フィンランド王国
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- フィンランド王国
- Suomen kuningaskunta
Konungariket Finland -
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1917年 - 1918年
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(国旗) (国章) - 国歌:
Maamme
Vårt Land
我等の地 
フィンランド王国の地図-
言語 フィンランド語
スウェーデン語
サーミ語
カレリア語宗教 フィンランド福音ルター派教会
フィンランド正教会首都 ヘルシンキ - 国王
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1918年 - 1918年 カールレ1世 - 首相
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1917年 - 1918年 ペール・スヴィンヒュー - 変遷
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独立 1917年12月6日 国王選定 1918年10月9日 王権放棄 1918年12月14日
現在
フィンランド
ロシア
フィンランド王国(フィンランドおうこく、フィンランド語: Suomen kuningaskunta、スウェーデン語: Konungariket Finland)は、第一次世界大戦中のロシア革命を受け、ドイツ帝国の支援の下、1917年12月6日から1918年12月14日の短期間フィンランドに樹立された立憲君主制の王国である。首都はヘルシンキ。
2月革命によってロシア帝国が倒れたのを見たフィンランド議会は、1917年12月6日にニコライ2世のフィンランド大公位の廃位とフィンランドの独立を宣言。さらにスウェーデン系フィンランド人のスウェーデン人民党ら王制支持派は、内戦が終結した後、摂政に就任したペール・スヴィンヒューがドイツ帝国へ直接おもむきドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の息子オスカー・フォン・プロイセンをフィンランド国王に迎えんと交渉した。最終的に新国王にヘッセン=カッセル家の家長でヴィルヘルム2世の義弟であるフリードリヒ・カール・フォン・ヘッセン=カッセルを迎えることが決まり、正式に1918年10月9日にフィンランド国王カールレ1世として即位した。
しかし、1918年11月にはドイツ帝国の敗色が濃くなり、ドイツ革命が起こった。ヴィルヘルム2世が退位し、中央同盟国は降伏した為、フィンランドの王党派(スウェーデン人民党)とフリードリヒ・カールは君主制の維持は不可能と判断、12月14日にフリードリヒ・カールは即位を辞退した。その後はカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイムが摂政に就任したが、1919年フィンランド議会選挙で共和派が議席の4分の3を得て大勝すると、フィンランドは共和制を採用した憲法を制定した。1919年7月にはカールロ・ユホ・ストールベリが初代フィンランド大統領に就任、フィンランド共和国が成立した[1]。
国王の称号は「フィンランド王およびカレリア王、オーランド公、ラップランド大公、カレワラとポホヨラの主たるカールレ1世 (フィンランド語: Kaarle I, Suomen ja Karjalan kuningas, Ahvenanmaan herttua, Lapinmaan suuriruhtinas, Kalevan ja Pohjolan isäntä、スウェーデン語: Karl I, Kung av Finland och Karelen, hertig av Åland, storhertig av Lappland, herre över Kaleva och Pohjola)」であった[2]。
なお1741年から1743年までのロシア・スウェーデン戦争の時、ホルシュタイン=ゴットルプ公ペーター(後のロシア皇帝ピョートル3世)がフィンランド王を宣言したことがある(フィンランド王国 (1742年)も参照)。