クリストフ・シェーンボルン
From Wikipedia, the free encyclopedia
| クリストフ・シェーンボルン | |
|---|---|
| 枢機卿 | |
|
シェーンボルン枢機卿、2012年 | |
| 大司教区 | ウィーン |
| 着座 | 1995年9月14日 |
| 離任 | 2025年1月22日 |
| 前任 | ハンス・ヘルマン・グレア |
| 聖職 | |
| 司祭叙階 | 1970年12月27日 |
| 司教叙階 | 1991年9月29日 |
| 枢機卿任命 | 1998年2月21日 |
| 格付 | 司祭枢機卿 |
| 個人情報 | |
| 出生 |
1945年1月22日 シャルケン城 |
| 両親 |
父:フーゴー・ダミアン・シェーンボルン 母:エレオノーレ・ドブルホフ |
| 出身校 |
パリ・カトリック大学 ソルボンヌ大学 |
| 紋章 |
|
クリストフ・シェーンボルン(Christoph Schönborn[1], 1945年1月22日 - )は、オーストリアのカトリック教会の聖職者、神学者。枢機卿、ウィーン大司教(在任:1995年 - 2025年)、オーストリア司教協議会会長(在任:1998年 - 2020年)。ドミニコ会所属。
画家のフーゴー・ダミアン・シェーンボルン(1916年 - 1979年)とその妻エレオノーレ・ドブルホフ(1920年 - 2022年)の間の次男として、ボヘミア・リトムニェジツェ郊外のシャルケン城で生まれた。両親はドイツ系の旧貴族(父は伯爵家、母は男爵家出身)の末裔で、シェーンボルン家は17世紀以降、数多くの司教、枢機卿、聖界選帝侯といった高位聖職者を輩出してきた[2]。父はフリーメイソン会員であり[3]、ナチス・ドイツの占領統治期には抵抗活動に身を投じた[4]。第2次世界大戦後、共産党に支配されるチェコスロバキア政府がドイツ系住民に対する迫害を始めたため、シェーンボルンは両親に連れられて生後9か月で生国を離れ、亡命先のオーストリアのシュルンスで育った[5]。
1963年にマトゥラ(高校卒業試験)に合格すると、聖職者となるべくドミニコ会に入った。パリ、ウィーン、ボルンハイムで神学と哲学を学んだ。パリではパリ・カトリック大学を卒業後、ソルボンヌ大学でビザンツ・スラヴのキリスト教神学について研究した。1970年にフランツ・ケーニヒ枢機卿により司祭に叙階され、翌1971年に神学修士号を取得。その後、レーゲンスブルク大学でヨーゼフ・ラツィンガー教授(後の教皇ベネディクト16世)に師事し、パリで神学博士号を取得した。1975年よりスイスのフリブール大学神学部教授に就任し、教義学を教えた。
1980年、教皇庁国際神学委員会委員に選ばれ、1987年には『カトリック教会のカテキズム』編集委員会委員に選ばれた。1991年、ウィーン大司教座の補佐司教に就任した。1995年4月11日にウィーン大司教座の協働司教となり、同年9月14日にウィーン大司教に就任した。1998年2月21日、ヨハネ・パウロ2世教皇により、ジェズ・ディヴィン・ラヴォラトーレ教会を名義聖堂とする司祭枢機卿に親任された。2005年の教皇選挙では、恩師のラツィンガーことベネディクト16世教皇の選出を支持した。
シェーンボルンは教皇庁において教理省、東方教会省、教育省、文化評議会、教会文化遺産委員会などのメンバーである。2011年1月5日には、新しく発足した新福音化推進評議会のメンバーにも加えられた[6]。2012年9月18日、教皇ベネディクト16世により、新福音化を話し合う司教会議の第13回定例総会の議長に任命された[7]。
2019年10月、シェーンボルン枢機卿は教会法(CIC第401条第1項)に従い、2020年1月22日に75歳の誕生日を迎えるのに伴い、辞任を申しでた。しかし、教皇フランシスコはこの申し出を受理せず、シェーンボルンを当面の間その職に留めた。2024年10月に、2025年1月18日に実施されるミサをもって、シェーンボルン枢機卿のウィーン大司教としての退任が行われることが発表された。[8]
