ジャジル

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欧字表記 Jazil[1]
性別 [1]
ジャジル
ベルモントステークス出走時
(2006年6月10日)
欧字表記 Jazil[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 2003年2月11日[1]
死没 2014年10月11日(11歳没)[2]
Seeking the Gold[1]
Better Than Honour[1]
母の父 Deputy Minister[1]
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国[1]
生産者 スカラ・グレン・ステイブル[1][3]
馬主 シャドウェル・ステイブル[1][3]
調教師 キアラン・マクローリンアメリカ[1][3]
競走成績
生涯成績 11戦2勝[1]
獲得賞金 $890,532[3][2]
勝ち鞍
GIベルモントステークス2006年
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ジャジル (Jazil) [1][4]とは、アメリカ合衆国競走馬種牡馬。主な勝ち鞍に2006年ベルモントステークス

  • 特記事項なき場合、本節の出典はEQIBASE[3]

1歳時の2004年に、キーンランドセプテンバーイヤリングセールでシェイク・ハムダンが率いるシャドウェル・エステート・カンパニーに725000ドルで落札される[2][4]2005年10月23日にベルモントパーク競馬場のメイドン競走でデビューし6着に終わり、3戦を要して初勝利を挙げる。年明けて2006年ガルフストリームパーク競馬場のアローワンス競走を3歳の始動戦としてコリンシアンの2着に入り、ファウンテンオブユースステークスはファーストサムライの7着に終わるも、ウッドメモリアルステークスでボブアンドジョンの2着に巻き返す。アメリカ三冠路線に乗り込み、第1戦のケンタッキーダービーではバーバロの4着に入る[4]。第2戦プリークネスステークスには出走せず第3戦のベルモントステークスに直行し、レースでは3コーナーから押し切ってブルーグラスキャットの追撃を振り切り優勝[4]。鞍上のフェルナンド・ハラはGI初制覇かつ1978年アファームドで優勝したスティーブ・コーゼン以来の18歳のベルモントステークス優勝騎手となった[4][5]。次走としてトラヴァーズステークスが目標に掲げられたが[6]、その矢先に右後脚に故障が判明してトラヴァーズステークスからジョッキークラブゴールドカップステークスに目標が切り換えられたものの[7]、結局残るシーズンは休養に充てられた[2]。翌2007年に復帰して3戦するも良績なく、現役を引退した[8]

競走成績

以下の内容は、EQIBASE[3]の情報および記載法に基づく。

出走日競馬場競走名距離頭数枠番
(PP)
馬番
(Pgm)
着順騎手斤量(lb./kg換算)タイム着差勝ち馬/(2着)馬
2005.10.23 ベルモントパーク メイドン ダ5.5f 8 5 5 6着 F. ハラ 119/54 (15馬身3/4) Noonmark
11.12 アケダクト メイドン ダ7f 11 7 1A 2着 F. ハラ 120/54.5 (ハナ) Stepperwolfer
12.7 アケダクト メイドン ダ8f 6 6 1A 1着 F. ハラ 120/54.5 1:47.43 アタマ (Tasteyviile)
2006.2.2 ガルフストリームパーク アローワンス ダ9f 8 3 3 2着 C. ヴェラスケス 120/54.5 (3/4馬身) Corinthian
3.4 ガルフストリームパーク ファウンテンオブユースS G2 ダ9f 10 4 4 7着 C. ヴェラスケス 116/52.5 (クビ) First Samurai
4.8 アケダクト ウッドメモリアルS G1 ダ9f 9 1 1 2着 F. ハラ 123/55.5 (1馬身1/2) Bob and John
5.6 チャーチルダウンズ ケンタッキーダービー G1 ダ10f 20 1 1 4着 F. ハラ 126/57 (9馬身1/2) Barbaro
6.10 ベルモントパーク ベルモントS G1 ダ12f 12 8 8 1着 F. ハラ 126/57 2:27.86 1馬身1/4 Bluegrass Cat
2007.1.5 アケダクト アローワンス ダ8.5f 6 6 7 2着 F. ハラ 118/53.5 (2馬身1/4) Take the Bluff
2.8 ガルフストリームパーク アローワンス ダ9f 7 6 7 2着 F. ハラ 120/54.5 (9馬身1/2) Corinthian
4.27 キーンランド エルクホーンS G3 芝12f 12 12 12 12着 F. ハラ 118/53.5 (17馬身1/4) Ascertain

引退後

引退後はケンタッキー州レキシントンシャドウェルファーム種牡馬となった[8]。4世代で51頭の勝ち馬を送り出し、その中には重賞入着馬が複数頭含まれたが、2014年の種付料が4000ドルにまで低下するほどに種牡馬実績は高くはなかった[2]2014年10月11日、放牧地でのケガがもとで、11歳の若さで死を迎えた[2][9]

血統表

脚注

外部リンク

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