スコット・マクレーン
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 |
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| 生年月日 | 1972年5月19日(53歳) |
| 身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 220 lb =約99.8 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 三塁手、一塁手、左翼手 |
| プロ入り | 1990年 MLBドラフト22巡目 |
| 初出場 |
MLB / 1998年5月14日 NPB / 2001年3月24日 |
| 最終出場 |
MLB / 2008年9月26日 NPB / 2009年10月5日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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スコット・マイケル・マクレーン(Scott Michael McClain , 1972年5月19日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(内野手)。愛称は「マック」など。
1990年のMLBドラフト22巡目でボルチモア・オリオールズに指名され契約。ニューヨーク・メッツを経て、1998年にタンパベイ・デビルレイズでメジャーデビュー。
1999年オフに解雇された。2000年はコロラド・ロッキーズ傘下のマイナー球団であるAAA級コロラドスプリングスでプレーした。
2000年12月6日、NPBの西武ライオンズがマクレーンとアレックス・カブレラの獲得を発表した[1]。年俸はマクレーンが1億円+出来高払い3000万円、カブレラは1億5000万円+出来高払い5000万円であり、マクレーンは三塁手、カブレラは一塁手か指名打者として起用する構想だった[1]。背番号は3[2]。当時の監督は東尾修だった。西武はマクレーンとカブレラが加入するまで、数年間打線の破壊力を欠いていたことが課題とされていたが、2001年シーズンはマクレーンが39本塁打・87打点、カブレラは49本塁打・124打点と本塁打を量産し、打線を牽引した[3]。この2人のコンビはツイン・バズーカと称された。
2002年は飛躍が期待されたが手首の故障でシーズンの大半を棒に振った。
2003年は26本塁打を放つも、外角の変化球に弱いという弱点を覚えられたことで.225の低打率にあえぎ、ホセ・フェルナンデスと入れ替わりで西武を解雇された。
2004年はシカゴ・カブスとマイナー契約を結び、オープン戦で24試合に出場して打率.348、6本塁打の成績を残していたが[4]、同年3月16日の大阪近鉄バファローズとのオープン戦でカブレラが死球を受けて右前腕尺骨を骨折し、復帰が7月以降となることが見込まれたため、西武はマクレーンと契約金・年俸の合計年俸6000万円で1年契約を結び、同年4月4日にマクレーンの再獲得を発表した[5]。二軍では23本塁打を放ってイースタン・リーグ本塁打王に輝き格の違いを見せたものの、一軍では打率.181、4本塁打にとどまり同年限りで再び放出された。なお、この年のマクレーンは背番号「00」を使用したが、この数字が使われたのは西武ライオンズ球団史上初だった。
2005年はカブスで7年ぶりのメジャー復帰を果たした。
2006年はオークランド・アスレチックス傘下のAAA級サクラメントで28本塁打、107打点を記録し、パシフィックコーストリーグのMVPに選ばれた。
2007年にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約し、メジャー昇格を果たす。
2008年はAAA級フレズノで打率.300、29本塁打、108打点を記録。そしてシーズン終盤にメジャーに昇格し、9月3日の対コロラド・ロッキーズ戦でプロ19年目、36歳にしてメジャー初本塁打を放った。なお同年6月ごろには広島東洋カープが獲得調査を行っていたが[6]、同年は入団しなかった。
2009年にAAA級フレズノを経て、4月27日に広島と年俸2000万円の1年契約で合意し、5月1日に入団会見を行った[7]。翌5月2日の対東京ヤクルトスワローズ4回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では5番・左翼手でスタメン出場し、2点差で迎えた6回裏に一場靖弘から左翼席へ飛び込む移籍後初本塁打を放った[8]。8月27日の対ヤクルト戦ではハーフスイングをとられて怒り、球審の牧田匡平に侮辱発言をしたためマーティ・ブラウン監督と共に退場になった。栗原健太に次ぐチーム2位の18本塁打を記録したものの好不調の波が激しく、同年限りで退団となった。
2010年にカブスとのマイナー契約を経て、カブスのスカウトとなった。同年オフ、広島の駐米スカウトに就任。主にアメリカ東部地区を担当する[9]。
人物
三塁守備で堅実なグラブ捌きや強肩を見せていた。なお、西武在籍時代は、勝ち試合では終盤ほとんど上田浩明を守備固めとして送られている。西武ライオンズ在籍時にはアレックス・カブレラ欠場時に一塁を守ることもあった。
帰国後の2006年、AAA級で松井稼頭央は別チームに所属するマクレーンに会う機会があった。松井はマクレーンとは西武時代に代官山で食事をしたり、マクレーンの住むフロリダに遊びに行ったりしていたことがあるとの事。松井自身のブログによると娘が生まれたという。また、ブログに掲載された写真を見ると「マクレーン」と青糸で刺繍されたミズノのグラブをアメリカでも使用していたことが分かる。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998 | TB | 9 | 23 | 20 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 6 | 0 | .100 | .217 | .100 | .317 |
| 2001 | 西武 | 135 | 566 | 481 | 77 | 119 | 28 | 0 | 39 | 264 | 87 | 3 | 3 | 0 | 4 | 78 | 6 | 3 | 142 | 12 | .247 | .353 | .549 | .902 |
| 2002 | 19 | 72 | 63 | 6 | 15 | 4 | 0 | 2 | 25 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | 1 | 20 | 0 | .238 | .333 | .397 | .730 | |
| 2003 | 131 | 484 | 418 | 55 | 94 | 19 | 0 | 26 | 191 | 69 | 2 | 3 | 0 | 2 | 64 | 6 | 0 | 103 | 6 | .225 | .326 | .457 | .783 | |
| 2004 | 35 | 85 | 76 | 10 | 14 | 1 | 0 | 4 | 27 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 1 | 19 | 4 | .184 | .271 | .355 | .626 | |
| 2005 | CHC | 13 | 16 | 14 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | .143 | .250 | .214 | .464 |
| 2007 | SF | 8 | 11 | 11 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .182 | .182 | .182 | .364 |
| 2008 | 14 | 38 | 33 | 7 | 9 | 1 | 0 | 2 | 16 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 8 | 0 | .273 | .368 | .485 | .853 | |
| 2009 | 広島 | 114 | 447 | 401 | 43 | 98 | 18 | 0 | 18 | 170 | 52 | 1 | 2 | 0 | 1 | 43 | 1 | 2 | 107 | 8 | .244 | .320 | .424 | .744 |
| MLB:4年 | 44 | 88 | 78 | 11 | 15 | 2 | 0 | 2 | 23 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 9 | 0 | 1 | 18 | 1 | .192 | .284 | .295 | .579 | |
| NPB:5年 | 434 | 1654 | 1439 | 191 | 340 | 70 | 0 | 89 | 677 | 223 | 6 | 9 | 0 | 7 | 201 | 14 | 7 | 391 | 30 | .236 | .331 | .470 | .802 | |
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:2001年3月24日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(西武ドーム)、6番・三塁手として先発出場
- 初安打・初打点:2001年3月25日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(西武ドーム)、4回裏にネイサン・ミンチーから適時二塁打
- 初本塁打:2001年3月28日、対オリックス・ブルーウェーブ2回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回表に小倉恒から
背番号
- 20 (1998年)
- 3 (2001年 - 2002年)
- 44 (2003年)
- 00 (2004年)
- 9 (2005年)
- 8 (2007年)
- 29 (2008年)
- 90 (2009年)