ジェフ・マローン
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 引退 | |
|---|---|
| ポジション | SG |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
|
| 生年月日 | 1961年6月28日(63歳) |
| 出身地 | アラバマ州モービル |
| 身長(現役時) | 193cm (6 ft 4 in) |
| 体重(現役時) | 93kg (205 lb) |
| キャリア情報 | |
| 出身 | ミシシッピ州立大学 |
| NBAドラフト | 1983年 / 1巡目 / 全体10位 |
|
ワシントン・ブレッツから指名 | |
| 選手経歴 | |
| 1983-1990 1990-1994 1994-1995 1996 |
ワシントン・ブレッツ ユタ・ジャズ フィラデルフィア・76ers マイアミ・ヒート |
| 指導者経歴 | |
| 2000 2001-2005 2005-2006 |
サンディエゴ・スティングレイズ コロンバス・リバードラゴンズ フロリダ・フレイム |
| 受賞歴 | |
| |
|
Stats Basketball-Reference.com | |
ジェフリー・ナイジェル・マローン (Jeffrey Nigel Malone, 1961年6月28日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手、指導者。身長193cm、体重93kg。ポジションはシューティングガード。
アラバマ州モービルで生れたマローンは、ミシシッピ州立大学で通算2,142得点の学校記録を樹立した。4年次には平均26.8得点をあげてカンファレンス年間最優秀選手に選ばれている。
1983年、マローンはNBAドラフト全体10位でワシントン・ブレッツに入団した。1年目はシックスマンとして平均12.1得点を記録し、オールルーキー1stチームに選出された。シーズン中に行われたデトロイト・ピストンズ戦では、2点ビハインドで迎えた試合時間残り1秒で、大きく態勢を崩しながら放ったスリーポイントシュートが見事に決まり、チームを劇的な逆転勝利に導いた。このショットはNBA史に残るクラッチプレーとして非常に有名である。
マローンはプロ3年目の1985-86シーズンから不動の先発となり、チームトップの平均22.4得点をあげて自身初のオールスター出場を果たした。翌1986-87シーズンも平均22.0得点で2年連続のオールスターに選ばれている。マローンはリーグを代表するスコアリングガードとなった一方、プレーオフではデビューから5年連続で1回戦敗退に終るなど苦しんだ。1989-90シーズンにはキャリアハイとなる平均24.3得点を記録したがチームの衰退は止まらず、マローンはこの年限りでユタ・ジャズにトレードされた。ブレッツで記録した通算11,083得点は球団史上3位の数字である。
ジャズではカール・マローン、ジョン・ストックトンとともにオフェンスの中心を担った。移籍1年目の1990-91シーズンにはリーグ2位のフリースロー成功率.917を記録した。翌1991-92シーズンは平均20.2得点の好成績を残し、球団史上初となるカンファレンス決勝進出に大きく貢献した。1994年にジェフ・ホーナセックとの交換でフィラデルフィア・76ersに移籍し、1995-96シーズン途中で76ersを解雇され、シーズン終了までマイアミ・ヒートに移籍した。その後はギリシャのプロリーグで短期間プレーした後、1997年に現役を引退した。
NBAでの成績は、905試合の出場で通算17,231得点(平均19.0得点)であった。
引退後、マローンはNBA下部組織であるDリーグなどでヘッドコーチとして指揮を執った。
バラク・オバマ政権で司法長官を務めたエリック・ハンプトン・ホルダーの妻は、マローンの叔母にあたる。