コマンチャ共和国
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オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊に伴い、オーストリア支配下だったガリツィア地域でウクライナ人による独立運動が激化した。しかし中心都市のサノクには程なくポーランド軍が進駐したことから、近隣のヴィスオク・ヴィルスキ(ウクライナ語版)にて1918年11月4日に民族評議会の創設を宣言。東方カトリック神父であるパンテレイモン・シュピルカ(ウクライナ語版)を評議会議長に選出し域内のコマンチャ(ウクライナ語版)に防衛本部が置かれた。12月には西ウクライナ人民共和国への統合を決議するも、翌1919年1月23日にポーランドによる占領によって滅亡、シュピルカはドイツを経由してカナダへ亡命した。
脚注
- ↑ Magocsi, Paul Robert (1993). “The Ukrainian question between Poland and Czechoslovakia: The Lemko Rusyn republic (1918-1920) and political thought in western Rus'-Ukraine”. Nationalities Papers 21 (2): 95–103. doi:10.1080/00905999308408278.
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