ライヒトゼルプストファールカノーネ

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重量 初期:4.5トン
開発中:5.3トン増加
最終:武装・装甲込み7.9トン
主砲 3.7 cm砲または7.5 cm砲(中央搭載予定)
代替:7.7 cm FK 96 L/27 n.A.野砲
乗員 3 名(操縦手、砲手、装填手)
ライヒトゼルプストファールカノーネ
性能諸元
重量 初期:4.5トン
開発中:5.3トン増加
最終:武装・装甲込み7.9トン
懸架方式 リーフスプリング方式
主砲 3.7 cm砲または7.5 cm砲(中央搭載予定)
代替:7.7 cm FK 96 L/27 n.A.野砲
乗員 3 名(操縦手、砲手、装填手)
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ライヒトゼルプストファールカノーネ(Leichte Selbstfahrkanone、略称:L.S.K.)は、1920年代後半のヴァイマル共和国期ドイツで、クルップ社が開発した試作自走砲である。

ヴェルサイユ条約による戦車開発禁止を回避するための秘密プロジェクトの一環として、軽量自走砲のシャーシを構築する目的で設計された。

第一次世界大戦中のクルップの小型突撃車(Kleiner Sturmwagen)の影響を強く受け、リアエンジン配置を採用した革新的なレイアウトを特徴とするが、サスペンションの信頼性不足などの技術的課題により、量産には至らなかった。

この車両のコンセプト、特にリアエンジン自走シャーシの設計思想は、後の小型トラクター(Kleinetraktor)プロジェクトに引き継がれ、1934年に量産されたI号戦車(PzKpfw I)の基礎を形成した。

開発経緯

1920年代中盤、ドイツ陸軍はヴェルサイユ条約の制約下で、戦車開発を「農業用トラクター」や「自走砲」などの名目で秘密裏に進めていた。

1927年10月、クルップ社は、第一次世界大戦中に自社で開発した小型突撃車(Kleiner Sturmwagen)の経験を基に、新たな自走砲マウントのプロジェクトを開始した。初期名称はモトーアラフェッテ(Motorlafette)で、後にL.S.K.(Leichte Selbstfahrkanone、軽自走砲)と改称された。

設計コンセプトの議論は約1年半に及び、リアエンジン・リアドライブ方式を採用する方向で固まった。これは、当時の標準的なフロントエンジン配置とは異なり、戦闘・操縦区画を前部に集中させる革新的なレイアウトであった。操縦席は前部右側に配置され、その直後に主砲を搭載する構造で、全体のシルエットを低く抑えることを目指した。このプロジェクトは、ラインメタル社の同時期の「ライヒトトラクトーア・ゼルプストファールカノーネ(Leichttraktor Selbstfahrlafette)」と競合関係にあり、L.S.K.の着手は「ライヒトトラクトーア(Leichttraktor)」より約6ヶ月早かった。

1929年、ドイツ陸軍から2輌の試作車製造契約がクルップ社に下りた。開発費は10,500ライヒスマルク、生産費は132,000ライヒスマルクと見積もられたが、翌年までに設計変更や材料費の高騰により総額が約170,000ライヒスマルクに膨張した。

試作車の組み立てはエッセン近郊のクルップ工場で行われ、1930年頃にクンマースドルフ射撃場での試験開始にこぎつけた。また、試験中の問題解決のため、サスペンションを改良した近代化版の開発も並行して進められた。

この時期のドイツ装甲開発は、ソビエト連邦との秘密協力(カザン実験場)のもとで進められており、L.S.K.もその一環として位置づけられた。

仕様

試験と失敗

影響

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