トゥワンムラッナイン
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アラカン軍司令官として

トゥワンムラッナインはラカイン族の多いラカイン州南部シットウェ出身ということで、ラカイン族の広範な支持を得、「ラキータの道」「アラカン・ドリーム2020」などのわかりやすいキャッチフレーズをSNSで駆使して、ラカイン族の人々の支持を獲得していった[3]。
AAはシャン州でKIA、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)、タアン民族解放軍(TNLA)と共闘した後、2015年頃から拠点をラカイン州に移し、2018年から2020年にかけてラカイン州北部でミャンマー軍(国軍)と激しい戦闘を繰り広げた。2020年11月に一旦停戦したが、2021年ミャンマークーデター後の同年7月に戦闘再開。一時停戦を挟んで、国軍との間で激しい戦闘を繰り広げ、2024年12月21日、ラカイン州アンの西部軍管区司令部を占拠し、2025年までにシットウェ郡区、チャウピュー郡区、マナウン郡区以外のラカイン州全域を掌握した[1]。
このような輝かしい戦果を上げたことから、ラカイン族の人々の間では、もっとも軍事的に優れ、政治的影響力がある指導者とみなされている[1]。
また、長らく所在不明だったが、2025年6月6日にラカイン州に帰還したことを明らかにした[4]。
われわれは本当に無事にここに帰ってきました。6月6日、故郷ラカイン州に足を踏み入れた時は、まさに雨期でした。本当に忘れられない出来事でした。故郷に足を踏み入れた瞬間、海からのそよ風が吹き始めました。それはわれわれにとって本当に特別なことです。そして、今はラカインの人々にとって最も困難な時期です。戦闘に関して言えば、われわれは非常に熾烈な戦いを繰り広げています。ですから、困難の中で人々と共に立ち向かった後は、これまでと同じように、同志と共に立ち向かうことになります。しかし、この同じ地、同じ空の下に立った後は、これらの最も困難な状況を克服するために奮闘することになります。共に戦うという気持ちは人々に力を与えるでしょう。われわれの同志たちにとっても、これは非常に貴重な歴史的一歩となるでしょう。 — トゥワンムラッナイン
見解
ロヒンギャについて
2024年3月、AAが国軍によるロヒンギャ徴兵を非難する声明の中で、「ベンガル人(Begali)」というロヒンギャの蔑称を使用したこと[5]への非難に対し、トゥワンムラッナインが「ベンガル人を『ベンガル人』と呼ぶことに何も問題はない」と抗弁し、物議を醸した[6]。また、その後、AAによるロヒンギャ虐殺の疑惑が生じた[7]。2025年10月の『エーヤワディー』誌のインタビューにおいて、トゥワンムラッナインはその疑惑について正面からは答えなかったが、ラカイン州のあらゆる民族との融和を図る包括的社会を目指していると述べている[8]。同年8月には、州内のムスリム指導者と会談し、歴史あるモスクの再開を許可している[9]。
アラカン軍の麻薬取引関与について
たびたび持ち上がっているAAの麻薬取引関与については[10]、明確に否定している[8]。
ラカイン州の将来について
将来のラカイン州政府は自分たちであると自負しており、中国やインドからの投資を呼び込んで、ラカイン経済の活性化を企図していると述べている[11][12]。
家族
ニンザーピュー(Hnin Zar Phyu)という女性と結婚し、ソープレーシュン(Saw Prae Shun)という娘と、ムラッルンザン(Mrat Lurn Zan)という息子がいる。義父のソーチョーフラは(San Kyaw Hla)はアラカン民族党(ANP)所属の政治家で、ラカイン州議長を務めた人物である[13][14]。
家族の逮捕
2019年7月10日、ミャンマー警察はシンガポール政府と協力し、トゥワンムラッナインの弟アウンムラッチョーと、ラカイン族5人を逮捕した。シンガポールのミャンマー人コミュニティで、AAと政治部門アラカン統一連盟(ULA)の支援組織の設立を目論んでいた容疑だった[15][16]。
同年10月18日、トゥワンムラッナインの妹モーニンピューとその夫が、タイのチェンマイから帰国後、ヤンゴン国際空港で逮捕された。マンダレーにおける爆発物押収事件への関与が疑われていた[17]。
同年12月6日、トゥワンムラッナインの妻ニンザーピューと2人の子供が、チェンマイの入国管理局で逮捕された[18]。逮捕の理由は、ミャンマー政府から提供されたAA関係書の名簿に彼女の名前があったためとされている。2020年2月25日、UNHCRによる政治的亡命が行われ、彼らはスイスに向かった[19][20]。
2021年6月9日、クーデター直後の国軍によるAA懐柔策により、アウンムラッチョー、モーニンピューとその夫は釈放された[21]。