率.242、13本塁打、71打点を記録。守備では捕手としてリーグ3位の123試合に出場した。

2011年は打率.237、14本塁打、44打点を記録。守備では捕手としてリーグ3位の129試合に出場した。

2012年はマリナーズと東京で開催されたMLB日本開幕戦のメンバーとして訪日している。開幕に先立って東京ドームで開催されたプレシーズンゲームでは読売ジャイアンツ戦でレビ・ロメロから、阪神タイガース戦ではランディ・メッセンジャーから本塁打を記録している。また、この試合では、東日本大震災で被災した福島県の親戚を招待していた。

ナショナルズ時代

2012年8月3日にデビッド・フレイタスとのトレードで、ワシントン・ナショナルズへ移籍した[11]。移籍後は43試合に出場し、打率.267、5本塁打、25打点だった。

2013年は79試合に出場し、打率.222、3本塁打、25打点だった。

アスレチックス復帰

2013年8月22日にダコタ・バッカス英語版とのトレードで、アスレチックスに復帰した[12]。移籍後は15試合に出場して打率.303、2本塁打、7打点を記録した。オフの11月1日にFAとなった[13]

ツインズ時代

ミネソタ・ツインズ時代
(2015年8月22日)

2013年12月23日にミネソタ・ツインズと年俸275万ドルの1年契約[14]を結んだ[15]

2014年5月20日のサンディエゴ・パドレス戦では自身初のランニング本塁打を記録[10]。自身初のオールスターゲームにも選出された。7月31日にツインズと総額1200万ドルの2年契約(2017年の球団オプション付き)に合意した[16]。最終的に正捕手として131試合に出場し、3年ぶりに規定打席に到達した。守備面では失策を4つに抑えて守備率.995を記録したが、盗塁阻止率では85回中21回を刺して阻止率25%だった。

2015年も正捕手を務め、2年連続で131試合に出場したが、打率.240、5本塁打、50打点に終わった。捕手としてア・リーグ2位の130試合に出場し、守備率は.997、盗塁阻止率は15%に留まった。

2016年は106試合に出場し、打率.258、8本塁打、49打点を記録した。6月18日のニューヨーク・ヤンキース戦では自身8年ぶりの代打本塁打をアロルディス・チャップマンの102mph(約165km/h)の速球から記録した[10]。守備では99試合捕手を守り5失策、守備率.993だった。他、4試合で指名打者として出場した。オフの11月3日にFAとなった[13]

ブレーブス時代

2017年1月30日、アトランタ・ブレーブスと1年150万ドルで契約を結んだ[17]。ブレーブスではタイラー・フラワーズの控えとして出場し、少ない打席数ながら打率.283、自己最多の19本塁打、50打点を記録した。守備ではR.A.ディッキーナックルボールに苦しみ、自己ワーストの10捕逸を喫した。シーズン終了前の9月23日、1年350万ドルで契約延長[18]

2018年は105試合に出場(先発捕手としては83試合)し、打率.271、12本塁打、50打点を記録した。オフの10月29日にFAとなった。

ナショナルズ復帰

2018年11月19日、古巣のナショナルズと2年1000万ドルで契約を結び、6年ぶりの復帰が決定した[19]

2019年ヤン・ゴームズと出場機会を分け合う形で85試合に出場[20]。9月3日のニューヨーク・メッツ戦では、9回に6点差からの逆転勝利を決める逆転サヨナラ本塁打を放った[21]。同7日のブレーブス戦で右肘の炎症を負うも、重症ではなく2週間で復帰した[22]。最終成績は打率.264、17本塁打、63打点だった。守備面では盗塁阻止率が10%しかなかった。ポストシーズン、NLDSは4試合に出場したが無安打に終わり、第5戦では顔面付近に死球を受けて途中交代した[23]NLCS第3戦で初安打を記録。アストロズとのワールドシリーズ第2戦では決勝点となる本塁打を打ったが、第3戦で負傷交代[24][25]。その後出場することはなかったが、チームはワールドシリーズ制覇を成し遂げた。

2020年オフの10月28日にFAとなった[26]

エンゼルス時代

2021年1月15日にロサンゼルス・エンゼルスと150万ドルの単年契約を結んだ[27]。同年4月26日のテキサス・レンジャーズ戦で大谷翔平とバッテリーを組み、大谷の1072日振りの勝利を引き出した。[28]。この年は主にバックアップ捕手として72試合に出場し、打率.224、6本塁打、24打点だった。オフの11月3日にFAとなった[29]

2022年3月16日にエンゼルスと1年175万ドルで再契約した[30]。9月20日、同年限りでの現役引退を表明。39歳の誕生日の10月4日に敵地でのアスレチックス戦に9番・捕手で出場し、現役最後のマスクをかぶった初回に先発マイケル・ローレンゼンの1球目を捕球後に正捕手マックス・スタッシと交代してベンチに下がり、古巣ファンからもスタンディングオベーションを受けた[31]

引退後

2023年3月6日、エンゼルスのGM補佐にエディ・グアダードと共になることが発表された。

息子が所属する少年野球チームでコーチを務め、2024年4月に来日し、筒香嘉智がオーナーを務める少年野球チーム「和歌山橋本Atta boys(アラボーイズ)」と親善試合を行った。その交流の一環で東京ドームを訪問し巨人の練習を見学し、エンゼルス時代の春季キャンプでボールを受けたカイル・ケラーとも再会を果たしている[32]

2025年10月21日、エンゼルスの監督就任が発表された[33][34]

選手としての特徴・人物

ベースボール・アメリカ誌の有望株リストでは、2007年版89位にランクされた[35]

打席内では待球打法に徹する。対左投手を得意とするが、対右投手では今一つ。また、その勝負強さからデーブ・ジョンソンに「カート・クラッチ」という愛称を付けられた。ガッツがあり、タフな捕手ではあるが、守備能力には改善の余地がある。本人は「打撃よりもまずは守備、それがチームと投手陣から信頼を勝ち取る手段」と語っており、守備に対する意識が高い[2][36][37][38]。2008年以降はその守備能力も高いレベルで安定した。しかし、年齢とともに少しずつ守備力は低下、2018年のポップタイムの平均は2.08でメジャーリーグワースト3位だった[39]

大学時代に出会った女性と2007年に結婚し、3人の子供がいる。自身の父と妻の妹が共に過去に腎臓関連の病気を患った経験から、妻と共に腎臓病研究を支援する非営利団体「カート・スズキ・ファミリー財団」を運営している[40]

左上腕には漢字で「鈴木」と入れ墨を入れている。

詳細情報

年度別打撃成績

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O
P
S
2007 OAK 6824821327531307873900352403394.249.327.408.735
2008 148588530541482517196422321442116920.279.346.370.716
2009 147614570741563711524088821728085914.274.313.421.734
2010 1315444955512018213181713204333124922.242.303.366.669
2011 134515460541092601417744223738176414.237.301.385.686
2012 752782621957150175181022903533.218.250.286.536
WSH 431641461739505592510231132202.267.321.404.725
'12計 118442408369620061344320452035735.235.276.328.605
2013 7928125219561113782520242063322.222.283.310.593
OAK 153533610202187000020030.303.343.545.888
'13計 9431628525661315963220242263352.232.290.337.627
2014 MIN 1315034523713034031736101173409469.288.345.383.727
2015 13147943336104170513650006429475914.240.296.314.610
2016 106373345348924181394900141805489.258.301.403.704
2017 ATL 8130927638781301914850001217213395.283.351.536.887
2018 10538834745942401215450000622013436.271.332.444.776
2019 WSH 8530928037741101713663010320163610.264.324.486.809
2020 331291111530802441710031104194.270.349.396.745
2021 LAA 7224721917498067516002312011447.224.294.342.636
2022 511591391025404411500121502293.180.266.295.561
MLB:16年 1635616355635941421295614321577302011276738722119751148.255.314.388.702
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年度別守備成績

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捕手(C)一塁手(1B)


































2007 OAK 664313220.996736297.194-
2008 1419275364.9945875532.368-
2009 1359236857.99531088127.267-
2010 1238253585.9917856619.224-
2011 1299145577.99351369838.279-
2012 754913724.9964603723.383-
WSH 423242433.991233285.152-
'12計 1178156157.9946936528.301-
2013 785563055.992059536.102-
OAK 1565510.9863642.333-
'13計 936213565.991365578.123-
2014 MIN 1197373941.9953856421.247-
2015 1308253538.9973948014.149-
2016 996792852.9931645212.188-
2017 ATL 775534232.99510554213.236-
2018 937443355.9943625012.194-
2019 WSH 756662731.996650455.100-
2020 3027110021.000133285.152-
2021 LAA 6959733105.984743358.186-
2022 443411011.997242357.167120011.000
MLB 1540108695967362.994721138882256.225120011.000
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  • 2022年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

MiLB
MLB

背番号

  • 28(2007年 - 同年途中、2019年 - 2020年)
  • 6(2007年途中 - 同年終了)
  • 24(2008年、2012年途中 - 2013年途中、2017年 - 2018年、2021年 - 2022年)
  • 8(2009年 - 2012年途中、2014年 - 2016年)
  • 22(2013年途中 - 同年終了)

脚注

関連項目

外部リンク

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