サイ (ロンギの絵画)
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| イタリア語: Il rinoceronte 英語: The Rhinoceros | |
| 作者 | ピエトロ・ロンギ |
|---|---|
| 製作年 | 1751年 |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 62 cm × 50 cm (24 in × 20 in) |
| 所蔵 | カ・レッツォーニコ、ヴェネツィア |
『サイ』(伊: Il rinoceronte, 英: The Rhinoceros)は、18世紀イタリア・ロココ期の画家ピエトロ・ロンギが1751年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。現在、18世紀ヴェネツィア美術館となっているカ・レッツォーニコに所蔵されている[1][2]。また、ロンドン・ナショナル・ギャラリーには、『ヴェネツィアでのサイの公開』(ヴェネツィアでのサイのこうかい、伊: Esibizione di un rinoceronte a Venezia, 英: Exhibition of a Rhinoceros at Venice)と題される別ヴァージョンが所蔵されている[2]。
カ・レッツォーニコの作品はヴェネツィアのモロシーニ・コレクションに展示されていたが、1895年にヴェネツィア市民美術館群 (Musei Civici Veneziani) に購入され、1936年にカ・レッツォーニコに移された[3]。1946年にアントニオ・ラッザリン (Antonio Lazzarin) により修復を受けている[3]。
画面に表されているのはメスのインドサイ「クララ」で、17年の生涯にわたって18世紀ヨーロッパ大陸の最も重要な都市を巡ったことで有名になった。サイは、ベンガル地方から直接、オランダ領インドの総督ドウウェ・モウト・ファン・デル・メール (Douwe Mout van der Meer) [4]によって連れてこられた[5]。
クララは、1515年 (アルブレヒト・デューラーがサイを表す木版画を制作している) 以降、ヨーロッパで見ることのできた数少ないサイのうちの1頭であった[2]。クララはセンセーションを巻き起こし、多くの絵画、タピストリー、メダル、彫刻の題材となった。また、女性たちは、ヘア・スタイルをクララの角の形にしたりもした。1758年に、クララはロンドンに連れていかれ、その後すぐに死んだ[2]。

ロンギの作品に典型的な貴族階級の没落に関する皮肉な描写は、第一に最前景に全身像で表されたクララの足元にある糞によって見て取れ[6]、それは、ふさわしい良い趣味という規範と真っ向から対照されている[6]。サイは檀上にいる貴族たちに見られつつ、仕方ないという感じで藁を食べている[3]。貴族たちは、無関心であると同時に完全に心ここにあらずという表情を浮かべている[6]。

1列目の貴族たちの左端にはクララの所有者がおり、彼は右手で鞭を掲げ[1]、サイの頭部にない切り取られた角を左手に持っている[1]。左側から4番目の男性は、バウタ、三角帽子、外套という典型的にヴェネツィアの衣服を身に着けている[6]。右端の若い男性は、タバコを吸っている最中である[1]。
2列目中央の女性は、モレッタ(円い形の黒い仮面)とやはり典型的なヴェネツィアの衣服を纏っている[6]。彼女の左側には若い娘が、右側には緑色の外套を身に着けた女性が見える[1]。

右側の木の壁には羊皮紙が掛けられており、以下のような銘文が記されている。
ヴェネツィアの貴族高官の/N.O. ジョヴァンニ・グリマーニの/指示で/ピエトロ・ロンギ/が描いた/1751年/ヴェネツィアに連れてこられた/サイの/真実の肖像/[6]。
銘文に記されているジョヴァンニ・グリマーニ (Giovanni Grimani) が、23歳の時に[4]サイを主題とした本作をロンギに委嘱したのは驚くには値しない。実際、彼は、自身のヴィラの中に多くの異国の動物がいた一種の個人動物園を所有していた[4]。グリマーニ自身、この絵画に登場しており、1列目の左から2番目の貴族の人物が彼である。その右にいる女性は彼の妻カテリーナ・コンタリーニ (Caterina Conatarini) で、2人の唯一の子が誕生し、本作が完成した翌日に亡くなっている[4]。