スプリングフィールド (オレゴン州)

From Wikipedia, the free encyclopedia

スプリングフィールド
Springfield
サザン・パシフィック鉄道のスプリングフィールド駅
サザン・パシフィック鉄道のスプリングフィールド駅
位置
レーン郡内の位置の位置図
レーン郡内の位置
座標 : 北緯44度3分11秒 西経122度59分28秒 / 北緯44.05306度 西経122.99111度 / 44.05306; -122.99111
歴史
1885年
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
  オレゴン州の旗 オレゴン州
  レーン郡
  スプリングフィールド
Springfield
市長 クリスティーヌ・ルンドバーグ[1]
地理
面積  
  市域 37.3 km2 (14.4 mi2)
    陸上   37.3 km2 (14.4 mi2)
    水面   0.0 km2 (0.0 mi2)
      水面面積比率     0.0%
標高 138.4 m (454 ft)
人口
人口 (2020年現在)
  市域 61,851人
  備考 [2]
その他
等時帯 太平洋標準時 (UTC-8)
夏時間 太平洋夏時間 (UTC-7)
公式ウェブサイト : City of Springfield

スプリングフィールド: Springfield)は、アメリカ合衆国オレゴン州レーン郡に位置する都市である[3]ウィラメットバレー南部に位置し、ユージーン・スプリングフィールド都市圏に属している。この都市圏の中では州間高速道路5号線を隔てて西にあるユージーン市の次に人口の多い都市である。人口は6万1851人(2020年)。

開拓者ブリッグス家が1848年にこの地域に到着したのが始まりだった。1885年には市制を布いた。市名は現在の市域内にある草原すなわちプレーリーにある自然の泉に因んで名付けられた。市の経済は昔から資源依存型だったが、1990年代以降は現在市内最大の雇用主であるピースヘルスができて多様化された。市内の公共教育はスプリングフィールド教育学区が管轄している。市の出身者として最も有名な者は『カッコーの巣の上で』の作家ケン・キージーである。

スプリングフィールドの町はエリアス・ブリッグスとメアリー・ブリッグスの一家が1848年に到着した時から開拓された。彼等はクラマス湖を過ぎてカスケード山脈を越え、ローグバレーから北のウィラメットバレーに入ってくるという、いわゆる「南ルート」を通ってこの地域に来た最初の隊に混じっていた[4]。エリアスはウィリアム・スティーブンスと共に、近くのウィラメット川で渡し船を運航した。

土地の登記記録に拠れば、スティーブンスが1847年10月にスプリングフィールドに到着して最初に権利を登録した開拓者となっている。スティーブンスは年長の息子3人と共に家の建設を初め、それが12月に完成すると、クリスマスの日に家族の残りが合流した。

スプリングフィールド近郷に到着したもう一人の開拓者はフェリックス・スコット・シニア大尉であり、1847年にマッケンジー川とウィラメット川の間に入植した。

1854年スプリングフィールド教育学区第19号が結成された。南7番通りとB通りの角近くに小さな校舎が建設された。この学校は1880年代まであった。ペンシルベニア州から来た若い女性のアグネス・スチュワートが最初の教師になった。彼女は1853年のロストワゴン・トレインによってスプリングフィールドに到着していた。

1871年、オレゴン・カリフォルニア鉄道の本線がスプリングフィールドを迂回してユージーンに通った。ユージーンの著名事業家の集団が、鉄道の資本家ベン・ホラデイに4万ドルを払い、ウィラメット川を渡る地点をスプリングフィールドではなくハリスバーグの近くにさせた。この時から両市のライバル関係が始まり今日に続いている。

スプリングフィールドの町は1885年に市制を布いた。町の鍛冶屋アルバート・ウォーカーが初代市長になった。

オレゴン市民同盟の運動が行われた後の1992年5月、スプリングフィールド市はその市民憲章に反LGBT条令を入れたことではアメリカ合衆国で最初の都市になった[5]。しかしその後成立した州法で反LGBT条令を執行してはならないものとされた[6]

経済

スプリングフィールド市の経済は長年製材業に依存してきており、最大の雇用主はウェアーハウザー社だった。ウェアーハウザー社は1949年にスプリングフィールドにその工場を開設して積極的に事業展開したが、老齢樹の材料が入手し難くなって事業縮小を強いられた。1990年代に製材とベニア板工場が閉鎖され、製紙工場は縮小された。現在の市はより多様化された経済を開発中であり、最大雇用主は近年に新しい病院であるセイクリッドハート・リバーベンド医療センター、マッケンジー・ウィラメット医療センターおよびピースヘルス研究所を開設したピースヘルスとなっている。

ケン・キージーの兄弟であるチャックとその妻スーが1960年にスプリングフィールド・クリーマリーを起業し、ナンシー・ハムレンのレシピを使って開発した基幹商品「ナンシーのヨーグルト」の売上げが寄与したこともあって今日まで事業を継続している。1970年代、この乳製品製造所は、ロックバンドの「グレイトフル・デッド」が10回連続の慈善コンサートを開催したことのお陰で破産の危機を回避した。

スプリングフィールド市はハシバミヘーゼルナッツ)の果樹園に囲まれている。果樹園が住宅地に転換されるにつれてその生産量は減少してきた。近年まで市は夏祭りとして毎年8月初旬にハシバミ祭を後援してきており、音楽、食事および家族向け行事が行われていた。この行事は2007年に主たるスポンサーが降りたことで中断され、将来再開されるかは不確実になっている。ハシバミの収穫は10月に行われ、ウィラメットバレーだけで全米生産量の98%を生産している[7]

医療

市内にはマッケンジー・ウィラメット医療センターおよびピースヘルスのセイクリッドハート・リバーベンド医療センターという2つの総合病院がある。

市政府

スプリングフィールド市は市政委員会・シティマネジャー方式を採用している。現市長はクリスティーヌ・ルンドバーグであり[1]、現シティマネジャーはジーノ・グリマルディである[8]。市政委員会は6つの選挙区から選ばれた委員で構成されている[9]

公衆安全

市の治安はスプリングフィールド警察署が担当している[10]。スプリングフィールド消防救急部は資産と人命を守り、市民の環境を保護している。

地理

ゲイトウェイ・モール

スプリングフィールドは北緯44度3分11秒 西経122度59分28秒 / 北緯44.05306度 西経122.99111度 / 44.05306; -122.99111座標: 北緯44度3分11秒 西経122度59分28秒 / 北緯44.05306度 西経122.99111度 / 44.05306; -122.99111に位置する[11]アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は14.4平方マイル (37.3 km2)であり、全て陸地である。標高は454フィート (138.4 m) である。 マッケンジー川が市境北側を通っている。

地区

市内に公式の地区指定は無いが、非公式の地区は以下の通りである。

  • ゲイトウェイ地域
  • グレンウッド
    • スプリングフィールド・ジャンクション
  • ノーススプリングフィールド
  • サーストン
  • ウォッシュバーン歴史地区、国立歴史史跡に指定

人口動態

人口推移
人口
1860198
18702001.0%
1880160−20.0%
1890371131.9%
1900353−4.9%
19101,838420.7%
19201,8550.9%
19302,36427.4%
19403,80561.0%
195010,807184.0%
196019,61681.5%
197027,04737.9%
198041,62453.9%
199044,6837.3%
200052,86418.3%
201059,40312.4%
202061,8514.1%
source:[12][13][14]

以下は2000年の国勢調査による人口統計データである。

基礎データ

  • 人口: 52,864人
  • 世帯数: 20,514世帯
  • 家族数: 13,477家族
  • 人口密度: 1,417.4人/km2(3,670.7人/mi2
  • 住居数: 21,500軒
  • 住居密度: 576.5軒/km2(1,492.9軒/mi2

人種別人口構成

年齢別人口構成

  • 18歳未満: 27.2%
  • 18-24歳: 11.1%
  • 25-44歳: 31.4%
  • 45-64歳: 19.9%
  • 65歳以上: 10.3%
  • 年齢の中央値: 32歳
  • 性比(女性100人あたり男性の人口)
    • 総人口: 95.8
    • 18歳以上: 92.5

世帯と家族(対世帯数)

  • 18歳未満の子供がいる: 35.3%
  • 結婚・同居している夫婦: 45.7%
  • 未婚・離婚・死別女性が世帯主: 14.3%
  • 非家族世帯: 34.3%
  • 単身世帯: 25.4%
  • 65歳以上の老人1人暮らし: 7.8%
  • 平均構成人数
    • 世帯: 2.55人
    • 家族: 3.03人

収入

収入と家計

  • 収入の中央値
    • 世帯: 33,031米ドル
    • 家族: 38,399米ドル
    • 性別
      • 男性: 30,973米ドル
      • 女性: 22,511 米ドル
  • 人口1人あたり収入: 15,616米ドル
  • 貧困線以下
    • 対人口: 17.9%
    • 対家族数: 14.8%
    • 18歳未満: 23.5%
    • 65歳以上: 9.8%

芸術と文化

図書館

スプリングフィールド公共図書館は市役所の中にあり、スプリングフィールド市民の用に供している[15]

催事場

スプリングフィールド中心街メインストリートにあるリチャード・E・ウィルディッシュ・コミュニティシアターは、昔のマッケンジー劇場を全面的に改装したものであり、2006年12月に再開された。観客席数は284席であり、音楽演奏会やリサイタル、ダンス、劇、祝祭行事および小さなミュージカルのために設計されている。スプリングフィールド・ルネッサンス開発会社が改修計画を推進し310万ドルを掛けて完成させた。

教育

スプリングフィールド教育学区には小学校15校、中学校5校、高校4校があり、州内でも最大級の教育学区になっている[16][17]。生徒数最大の高校はサーストン高校とスプリングフィールド高校である。パイオニア・パシフィック・カレッジがスプリングフィールド市ゲイトウェイ地区にキャンパスを構えている[18]

著名な住人

著作家のケン・キージーは幼い頃にスプリングフィールドに引っ越してきて、スプリングフィールド高校を卒業し、近くのオレゴン大学に進んだ。何年間かの放浪(その様子はトム・ウルフの『The Electric Kool-Aid Acid Test』(『クール・クール LSD交感テスト』)に詳しい)後、プレザントヒルの近くで農園を購入し、2001年に死ぬ時まで地元の著名人だった。

その他、市の出身者には以下の者がいる。

大衆文化の中で

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI