タトラ T-III
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全長
5.8 m
全幅
2.6 m
重量
16.4 t
速度
35 km/h
| 性能諸元 | |
|---|---|
| 全長 | 5.8 m |
| 全幅 | 2.6 m |
| 重量 | 16.4 t |
| 速度 | 35 km/h |
| 行動距離 | 100 km |
| 主砲 | 47 mm Škoda A9a 砲 |
| 副武装 | ZB-53 機関銃 ×2 |
| 装甲 | 最大123 mm |
| エンジン |
11気筒 水冷ガソリンエンジン (276.1 bhp) |
| 乗員 | 4名 |
タトラ T-III(Tatra T-III、Typ 78)は、1930年代のチェコスロバキアで開発された中型戦車のプロトタイプである。チェコの自動車メーカーであるタトラ社が主導し、1936年に2台のプロトタイプが製造された。この戦車は、チェコスロバキア陸軍の「第III類攻撃車両」プロジェクトの一環として、スコダ社のS-IIIと競合する形で設計された。開発は信頼性の低さから失敗に終わり、生産には至らなかったが、チェコスロバキアの軍事産業史における重要な試作品として位置づけられる。
主要な開発フェーズ
チェコスロバキアの戦車開発は、第一次世界大戦後の1919年に新国家として始まり、主にŠkoda Works(プルゼニ)とČKD(Českomoravská Kolben-Daněk、プラハ)などの企業が主導した。1920年代から1930年代にかけて、外国デザインの適応から独自開発へ移行し、軽戦車やタンケッテを中心に約800輌の装甲車両を生産した。輸出(ルーマニア、ユーゴスラビア、イランなど)が資金源となり、トーションバー式サスペンションや信頼性高いエンジン(プラガ製)を特徴とした。しかし、1938年のミュンヘン協定と1939年のドイツ占領により中断され、多くの設計がWehrmachtに接収された。
- 1920年代初頭(初期実験):外国輸入とハイブリッド設計。ルノー FT-17を7輌輸入(1921-22)。スコダのKH-50/60/70(1925-30)は車輪/履帯コンバーチブル設計の軽戦車プロトタイプで、5輌生産(主に輸出)。装甲13mm、37mm砲、速度35km/h(車輪時)だが、信頼性低く軍採用されず。
- 1930年代初頭(タンケッテ時代):英国ヴィッカース・カーデン・ロイド Mk.VIをライセンス生産。Vz.33豆戦車(1933-34、74輌)は2人乗り、ZB vz. 26機関銃、30hpエンジン、速度35km/h。AH-IV(1936、157輌、輸出中心)は旋回砲塔を追加し、視界と火力を向上。
- 中盤(軽戦車開発):LT vz. 34(1932-36、50輌)は3人乗り、37mm砲、15mm装甲、Praga ANエンジン。LT vz. 35(1935-40、298輌)はŠkoda/ČKD共同、37mm Škoda A7砲、25mm装甲、速度42km/h。1938年までに140輌の軽戦車が運用され、国境警備に使用。LT vz. 38(1938、プロトタイプ接収されPz.38(t)として1,411輌生産)はクリスティ式サスペンションで信頼性高く、輸出成功。
- 後半(中型戦車への移行):カテゴリーIII(中型、16t、47mm砲、37mm装甲)のプロジェクトでŠkoda S-IIIとTatra T-IIIが競合(1934-37)。両者とも失敗し、ST vz. 39(V-8-H、1938、300輌発注も中断)が採用。T-21(Š-IIc、1939)はハンガリーにライセンス供与(Turan I)。占領後、ドイツがこれらをPoland(1939)、France(1940)、Barbarossa(1941)で使用。
- 装甲車並行開発:Škoda PA-I~IV(1923-29、43輌)とTatra T-72(1933-34、51輌)は機動性重視の偵察用。
占領の影響: 1939年3月、244輌のLT vz. 35がPz.35(t)として接収。スロバキア独立後、52輌を継承。戦後まで独立開発停止。