中川淳庵
1739-1790, 江戸時代中期の医者、本草学者、蘭学者。名は鱗もしくは玄鱗。字は攀卿。前野良沢・杉田玄白とともに『解体新書』を翻訳した。
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生涯
本草家としての活動
蘭学者としての活動
『解体新書』以前
同町の安富奇碩(やすとみきせき)からオランダ文字(アルファベット)を使ったいろは四十七文字(一種のローマ字)を学んだ。また、しばしばカピタンの逗留する長崎屋に訪れている。
『解体新書』翻訳
明和8年(1771年)、杉田玄白が『クルムス解剖書』(いわゆる『ターヘル・アナトミア』)を入手する仲立ちをする。同年小塚原刑場で腑分けに立ち会い、翌日から前野良沢・杉田玄白とともに翻訳作業を開始する。自らも『パルヘイン解体書』『バルシトス解体書』を所有していたことが『解体新書』に見える。安永2年(1773年)正月『解体約図』発行(校閲者として)。安永3年(1774年)8月『解体新書』出版(校者として)。
『解体新書』以降
『解体新書』上梓以降も前野良沢のもとでオランダ語の学習を進めた。安永5年(1776年)、桂川甫周とともに江戸参府中のツンベリーを訪ねる。医学・博物学について教えを受ける。ツンベリーは、淳庵はかなりよくオランダ語を話すと記している。
また、商館長イサーク・チチングへ宛てた手紙が現存しており、流麗な筆記体で書かれている。ただし岩崎克己(『前野蘭化』の著者)によると、格や活用についての理解は不十分であるとのこと。もっともこれは中川淳庵だけの問題ではなく、次世代の大槻玄沢においてもオランダ語の格・活用は完全に理解されていなかった。ちなみに、自署として"Nakagawa Sjunnan"と記されている。
『和蘭局方』(オランダの薬局方の翻訳)、『和蘭薬譜』、『五液精要』の翻訳に取りかかるも、未完のまま世を去る。
