ガラスの中の少女

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ガラスの中の少女』(ガラスのなかのしょうじょ)は、有馬頼義の小説、またそれを原作とした映画。映画は日活版と東映版がある。

靖代は大学助教授の杉太郎の娘だが、杉太郎は実の父ではなく、母と戦死した実父の間の娘で15歳の高校生である。彼女は、貧しい家に育ち、酒飲みの父を持ちながら高校中退後に小さな会社の玩具部品工場でアルバイトとして頑張る青年・陽一と親しくなってゆく。だが杉太郎は、娘を純潔なまま結婚させたいと考え、陽一との交際に反対する。杉太郎は教授に昇進するが、その日靖代を抱き寄せた時に、靖代は父の男の欲望を感じてしまう。そのうちに父が、北海道の大学に移るという話が出る。酒を飲んで荒れる父と争った陽一は、靖代とボートに乗りながら、睡眠薬での心中の話をする。2人は純潔なまま心中していくが、杉太郎はその純潔を信じないのであった[1]

書誌

  • 有馬頼義『ガラスの中の少女』角川書店、1959年
  • 有馬頼義『葉山一色海岸』角川文庫、1962年
  • 有馬頼義『ガラスの中の少女 傑作小説集』光文社文庫、1988年7月

日活版映画

ガラスの中の少女
監督 若杉光夫
脚本 青山民雄
原作 有馬頼義
製作 大塚和(企画)
出演者 吉永小百合
浜田光夫
音楽 木下忠司
製作会社 民芸[2]
配給 日活[2]
公開 日本の旗1960年11月9日
上映時間 64分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本の旗日本語
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民芸製作[2]日活の配給で1960年公開[2]白黒映画吉永小百合の初主演作で[3][4]浜田光夫とのコンビ第1作目[2][5]。吉永の純粋でうら若い少女の魅力に、たちまちファンが付き、一気に日活看板女優の階段を駆け上がったといわれる[6][7]

スタッフ

キャスト

製作

予告編では「日活パールラインの新人・吉永小百合第一回主演作品」と表記される[2]浜田光夫は「撮影時僕が16歳、吉永さんは14歳」と話しているが[8]、「本栖湖での撮影は10月」と話していることから、撮影は公開直前の1960年秋と見られ、吉永は15歳と考えられる。冒頭湖に浮く吉永のシーンの撮影は、かなり低い水温で吉永は「大丈夫です」ですと気丈に耐え、長時間水に浸かり、撮影終了後は水から上がって来れず、硬直して意識を失っていたという[8]。慌てて監督以下、スタッフ一同で吉永の身体をさすって意識を戻したが、浜田もさすろうとしたら、監督から「お前は火の始末をしてろ!」と怒鳴られ、吉永をさすることは出来ず「残念だった」と述べている[8]

始まって間もなく、娘の靖代(吉永)が不良の陽一(浜田)に偶然会ったという話を聞いた靖代の義父・杉太郎(信欣三)と母・里子(轟夕起子)が靖代を諭す台詞が映画の肝になっており、「立派に育ててお嫁にやることが父の責任の全て」「女はいい人を見つけて結婚するのが一番幸福」「学校を出ていい人と結婚することだけ考えていればいい」「いい人とは一生信頼が置けて尊敬できる人」「だからそれまでは絶対純潔を守らなきゃいけないんだ、女はね」「世の中には残念ながら無責任な行動をする人間が大勢い過ぎるんだ。それはほとんど男なんだ。毎日の新聞を見れば分かるだろ」、中盤に母の「女とは一人で生きていけないもの」などの台詞があり[2]、これに対して靖代も陽一も「父は変人」と話すものの、ウーマン・リブ前のこれが女性に対する当時の大きくかけ離れてはいない世間の見方と考えられる。

陽一は玩具製作所で働くが、単純作業でタイミングを誤れば指が潰れそうな危ない仕事。工場の先輩・草薙幸二郎が若くて体格もよく小林薫に似たイケメン。

陽一の住む長屋で「また轢き逃げにやられた」という台詞がある。

ロケ地

新宿区四ツ谷駅が外観、駅構内など何度も映る[2]。当時は人影まばら。周りの聖イグナチオ教会都電なども映る。その他、文京区後楽園遊園地付近を吉永と浜田が歩く。浜田の住む長屋はスタジオのセットと実際の長屋との併用で撮影が行われている。浜田が働く玩具工場と近辺は実際にロケが行われている。場所は不明で、当時の町工場が密集する場所には多かった生活道具が投棄された川やドブ川なども映る。冒頭とラストが山梨県本栖湖[2]

東映版映画

脚注

外部リンク

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