8月25日、フリードリヒの歩兵はロシア軍の若い徴集兵のみで構成された“監視部隊”を攻撃する。プロイセン軍の砲撃は敵歩兵に甚大な被害を与えるが、砲撃による砂埃で視界が悪化し、その後の歩兵隊による攻撃は見当違いな敵部隊と接触した。ロシア軍の反撃によってプロイセン歩兵は総崩れになり、森の中へ一斉に逃げ込んだ。ロシア軍の歩兵と騎兵はそれを全力で追撃するが、高名なザイトリッツのプロイセン騎兵隊は敵の長く伸びた戦線の側面を突き、逆にロシア軍を押し返した。
その後の戦いで両軍は早くも弾薬が尽き、視界が最悪な中で白兵戦に突入する。ワイン樽の補給物資を守るように命令されたロシア軍の派遣部隊が泥酔するまで飲み続けるという場面もあった。幾つかのプロイセン軍大隊が疲労の兆しを見せると、フリードリヒ自ら彼らを率いて突撃した。戦いは18世紀のこの時期でもっとも血みどろの戦いとなった。あるプロイセン軍の士官は「ロシア兵の体が戦場で列になって積み重なっていた。ロシア軍の砲兵は我々のサーベルによって切り刻まれている間も大砲にキスし、一向に退却する兆しを見せなかった」と述べている。戦いの後、フリードリヒは有名な言葉を残している:「ロシア人を殺すのは味方に引き入れるよりも簡単だ」。