デビッド・パーシー
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | イリノイ州セントチャールズ |
| 生年月日 | 1982年4月22日(43歳) |
| 身長 体重 |
195 cm 111 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2004年 MLBドラフト1巡目(全体16位)でトロント・ブルージェイズから指名 |
| 初出場 |
MLB / 2008年4月18日 デトロイト・タイガース戦 CPBL / 2015年3月26日 中信兄弟戦 |
| 最終出場 | CPBL / 2015年4月26日 義大ライノズ戦 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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デビッド・ケント・パーシー(David Kent Purcey, 1982年4月22日 - )は、アメリカ合衆国・イリノイ州セントチャールズ出身のプロ野球選手(投手)。
ブルージェイズ時代
2004年のドラフトでトロント・ブルージェイズから1巡目(全体16位)で指名され入団。
2008年4月18日のデトロイト・タイガース戦でメジャーデビュー。8月以降はメジャーの先発ローテーションに定着し、3勝を挙げた。
2009年はロイ・ハラデイ、ジェシー・リッチに次ぐ先発3番手としてスタートしたが、5試合に先発して0勝2敗、防御率7.01という不振に陥り、AAA級ラスベガス・フィフティワンズへ降格した。ラスベガスでは24試合に先発し、9勝6敗、防御率4.46という成績だった。9月に入ると、新人のマーク・ゼプチンスキー、ブレット・セシルが年間投球回数制限に達してローテーションから外れたため、先発要員として再びメジャーに昇格した[1]。復帰後の3試合では18回2/3を投げて防御率2.89と好調で、シト・ガストン監督も「春先よりも良くなっている」と語り、翌年の先発候補として期待を寄せた[2]。しかし、シーズン最終登板となった10月2日のボルチモア・オリオールズ戦では3回7失点と炎上し、結局この年は1勝しか挙げることが出来なかった[3]。
2010年からは中継ぎに転向。序盤はメジャーとマイナーを行き来し、8月までは負けパターンでのリリーフ登板が主だったが、平均球速が92mph(約148km/h)に上がり奪三振率が上昇。終盤にはピンチの場面でも登板するようになった。
アスレチックス時代
2011年4月17日にダニー・ファーカーとのトレードでオークランド・アスレチックスに移籍する。
タイガース時代
2011年5月27日に再びスコット・サイズモアとのトレードでデトロイト・タイガースに移籍。8月10日に40人枠から外れた。
ホワイトソックス時代
2012年11月21日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだ。
2013年はAAA級シャーロット・ナイツで開幕を迎え、7月3日にジェシー・クレインが故障者リスト入りしたためメジャー昇格を果たした。11月8日に、マイナー契約で残留した。
2014年5月12日に、解雇された。
サマセット・ペイトリオッツ時代
その後、アトランティックリーグのサマセット・ペイトリオッツと契約を結んだ。
統一時代
2015年1月24日に、中華職業棒球大聯盟の統一セブンイレブン・ライオンズと契約。しかし、1勝も挙げられず4月29日に退団した。