戦闘はツィーテン隊からの準備砲撃によって開始され、オーストリア軍も反撃した。遠く離れた場所に居たフリードリヒはこれを両軍の全面衝突と誤解し(当時は有効な通信手段がないので無理もない)、焦って北側から近衛擲弾兵を前進させた。オーストリア軍が高地に配置した400門の大砲はこの歩兵隊めがけて一斉に砲撃を開始し、1時間のうちに擲弾兵隊は壊滅的な被害を受けて撤退した。ダウンはこのプロイセン軍の攻撃の失敗から彼らを破ったと確信し、ウィーンに居たオーストリア女帝マリア=テレジアに勝利の報を送った。
ところが間もなくしてツィーテン率いる部隊が南側から圧力をかけ始め、ラシ将軍率いる部隊を押し退け、さらに高地にあったオーストリア軍の砲台を占拠してしまった。プロイセン軍はそれらの大砲の方向を変えて敵軍に砲撃を浴びせ始め、奪還を試みたオーストリア軍の2度の突撃は失敗する。激しい戦闘の中でダウン自身は流れ弾によって足を負傷した。午後9時になっても高地を占領していたのはプロイセン軍であり、オーストリア軍は川を渡って退却した。