セルヴェル・ジェパロフ

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ラテン文字 Server Djeparov
キリル文字 Сервер Жепаров
生年月日 (1982-10-03) 1982年10月3日(43歳)
セルヴェル・ジェパロフ
名前
ラテン文字 Server Djeparov
キリル文字 Сервер Жепаров
基本情報
国籍 ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン
生年月日 (1982-10-03) 1982年10月3日(43歳)
出身地 ウズベク・ソビエト社会主義共和国 チルチク
身長 178cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF (OMF)
利き足 左足
ユース
1997-2000 ウズベキスタンの旗 ナフバホール・ナマンガン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2001 ウズベキスタンの旗 ナフバホール・ナマンガン 46 (7)
2001-2007 ウズベキスタンの旗 パフタコール・タシュケント 96 (60)
2007-2010 ウズベキスタンの旗 ブニョドコル 46 (38)
2010 大韓民国の旗 FCソウル (loan) 14 (1)
2011 大韓民国の旗 FCソウル 15 (0)
2011-2013 サウジアラビアの旗 アル・シャバブ 25 (4)
2013-2015 大韓民国の旗 城南FC 55 (13)
2015 大韓民国の旗 蔚山現代 22 (6)
2016-2017 ウズベキスタンの旗 ロコモティフ・タシュケント 23 (7)
2017 イランの旗 エステグラル 8 (1)
2017 イランの旗 セパハン (loan) 10 (1)
2018 カザフスタンの旗 ジェティス 5 (1)
2019 ウズベキスタンの旗 メタルルグ・ベカバード 0 (0)
代表歴
2002-2017 ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン 128 (25)
監督歴
2022 ウズベキスタンの旗 ロコモティフ・タシュケント
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

セルヴェル・ジェパロフウズベク語: Server Djeparov1982年10月3日 - )は、ウズベキスタンタシュケント州チルチク出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元ウズベキスタン代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー

Kリーグ時代の登録名はジェパロフハングル: 제파로프)[1]アジア年間最優秀選手賞を2008年、2011年と2度受賞した選手である[2]

クラブ

1982年10月3日にチルチクで生まれた。15歳でPFCナフバホール・ナマンガンのユースに加入した。2000年にトップチームに昇格し、46試合7得点の成績を残した。

2002年にFCパフタコール・タシュケントに移籍し96試合34得点の活躍。2002年から2007年にかけてウズベク・リーグウズベキスタン杯を6連覇した。

2008年にFCブニョドコルに移籍。初シーズンで19得点を獲得しリーグ得点王に輝いた。またこれによってクラブも史上初のリーグ制覇を達成し、2008年のアジア年間最優秀選手賞を受賞した。この活躍によりイングランド・プレミアリーグの強豪チェルシーFCから練習参加を打診された[3] が、AFCチャンピオンズリーグなどの試合があるため練習参加は見送られた[4]

2010年7月には本人の希望からレンタル移籍でKリーグFCソウルにシーズン終わりまで移籍。10月2日の仁川ユナイテッドFC戦で初得点を挙げた。16試合1得点7アシストの結果を残し、10年ぶりのKリーグ制覇に貢献した。2011年2月8日にFCソウルは85万米ドルとも噂される3年契約を提示し、合意した事を発表した。

しかし翌シーズンに15試合出場した後、サウジアラビアアル・シャバブ・リヤドに完全移籍する事が2011年7月9日に発表された[5]。同クラブでは活動機会の乏しさや気候の問題から上手く行かずに退団したとされている。

2013年2月には城南一和天馬に移籍[6]。2014年1月にクラブが城南FCに改名した。10番をつけていたイヴァン・ヴコヴィッチが背番号を32番に変えたため、10番を引き継いだ。

2015年に蔚山現代FCに移籍、2016年にはPFCロコモティフ・タシュケントに移籍。

2017年1月15日、エステグラルFCに移籍。2017年シーズン終了までフーラッド・モバラケ・セパハンFCに期限付き移籍。

2018年7月26日、FCジェティスに移籍。

2019年1月、PFCメタルルグ・ベカバードに移籍。

代表

2002年5月14日のスロバキア戦で代表デビューを果たした[7]。翌年の10月11日に開催された親善試合、アラブ首長国連邦戦で代表初ゴール[7]AFCアジアカップには2004年中国大会(ベスト8)、2007年東南アジア大会(ベスト8)、2011年カタール大会(4位)、2015年オーストラリア大会(ベスト8)と4大会連続で出場している[7]FIFAワールドカップのアジア予選にも2006年ドイツ大会から2018年ロシア大会まで4大会に出場したが、いずれもプレーオフないし最終予選で敗退し、本大会出場はならなかった[7]

2017年9月5日のロシアW杯アジア最終予選韓国戦が代表としての最後の登場であった[7]。15年間で通算128試合出場、25得点を記録[7]

人物

クリミア・タタール人ロシア人の血を引いており、ロシア語英語に堪能である。その一方、ウズベク語に関してはあまり話す事が出来ない。

息子にラウル・ゴンサレスから名前を取りラウルと名付けた他、娘もいる。

タイトル

脚注

外部リンク

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