グリゴリー・ベリチェフ
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1981年の世界選手権95kg超級では決勝で山下泰裕に横四方固で敗れたが2位となった。1984年ロサンゼルスオリンピックはソ連がボイコットしたために出場できなかったが、その実質的な対抗大会としてワルシャワで開催されたフレンドシップ・ゲームズでは優勝を飾った。1985年の世界選手権では、準決勝で斉藤仁に内股で一本負けして3位となった。1986年の正力国際では2階級制覇を達成した。この当時は外国勢として最強の選手とみなされていたが、1987年の正力国際では準決勝で明治大学1年の小川直也に払腰で敗れて3位に終わった。しかし、世界選手権では初戦で正木嘉美を隅返の有効で破ると、決勝ではエジプトのモハメド・ラシュワンを判定で破って、30歳にして世界チャンピオンとなった。1988年ソウルオリンピックでは準決勝で東ドイツのヘンリー・ストールに判定で敗れて3位に終わった。1989年の世界選手権では3位だった。
その後引退すると、ソ連のプロ格闘家の組織であるDILA所属となり、大仁田厚率いるFMWにも参戦。初代WFDA世界マーシャルアーツ王座にも輝いたものの、同団体が次第にデスマッチ色を強め、1993年限りで参戦が途絶える。
帰国後はコーチとして活動。2006年5月25日死去。49歳没。