ショーン・リビングストン
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ゴールデンステート・ウォリアーズでのリビングストン (2016年) | |
| ゴールデンステート・ウォリアーズ | |
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| 役職 | ディレクター |
| 基本情報 | |
| 愛称 | S-Dot |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1985年9月11日(39歳) |
| 出身地 |
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| 身長(現役時) | 201cm (6 ft 7 in) |
| 体重(現役時) | 79kg (174 lb) |
| ウィングスパン(現役時) | 211cm (6 ft 11 in)[1] |
| キャリア情報 | |
| 高校 | ピオリア高等学校 |
| NBAドラフト | 2004年 / 1巡目 / 全体4位 |
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ロサンゼルス・クリッパーズから指名 | |
| プロ選手期間 | 2004年–2019年 |
| ポジション | PG / SG |
| 背番号歴 | 14, 2, 8, 9, 34 |
| 経歴 | |
| 2004–2008 | ロサンゼルス・クリッパーズ |
| 2008–2009 | マイアミ・ヒート |
| 2009 | タルサ・66ers |
| 2009 | オクラホマシティ・サンダー |
| 2010 | ワシントン・ウィザーズ |
| 2010–2011 | シャーロット・ボブキャッツ |
| 2011–2012 | ミルウォーキー・バックス |
| 2012 | ワシントン・ウィザーズ |
| 2012–2013 | クリーブランド・キャバリアーズ |
| 2013–2014 | ブルックリン・ネッツ |
| 2014–2019 | ゴールデンステート・ウォリアーズ |
| 受賞歴 | |
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選手時代
エグゼクティブ時代
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| 通算成績 | |
| 得点 | 5,231 (6.3 ppg) |
| リバウンド | 1,989 (2.4 rpg) |
| アシスト | 2,483 (3.0 apg) |
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Stats Basketball-Reference.com | |
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Stats NBA.com | |
ショーン・パトリック・リビングストン (Shaun Patrick Livingston 1985年9月11日 - )は、アメリカ合衆国・イリノイ州出身の元バスケットボール選手。ポジションはポイントガードまたはシューティングガード。NBAデビュー以降10チーム以上を渡り歩くジャーニーマンだったが、キャリア晩年はゴールデンステート・ウォリアーズで優勝を3度経験した。
キャリア初期
イリノイ州の高校時代は "マジック・ジョンソンの再来" と騒がれた選手で、NBAでもその名を残すだろうと注目されていた。高校卒業後はデューク大学への進学が内定していたが[2]、2004年のNBAドラフトにアーリーエントリーを表明し、全体4位という高い評価を受け、ロサンゼルス・クリッパーズから指名された。しかしプロの壁は高く、サム・キャセールの控え役に甘んじていた。そして2006-07シーズンの試合途中の2007年2月26日のシャーロット・ボブキャッツ戦、レイアップショットを試みた際、着地に失敗し、左脚を大きく捻り、左膝の前十字靭帯(ACL)、後十字靭帯(PCL)、内側側副靱帯(MCL)を断裂するという重傷を負った[3][4]。後のキャリアを含めても自身最高の成績を残していた最中での不運であった。翌シーズンは全休となり、不本意な形でクリッパーズを追われた[5]。
その後はリハビリにはげみつつ、リビングストンの膝の状態を危惧する各チームが長期的な契約を躊躇い、リビングストンはDリーグのチームも含めあらゆるチームをたらい回しにされる日々が続いた。
リビングストンにとって転機になったのは2013-14シーズン。ブルックリン・ネッツと契約したリビングストンは、ガードの両ポジションをこなせる多様性をジェイソン・キッドHCに買われ、76試合に出場、54試合をスターターとして起用され、プレーオフ出場に貢献した[6]。
ゴールデンステート・ウォリアーズ
2014年7月12日、ゴールデンステート・ウォリアーズと3年1600万ドルで契約し、念願の大型契約を獲得[7][8]。ウォリアーズとの契約が彼のキャリアを大きく変える。リアンドロ・バルボサやマリース・スペイツらと共にベンチプレーヤーとしてウォリアーズの快進撃を支え、自己最多の78試合に出場。重傷を負った時には想像も出来なかったはずのNBAチャンピオンも経験した。
2015-16シーズンのプレーオフでは、怪我で欠場したウォーリアーズのエース、ステフィン・カリーの代役を見事に務め、カンファレンスファイナル進出に貢献した。スティーブ・カーHCはこのときの活躍を「我々は恵まれている、本当にラッキーだよ。ポイントガードを失い、MVPを失っても、ショーン・リビングストンを投入することができる。大したプレーヤーだ。すばらしいチームメイトでもある」と称賛した。[要出典]
そして、レブロン・ジェームズ擁するクリーブランド・キャバリアーズとのNBAファイナル第1戦では、カリー、クレイ・トンプソンの2枚看板が相手チームの厳しいディフェンスを受けて抑え込まれるなか、チームトップの20得点をあげ[要出典]チームの勝利に貢献したが、3勝4敗と優勝には届かなかった。
2016-17シーズン、引き続きカリーのバックアップポイントガードとして活躍し、2年ぶりの優勝に貢献。オフには3年2400万ドルで再契約した。[要出典]
2017-18シーズンも優勝し2連覇達成。
2018-2019シーズン後に引退の噂が流れるも現役を続行することを公表した。
チームのキャップスペースなどの問題で2018-2019シーズン後ジャーニーマンながら5シーズン過ごしたゴールデンステート・ウォリアーズを解雇された。
2019年9月13日、正式に引退を表明した。
引退後
2020年9月15日、現役時代の晩期を過ごしたゴールデンステート・ウォリアーズのフロントスタッフ入りすることを発表[9]。
2022年、NBAファイナルでボストン・セルティックスを破り、選手時代含め自身4度目のNBA王者となった。
2023年6月20日、家族との時間を増やしたいという理由でウォリアーズの職務を退任。