タニヨン・スターツ
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | マサチューセッツ州ウースター |
| 生年月日 | 1970年10月12日(54歳) |
| 身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 250 lb =約113.4 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1990年 ドラフト23巡目(全体636位)でオークランド・アスレチックスから指名 |
| 初出場 | 1995年5月3日 |
| 最終出場 | 2008年8月25日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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タニヨン・ジェームズ・スターツ(Tanyon James Sturtze, 1970年10月12日 - )は、アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ウースター出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
プロ入りとアスレチックス傘下時代
1990年のMLBドラフトでオークランド・アスレチックスから23巡目(全体636位)指名され[1]、プロ入り。
カブス時代
1994年にルール・ファイブ・ドラフトでシカゴ・カブスへ移籍した。
1995年5月3日のヒューストン・アストロズ戦でメジャーデビューを果たした。
レンジャーズ時代
1997年にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、同年はメジャーで9試合に登板した。
1998年は、メジャーに昇格する事は無く、この年限りで退団した。
ホワイトソックス時代
1999年にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、同年はメジャーで1試合に登板した。
デビルレイズ時代
2000年のシーズン途中にトニー・グラファニーノとのトレードでタンパベイ・デビルレイズへ移籍した。
2001年は、開幕からリリーフで投げていたが、5月から先発に転向した。9月25日のニューヨーク・ヤンキース戦では、7回を無失点に抑え、この年16連勝中の相手先発ロジャー・クレメンスに投げ勝った。最終的に規定投球回にも到達して自身初の二桁勝利となる11勝を挙げた。チームは100敗を喫していたが、スターツの先発試合は15勝12敗と勝ち越しており、担当記者が選ぶチームMVPを受賞した[2]。
2002年には、開幕投手を務めたが、ア・リーグワーストの18敗を喫した。この年限りで退団する。
ブルージェイズ時代
2003年は、トロント・ブルージェイズでプレーした。
ドジャース傘下時代
2004年4月にロサンゼルス・ドジャースと契約を結んだ。
ヤンキース時代
2004年5月15日にブライアン・マイローとのトレードでヤンキースへ移籍した。7月24日の主にアレックス・ロドリゲスとジェイソン・バリテックが乱闘を起こしたボストン・レッドソックス戦では、スターツは、ゲーブ・キャプラー、デビッド・オルティーズ、トロット・ニクソンにもみくちゃにされ、耳を負傷し流血した[3]。
ブレーブス傘下時代
2006年12月3日にアトランタ・ブレーブスと1年契約を結んだ。
2007年3月に15日間のDL入りをした。5月に60日間のDLに切り替わった。その後、8月21日に解雇された。
ドジャース時代
2007年12月12日にドジャースとマイナー契約を結んだ。
2008年8月14日にメジャーに昇格した。8月28日にDFAとなった。その後、マイナーに降格した。
2009年1月にマイナー契約を結び、残留した[4]。5月1日に解雇された。
引退後
その後、現役引退した。引退後は、ニューヨークにある「ホタリング・グループ」という保険会社のセールスマンを務めセカンドキャリアを築いている。