サバ州における州外からの襲撃

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1962年[注釈 1][1] – 現在
(55年間)
結果

サバ州本土の治安は維持されているが越境テロは継続しており、少なくとも11の国と地域から州東部沿岸や島嶼部への不要な渡航を避けるべきなどと危険情報を発表されている。

サバ州における州外からの襲撃
スールー海の海賊英語版北ボルネオ領土問題英語版モロ紛争

19世紀から現在にかけてのモロの海賊、過激派によるサバ州への襲撃
1962年[注釈 1][1] – 現在
(55年間)
場所マレーシアサバ州
結果

サバ州本土の治安は維持されているが越境テロは継続しており、少なくとも11の国と地域から州東部沿岸や島嶼部への不要な渡航を避けるべきなどと危険情報を発表されている。

衝突した勢力

反政府組織への対応
マレーシアの旗 マレーシア (1963–)


他の反政府組織との戦闘
フィリピンの旗 フィリピン[18]
インドネシアの旗 インドネシア[19]
ベトナムの旗 ベトナム[20]
対反政府組織への支援

モロ・イスラム解放戦線[21]
モロ民族解放戦線[22][23]

反政府組織
モロの海賊 (1963以前–現在)
アブ・サヤフ (2000–)


サバ州領有権を主張する過激派
スールー王国(ジャマルル・キラム3世派閥) (2013–)


サバ州侵攻支援
フィリピン政府 (1962-86)
モロ民族解放戦線 (ミスアリ派) (2001-15)[24][25][26]

  バンサモロ共和国 (2013)
指揮官

ナジブ・ラザク(2016年現在)

ムサ・アマン英語版(2016年現在)


ロドリゴ・ドゥテルテ(2016年現在)

ジョコ・ウィドド(2016年現在)


ムラド・エブラヒム英語版[32]
モハグハ・イクバル英語版[21]
ムス・セマ英語版[33]

海賊の指導者
アブ・サヤフの指導者


フドガル・キラム(Phudgal Kiram)[34](2016年現在)


フィリピン (1962–86):
ディオスダド・マカパガル[35]
フェルディナンド・マルコス[36]


ヌル・ミスアリ (2001–)[24][25][26][37][38]
部隊

国家特別運営部隊英語版(NSOF):
マレーシア軍
ロイヤル・マレーシア警察
マレーシア海上法令執行庁英語版


フィリピン軍
  フィリピン国家警察英語版
インドネシア国軍

  インドネシア国家警察英語版

モロの海賊
アブ・サヤフ


スールー王国軍
戦力
マレーシア治安部隊

フィリピン治安部隊
不明確
インドネシア治安部隊
不明確


政府に協力しているモロ組織

不明確
  • モロの海賊 不明
  • アブ・サヤフ 不明

キラム家支持者

被害者数
マレーシア治安部隊

フィリピン治安部隊

インドネシア治安部隊

  • 不明確

政府に協力しているモロ組織

モロの海賊
  • 死者:数百名[48]

アブ・サヤフ


キラム家支援者

~ 累計の被害は上記より多いと考えられている。
マレーシアの歴史
History of Malaysia
この記事はシリーズの一部です。
先史時代
初期の王国
ランカスカ (2c–14c)
盤盤 (3c–5c)
シュリーヴィジャヤ王国 (7c–13c)
クダ王国マレー語版英語版 (630-1136)
イスラム王国の勃興
クダ・スルタン国英語版 (1136–現在)
マラッカ王国 (1402–1511)
スールー王国 (1450–1899)
ジョホール王国 (1528–現在)
ヨーロッパ植民地
ポルトガル領マラッカ (1511-1641)
オランダ領マラッカオランダ語版英語版 (1641-1824)
イギリス領マラヤ (1824–1946)
海峡植民地 (1826–1946)
マレー連合州 (1895–1946)
マレー非連合州 (1909–1946)
サラワク王国 (1841–1946)
ラブアン直轄植民地 (1848–1946)
北ボルネオ (1882–1963)
第二次世界大戦
日本占領下のマラヤ (1941–1945)
日本占領下の北ボルネオ (1941–1945)
マレーシアの変遷期
マラヤ連合 (1946–1948)
マラヤ連邦 (1948–1963)
独立 (1957)
マレーシア連邦 (1963–現在)

マレーシア ポータル

サバ州における州外からの襲撃(サバしゅうにおけるしゅうがいからのしゅうげき、英語: Cross border attacks in Saba)では、マレーシアサバ州で継続している州外からの襲撃について記載する。 サバ州の位置する北ボルネオイギリス植民地時代の19世紀後半から海賊による襲撃が発生していた[58]第二次世界大戦後はフィリピンの海賊が問題となったが、彼らのほとんどはミンダナオ島スールー諸島など、フィリピン南部に居住しているムスリムの民族集団(モロ)の出身だと推測されていた[55]。 後述するように、20世紀後半から21世紀にかけてはスールー海の海賊によるラハダトゥ襲撃 (1985年)英語版[56]アブ・サヤフによるシパダン誘拐 (2000年)英語版[59]スールー王国のスルタンを自称するジャマルル・キラム3世によるラハダトゥ対立 (2013年)[60][61]などが発生した。

また、2017年3月末時点で拉致事件などを理由にサバ州に危険情報を発表している国や地域として、アイルランド[注釈 4][62]アメリカ合衆国[注釈 5][63] イギリス[注釈 6][64]オーストラリア[注釈 7][66]カナダ[注釈 8][68]シンガポール[注釈 9][69]大韓民国[注釈 10][70]台湾[注釈 11][72]日本[注釈 12][73]ニュージーランド[注釈 13][75]香港[注釈 14][76]が確認されている。

モロのサバ州への移住

海賊行為はスールー王国の文化の一部だった[55][77][78]ヘンリー・ケッペル英語版海軍大佐は1846年、イギリス船ダイドー(en:HMS Dido)での遠征中に以下のように述べた。

The most desperate and desperate pirates of the whole Indian Archipelago are the tribes of the Sooloo group of islands lying close to the north shore of Borneo.[1]
インド諸島[注釈 15]で最も危険で活発な海賊は、ボルネオ島北岸付近に広がっているスールー諸島の部族だ。ヘンリー・ケッペル海軍大佐

スールー諸島には大規模な奴隷市場があることが知られており、諸島の住民はしばしば奴隷を求めてボルネオ島を襲撃した[79]。1910年、ミンダナオ島から海を越えてきた7人のモロの海賊がセレベス島(現在のスラウェシ島)を襲撃し、2人のオランダ人商人が殺害された[58]。後に北ボルネオにあったイギリス人の行政組織は報告書の中で、ホロ島のモロは小さな町々を略奪し多くの人々を殺害しており、北ボルネオの住民を恐怖で支配していると報告した[80]。イギリス帝国は海賊と何度も戦闘したが[58]、モロの海賊による襲撃は続いた。1954年3月29日にはセンポルナ英語版近くの町区が襲撃された。1958年7月にはカラバカン英語版(現サバ州タワウ省にある町)でイギリスの会社の事務所が12人のモロの海賊に襲撃された[81]

1950年代後半から1960年代前半にかけて、イギリスによる北ボルネオ統治が終わるまでの数年間、水上生活者らと海上集落は多数の海賊の襲撃に苦しめられた。この海賊は主にタウィタウィ島から来ていると考えられていた[55]。北ボルネオのイギリス当局は1959年から1962年の間に海賊の襲撃が232回あったと記録を残していたが、おそらく記録されなかった襲撃が多数あったはずなので、この記録は「氷山の一角にすぎない」と考えられていた[55]。当時のイギリス領北ボルネオの総督ロナルド・ターンブル英語版はイギリス本国に対し、イギリス海軍イギリス空軍から治安部隊を派遣するよう要請した。だが、イギリスの新聞紙デイリー・テレグラフがこの報告書を反インドネシアに脚色を加えて報じるまで反応はなかった。なお、脚色を加えたのは当時のインドネシアとマレーシアの衝突英語版が原因だった[81]

東南アジアにおける局所的な移民の流れは現在に限ったことではない。サバ州、ミンダナオ島、インドネシアの北カリマンタン州の間には数百年にわたり社会的、文化的な繋がりが存在している。スールー諸島からサバ州への越境の伝統の起源は16世紀後半に遡る[82]。この移住の最初の波は、当時スペインの植民地主義者がスペイン領東インドの政庁があったマニラからスールー諸島へ向けて南進を始めたことと関係している。民族間の闘争とミンダナオ島のスペイン人植民者が原因となり、タウスグ族英語版バジャウ族のサバ州への移入など、フィリピンのモロの民族集団の移住が増加した[82]

1960年代、サバ州に最初の不法移民がやってきたのは当時のフィリピン大統領フェルディナンド・マルコスとフィリピンの北ボルネオ領有権主張が関連していると言われていた[82]1967年、マルコス大統領はサバ州をフィリピンに併合するため「ムルデカ(独立)作戦」を開始した[83]。フィリピンの新聞の主張によると、マルコス大統領は自身の計画の最初の段階において約17人の男を森林警備隊員、郵便配達人、警察官としてサバ州に送り込んだ。彼らのほとんどはスールー州とタウィタウィ州で募兵された人員であり、サバ州に居住する多数のフィリピン人を心理的に洗脳ないし説得するためにサバ州の地元の団体に溶け込んだ。これは、サバ州東部をマレーシアから脱退させてフィリピンに吸収するためだった[36]

同時期にタウスグ族のムスタファ・ハルン英語版が3代目サバ州首相に就任した。彼は自身の運転手になったフィリピンの諜報員に接触した[36]。任務の目的に気づいた諜報員らは命令に反抗するようになっており、ムスリムの同胞を攻撃する意思はなかった。後に、彼らは作戦そのものを隠蔽するためにマルコスの兵によって殺害された。この事件はジャビダ虐殺英語版として知られている[83]

ムスタファ州首相の任期は1967年から1975年であり、彼はこの間に統一サバ国民組織英語版(USNO)に代表されるような強力なムスリム団体を設立するため、新たに多くのフィリピンのタウスグ族が北ボルネオへ移住するよう奨励したと考えられていた[82]。 ジャビダ虐殺以降、特にモロの反乱 (フィリピン)が始まってからは、モロの反乱者が自由のため、倒れた同志の報復のために戦えるよう、ムスタファ州首相が経済支援や武器支援をしていたと考えられている[84]。これ以降、マルコスの兵はスールー諸島とミンダナオ島の反マルコス派を排除する作戦を開始した。スールー諸島とミンダナオ島では多くのインフラが破壊されてサバ州に大きな経済問題を引き起こし、ミンダナオ島から新たに推定10万のモロがサバ州への脱出を強いられた[56][85]。当時のオーストラリアの新聞によると、フィリピンに残された人々の多くは既に犯罪行為に関与しており、その主な内容は密輸と武器を使用した強盗だったという[56]

州都コタキナバル近郊、ガヤ島英語版沿岸に浮かぶモロの大集落(2007年12月5日)

未だに多くのモロがサバ州の各地に住んでおり、州都コタキナバルの他、サンダカンタワウラハダトゥラブアン島、キナルト英語版センポーナ英語版テリポク英語版などに散らばっている[86][87][88][89][90][91][92]

それに加えて、2014年時点でもサバ州の不法移民が増加し続けている主な要因に、重度の経済格差がある。王立サバ州不法移民調査委員会英語版によると、1978年以降サバ州に不法入国者が大量に流入しているのは、サバ州との経済格差が大きいからだ。サバ州と南フィリピンやインドネシアには重度の経済格差があり、十分な雇用機会や政治的安定性が不法移民流入の要因となっている。また、もう1つの主要因はサバ州の領有権に関連している。フィリピン政府はこれまでサバ州の領有権を放棄すると公式に発表したことはなく、多くのフィリピン人は未だにサバ州はフィリピンの一部だと認識している[93]後述するジャマルル・キラム3世のようにフィリピン在住のスールー王国のスルタンの末裔がサバ州の領有権を主張することもある。だが、スールー王国の公式に認められた最後のスルタンであるジャマルル・キラム2世は7人の娘がいたが息子はおらず、女性に継承権のないイスラム法においては彼の子孫は継承権を主張できない [94]

2014年サバ州東部セキュリティー司令部英語版(ESSCOM)のセキュリティー調整情報担当官(Security Coordinating Intelligence Officer)であるハシム・ジャスティン(Hassim Justin)は、汚職や違法な身分証明書の発行、地方自治体が不法居住者の集落を取り壊さなかったことが、サバ州の不法移民人口の大幅な増加を招いたとして非難した[95]。 また、サバ州東部セキュリティー地帯英語版(ESSZONE)内の共同体の指導者らも、不法移民への身分証明書交付に関与していた[96]

ロドリゴ・ドゥテルテがフィリピン大統領に就任した後、2016年9月26日時点で37人のフィリピン人がマレーシアに不法入国しようとして逮捕され、まだ数百人がスールー諸島で不法入国の機会をうかがっていると報じられた。彼らの多くはアブ・サヤフとの抗争から逃れてフィリピン南部からやってきた難民だと考えられているが、ヨーロッパでの難民流入のときのように難民と共にテロリストが流入することを警戒する意見もある。マレーシアの新聞ニュー・ストレーツ・タイムズはサバ州が新たなアブ・サヤフの拠点とされる可能性を警戒し、難民への同情はマレーシアに抗争を呼び込むと主張した[97]

フィリピン大学ミンダナオ校社会科学部の2人のフィリピン人研究者、ミフェル・ジョセフ・パルガ(Myfel Joseph Paluga)とアンドレア・マラヤ・ラグラジオ(Andrea Malaya Ragragio)の研究によると、ミンダナオ島からサバ州へ移民が殺到したのは、スールー王国のスルタンの地位を求める一部のサバ州の政治家が奨励したことが一因だった。特にUSNOのサバ州ムスリム主体の派閥とサバ人民統一戦線英語版(BERJAYA)の政権が崩壊した後にも移民の殺到はみられた[98]

襲撃のタイムライン

影響

脚注

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