ジェノヴァ市電900形電車
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| ジェノヴァ市電900形電車 | |
|---|---|
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現存する900形(2017年撮影) | |
| 基本情報 | |
| 製造所 | UITE、アンサルド、ピアッジオ、バニャーラ工場 |
| 製造年 | 1939年 - 1940年 |
| 製造数 | 100両(900 - 999) |
| 運用終了 | 1966年 |
| 投入先 |
ジェノヴァ市電 ベオグラード市電(売却先) |
| 主要諸元 | |
| 編成 | ボギー車 |
| 軸配置 | Bo'Bo' |
| 軌間 | 1,000 mm |
| 起動加速度 | 2.0 m/s2 |
| 車両定員 | 111人(着席23人) |
| 車両重量 | 18.6 t |
| 全長 | 13.562 mm |
| 全幅 | 2,150 mm |
| 全高 | 3,123 mm |
| 車輪径 | 660 mm |
| 固定軸距 | 1,800 mm |
| 台車中心間距離 | 6,950 mm |
| 主電動機出力 | 45 hp (34 kW) |
| 出力 | 180 hp (130 kW) |
| 備考 | 主要数値は[1][2][3][4][5]に基づく。 |
ジェノヴァ市電900形電車(ジェノヴァしでん900がたでんしゃ)は、かつてイタリアの都市・ジェノヴァに存在した路面電車(ジェノヴァ市電)へ導入された車両。流線形の車体を始めとした新機軸の要素を多数導入した車両で、「ジェノヴァ(Genova)」もしくは「リットリーナ(Littorina)」という愛称でも呼ばれ、ジェノヴァ市電が廃止された1966年まで使用された[1][2][3]。
ジェノヴァ市電の近代化を目的に、当時市電を運営していたイタリア電気軌道連合(Unione Italiana Tramways Elettrici、UITE)が主導となって開発が実施された形式。プロジェクトを主導したのは同社のゼネラルディレクターであり技術者でもあったジュゼッペ・バルビエリ(Giuseppe Barbieri)であった[注釈 1][1][6]。
1930年代に全世界的に流行した流線形のデザインを採用した全溶接式の車体を有し、軽量車体や高い加速性能(2.0 m/s2)、電空併用ブレーキやカルダン駆動方式の採用などの新機軸の要素を備え、運転の容易さで従業員から、乗り心地の良さで利用客から、双方とも高い評価を得た。車体は両運転台式・両方向型で、ループ線が存在しなくても使用可能である利点が存在した[1][7][5][2][3]。
1939年に製造された試作車(900)の実績や好評を受け、同年から1940年にかけて99両の量産車(901 - 999)の導入が実施された。製造はUITEの自社工場に加え、アンサルド、ピアッジオ、バニャーラ工場も手掛けており、これらは試作車も含めてCGE製(900 - 949)およびTIBB製(950 - 999)の制御装置と、TIBBが製造したブリルタイプの台車を搭載していた[1][2][3][8]。
ただし、これらの車両のうち6両(984 - 989)については1940年にブレーダへ売却されたため、同年以降ジェノヴァ市電で使用された車両は94両(900 - 983、990 - 999)となった。また、残存車両のうち1両(995)は第二次世界大戦中の1944年の空襲により破壊されたため、戦後に右側3箇所に扉を有する片運転台車両として復旧し、速度制御方式も他車とは異なるものとなった[1][4][2][3]。
その後もジェノヴァ市電各地で使用が続いた900形であったが、1964年以降本格的に実施されたジェノヴァ市電の路線網の撤去と共に廃車が進められた。そして1966年12月27日の深夜(午前4時)、900形の1両(935)が車庫へ戻って来たのを最後に、ジェノヴァ市電は全ての営業運転を終了した。この時点で営業運転に使用されていたのは30両程であった[1]。
廃車後はほとんどの車両が解体されたが、1両(973)のみ現存しており、2014年時点ではジェノヴァのカンピ地区の屋外に放置状態で置かれているのが確認されている。この車両は1980年代の一時期、路面電車を運営していたジェノヴァ交通輸送会社(Azienda Mobilità e Trasporti、AMT)によって保管されていた事があり、その際に車両番号が「900」へ変更されている[1][4]。

