マルティニーク島侵攻 (1759年)
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| マルティニーク島侵攻 | |
|---|---|
| 戦争:七年戦争 | |
| 年月日:1759年1月16日 - 1月19日 | |
| 場所:西インド諸島、マルティニーク | |
| 結果:フランスの勝利 | |
| 交戦勢力 | |
| 指導者・指揮官 | |
| 戦力 | |
| 戦列艦10隻 正規軍4,500-5,000 |
損傷した戦列艦1隻 正規軍250 民兵数千 |
マルティニーク島侵攻(マルティニークとうしんこう、英語: Invasion of Martinique)は七年戦争中の1759年1月、ペレグリン・ホプソン率いるイギリス軍による、フランス領マルティニークの占領を目的とする水陸両用作戦[1]。
マルティニーク島に着いたイギリス艦隊はフォール=ロワイヤルの要塞に砲撃したが、要塞が高台にあったため効果が薄く、また近くに上陸に適する場所もなかった。イギリスの指揮官たちは知らなかったが、この時点ではマルティニーク総督のフランソワ5世・ド・ボアルネが数か月間補給を受けていなかったため、要塞は短期間の包囲だけで降伏するであろうもろいものであった。しかし、ムーアとホプソンは包囲せず、当時のマルティニークの中心地で貿易港であったサン・ピエールの攻撃を計画する始末であった。1月19日の砲撃が再び失敗すると、イギリス軍は撤収して、代わりにフランス私掠船の本拠地グアドループ島を攻撃した[2]。