コープレイ
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| コープレイ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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コープレイ Bos sauveli | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 保全状況評価 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| CRITICALLY ENDANGERED (IUCN Red List Ver.2.3 (1994)) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 分類 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 学名 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| Bos sauveli Urbain, 1937 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 英名 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| Kouprey Grey Ox Forest Ox | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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コープレイ(Bos sauveli ) は、哺乳綱 偶蹄目 ウシ科 ウシ属に分類される偶蹄類(ウシ族)である。かつてはカンボジア王国北部のほか、ラオス南部、ベトナム西部、タイ東部、中国南部の森林などに分布していた[1]。
ベトナム戦争やカンボジア内戦といったインドシナ半島における争乱によって保護活動が停滞し、現在では世界で最も危機的な状況に置かれた哺乳類の一種とされている[2][3]。1964年[2]または1969年以降の確実な記録は存在せず、最後の目撃記録は1980年代であり[2][4][5]、絶滅寸前もしくは実質的に絶滅状態にあると考えられている[3]。
仮に生存している個体がいるならば、可能性が最も高いのはカンボジア王国であり、コープレイは同国の国家の象徴および国獣に指定されている[6][3]。
ウシの近縁種であり[5]、「Grey Ox(灰色の牛)」や「Forest Ox(森の牛)」とも呼ばれる。英名および和名である「コープレイ(Kouprey)」はクメール語に由来しており、「森の牛」を意味する[3][2]。
本種は1937年にフランスの生物学者であるアシーユ・ユルバンによってカンボジアで発見され、生体がヴァンセンヌ動物園(現パリ動物園)へと移送されて模式標本となった[7]。その後、本種が分類学的に独立した種か否かは形態学的な見地から長く議論が行われ、他のウシ属動物との雑種説、別属 (Novibos) 説、分断種分化したバンテン説、野生化した家畜説、などが提出されてきた。
2004年になって、DNAの分析より本種は独立した野生種であるとの報告が行われた[8]。この説に対し、ミトコンドリアDNA の比較から、コブウシとバンテンの雑種が野生化したものであるという反論[9]が2006年に行われた。2007年時点では、より広範囲に行われた DNA分析 [10]および化石の検討[11]から、独立種であるという見解が主流になっている[12]。
現生のウシ族では、バンテンやガウルと比較的に近縁であることが示唆されている。2021年に発表された現生ウシ族の遺伝上の関連性は以下の通りになる[13]。
| スイギュウ亜族(Bubalina) |
アジアスイギュウ(Bubalus arnee)+スイギュウ(B. bubalis)&アフリカスイギュウ(Syncerus caffer)+フォレストバッファロー(S. c. nanus) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| ウシ属(Bos) |
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特徴

コープレイに関する生態情報は少ない[3]。ガウルやバンテンと比較すると小型であり、肩高170 - 190センチメートル、体重680 - 910キログラム程度になる[2][14]。メスよりもオスの方が大型になる。脚と尾は長い。背にはコブがあるが、コブウシほど発達してはいない。体色は茶褐色から灰色、または黒。年を取ったオスの方が体色は濃いが、脚の下部は雌雄共に白い。鼻に溝がある。また、オスの首には発達した肉垂があり、肉垂と尻尾の大きさはバンテンなどの近縁なウシ属との識別要素になっている[3]。
オス・メス共に発達した角を持ち、メスは上に螺旋を巻いた琴型、オスは前に突き出し広がったアーチ型をしている。オスの成獣の角は先端付近の角鞘がささくれ状に裂ける点が特徴的である[5]。
背の低い森が部分的に広がる丘に住み、昼行性で、昼間は森、夜は開けた土地で草を食べる。普段はメスと子供だけからなる20頭ほどの群れをつくって生活するが、乾季にはオスも行動を共にする。
人間との関係

この絵では、コープレイの形態的特徴の一つである、ささくれ状に裂けたオスの角鞘が描かれている[5]。
1937年にカンボジアで初めて発見されたが[15]、生息状況は当時から不安定で総個体数は20世紀を通して2,000頭を超えなかったと考えられている。住民や兵士による狩猟が横行し、食用としてだけでなく頭骨や角もコープレイが狙われた原因になった。また、欧米人によるトロフィーハンティング、ベトナム戦争やカンボジア内戦による混乱と保護活動の中断[16]、家畜からの伝染病、生息域の減少、罠などのためさらに数が減少していった[3]。さらに、当時から生息密度が非常に低かったことも絶滅の危険性を高める要因の一つになった[4]。
1964年[2]または1969年以降の確実な記録は存在せず、最後の目撃とされる事例は1983年、1984年(ラオス南部)[5]、1988年[2]のいずれかであるが、1983年の記録は実際には前年(1982年)7月の記録であった可能性が高い[4]。その後、最後の観察記録の約10年後までは生き残っていたと思われる[4]。1989年の時点での各国の推定個体数はカンボジア(200頭未満)、ラオス(40 - 100頭前後)ベトナム(30頭未満)と危機的な状況に追い込まれていた。2016年には国際自然保護連合のレッドリストによって、野生個体は50頭未満で減少傾向にあるという評価を受けた[3]。
カンボジアでは文化的に重要な存在として位置づけられてきたが、コープレイの狩猟を加速させる一因になったのは頭骨への文化的な需要がであった[3]。2004年には同国の国獣に指定され[3]、2005年には同国の国家の象徴と定義された[6]。
絶滅した可能性が高いが、その後もまれに頭骨が販売されてきたことから、一部の研究者はコープレイの生存を期待している[2]。仮に生存している個体がいると仮定した場合、各地に設置された罠が脅威の一つとして挙げられる。世界自然保護基金によると、2020年の時点でカンボジア、ラオス、ベトナム各国の自然保護区に1,220万個もの罠が現存すると推測されていた[17][18]。
保護活動
1950年代に、作家でもあったチャールズ・ハイザー・ウォートン博士によって(バンテンとコブウシの雑種の実在を証明するという目的で)[19]発見のための探検が数度行われた他、保護活動自体は1960年に開始されており、当時の国王であったノロドム・シハヌークによって保護対象に指定され、重要な生息地として3つの自然保護区が制定された。この体制はロン・ノルによっても継続されたが、ポル・ポトの台頭によって保護活動は阻害されており、同国の森林局の職員の大多数がクメール・ルージュの犠牲になり、これらの保護区に関する文書のすべてが破棄されてしまった[16][20]。
カンボジア内戦やベトナム戦争[3]はコープレイに限らず周辺地域の自然保護に著しい悪影響を引き起こしており、カンボジアでは多数の生物種が減少して野生動物の密猟や密売などが悪化した。これらの中でも、1970年代にはコープレイ、アジアゾウ、ターミンジカ、ホッグジカ、シャムワニがカンボジアでは地域絶滅を迎えたとも見なされ[16]、たとえばホッグジカやシャムワニが同国内で再発見されたのは2000年代になってからであった[21][22]。
本格的に保護が再開されたのは1980年代になってからであり、1988年には、カンボジア、ラオス、ベトナム、タイの各国政府の協力の下で、国際自然保護連合が主導する国際的なワークショップがベトナム・ハノイのハノイ大学で開催され、国際自然保護連合の関連組織である種の保存委員会およびアジア野生牛専門家グループ(Asian Wild Cattle Specialist Group)、世界自然保護基金、Centre for Environmental Studies、世界動物園水族館協会の関連組織であるアメリカ動物園水族館協会などの組織が参加した[16][20]。
現存する生体情報に関する資料は非常に少なく、生き残りが存在する可能性が最も高いのはカンボジアではあるが、再発見のための探検調査もすべて失敗に終わっている[4]。絶滅以前の野生の生体の撮影記録も2件しか存在していない。この2つの記録のどちらも上述のウォートン博士による探検の一つである1951年の調査中に得られたものである。カンボジア王国の近衛兵を含めた90名のチームで2ヶ月間に渡ってプリアヴィヒア州の(現在では世界文化遺産に指定されている)コー・ケー遺跡群の周辺地域およびチョーム・クサン郡で調査が行われ、計6つの群れが確認された[19]。
飼育記録
飼育に成功した事例もわずか2件のみである。1頭はプリアヴィヒア州で捕獲された若い雄であり、ガウルの子供とスイギュウの子供と共にパリ動物園に送られたものの、第二次世界大戦中に死亡した[23][4]。もう1頭は上述のノロドム・シハヌークによって飼育されていた仔牛だが、この個体に関する詳細は限定されている[24]。
なお、上述のチャールズ・ハイザー・ウォートン博士も1963年と1964年に保護目的で探検と飼育を試みたものの、捕獲された5頭の中の3頭は脱走し、2頭が死亡して失敗に終わっている[19]。また、これらの探検調査がコープレイに関する最後の正式な報告となった[2]。
絶滅している可能性があることも相まって、オーロックス、ガウル、バンテン、ヤクとは異なって現生のウシ属では唯一家畜型が確認されていない。19世紀中盤前後にカンボジアとベトナムの国境地帯でスティエン族が飼育していた家畜牛が形質的にコープレイとの類似性を保持していたという報告が存在するが、これらが実際にコープレイと関連していたのかは判明していない[5]。