ジャスティン・ヒューバー

オーストラリアの野球選手 (1982 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

ジャスティン・パトリック・ヒューバーJustin Patrick Huber, 1982年7月1日 - )は、オーストラリア連邦ビクトリア州メルボルン出身の元プロ野球選手内野手)。

生年月日 (1982-07-01) 1982年7月1日(43歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
200 lb =約90.7 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
ジャスティン・ヒューバー
Justin Huber
広島東洋カープでの現役時代
(2010年)
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地 ビクトリア州メルボルン
生年月日 (1982-07-01) 1982年7月1日(43歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 2000年 アマチュア・フリーエージェント
初出場 MLB / 2005年6月21日
NPB / 2010年3月26日
最終出場 MLB / 2009年9月11日
NPB / 2010年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
国際大会
代表チーム オーストラリアの旗 オーストラリア
WBC 2006年2009年2013年
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経歴

プロ入り前

12歳で野球を始める[1]。ビクトリア州のBeacon Hill College High School を卒業した。

プロ入りとメッツ傘下時代

2000年ニューヨーク・メッツと契約してアメリカ合衆国に渡る。

2004年には、8月開催のアテネ五輪に出場するオーストラリア代表に名を連ねていたが、直前にひざを怪我したため辞退した。「ひざが反対に曲がっているのが分かった。1週間後には五輪に向けて出発する予定だったのに」と悔しがった[1]

ロイヤルズ時代

2004年7月末にトレードカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍。

2005年6月21日にメジャーデビューを果たした。同年は、25試合に出場した。

2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)オーストラリア代表に選出された[2]。この大会では、1次リーグ全3試合に出場している。 シーズンでは、2年連続で出場試合数が一桁に留まった。

2007年11月に開催された「日豪親善 野球日本代表最終強化試合」のオーストラリア代表に選出された[3]

パドレス時代

2008年3月にトレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍した。新天地での6試合目の出場となった4月20日のダイヤモンドバックス戦で、ランディ・ジョンソンから推定飛距離392フィート(約119.5メートル)のメジャー初本塁打を放った[4]

ツインズ時代

2009年2月にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ。同年3月に開催された第2回WBCオーストラリア代表に選出され[5]、2大会連続2度目の選出となった。同大会では全3試合とも4番・左翼として先発出場、10日のキューバ戦ではペドロ・ラソから中前適時打を放った。

シーズンでは、ツインズ傘下3Aで打率.273、22本塁打、76打点を記録した。また、得点圏打率は.361と勝負強さも見せ、3Aのオールスターでは4番DHを務めた。9月にツインズでメジャーに復帰した。

広島時代

2009年12月8日に広島東洋カープと、契約金550万円、年俸4000万円プラス出来高払いで1年契約を結んだ。カープの監督に就任したばかりの野村謙二郎がロイヤルズ時代のメジャーキャンプで惚れ込み、獲得に至ったという[6]

2010年は6番・一塁で開幕スタメンに名を連ねたが、開幕から不振でチャンスの場面で結果を残せなかった。4月半ばにはスタメンから外れるようになり、同月末には一軍登録を抹消された。二軍への合流はひざ痛のために6月まで遅れたものの、直後の12日に栗原健太が離脱したことで一軍に復帰[7]。栗原の代役として4番を務め、6月27日の中日戦で、得点圏では21打数目にして漸く初めてタイムリーを打った。だが、調子は上向かず、夏場には岩本貴裕と一塁で併用され、若い岩本が結果を出すことで徐々に相手の先発投手関係なくスタメンを外れるようになった。右の代打の層が薄いこともあってシーズンのほとんどを一軍で過ごし、チームのBクラスが決定してからも起用されたが、得点圏では48打数7安打(.148)とチャンスでの凡退が多く、シーズンを通して低調な働きに終わり、1年で解雇となった[8]

ツインズ傘下時代

2010年11月20日に古巣ツインズとマイナー契約を結んだ[9]

独立リーグ時代

2011年4月18日に独立リーグであるアトランティックリーグサマセット・パトリオッツと契約した[10]

パトリオッツ退団後

2012年オーストラリアン・ベースボールリーグメルボルン・エイシズに所属した。

2013年3月に開催された第3回WBCオーストラリア代表に選出され[11]3大会連続3度目の選出となった。

2015年に現役を引退し、メルボルン・エイシズのゼネラルマネージャー(GM)に就任した[12]

2017年10月にベースボール・ビクトリアのGMに就任した[13]

プレースタイル・人物

ヒューバーの応援歌には地方ごとにバージョンがあり、その地方の方言を織り込んだものであった。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
















































O
P
S
2005 KC 2585786173002060001501201.218.271.256.527
2006 511101210031100010040.200.273.300.573
2007 810102100010000000020.100.100.100.200
2008 SD 3367615153022480010302190.246.303.393.696
2009 MIN 1220100010000000001.500.500.5001.000
2010 広島 802091772039707671700002507426.220.340.379.718
MLB:5年 72175161143670249151011903452.224.276.304.580
NPB:1年 802091772039707671700002507426.220.340.379.718
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表彰

MiLB

記録

MiLB
NPB

背番号

  • 16 (2005年)
  • 7 (2006年)
  • 26 (2007年)
  • 30 (2007年)
  • 26 (2008年)
  • 11 (2010年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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