アラカン軍
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| アラカン軍 | |
|---|---|
| အရက္ခတပ်တော် | |
| 指導者 |
トゥワンムラッナイン[1][2] ニョトゥンアウン[3] |
| 報道官 | カイントゥカ[4] |
| 活動期間 | 2009年4月10日 – 現在 |
| 本部 |
カチン州ライザ(現在) ラカイン州ムラウウー(計画中) |
| 活動地域 |
チン州[5], カチン州, ラカイン州, ザガイン地方域[6], シャン州, バングラデシュ・ミャンマー国境 中国・ミャンマー国境 |
| 主義 |
ラカイン(アラカン)族ナショナリズム アラカン族を中心とするアラカン(ラカイン)住民の民族自決 国家連合 |
| 現況 | 活動中 |
| 規模 |
38,000+ (2024年2月の主張) [7] チン州とラカイン州に15,000以上、カチン州とシャン州に1500前後 (推定、2024年2月)[8] |
| 上部組織 | |
| 関連勢力 |
他の同盟組織: |
| 敵対勢力 |
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| 戦闘と戦争 | |
| 旗 |
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| ウェブサイト |
www |
アラカン軍(アラカンぐん、英語:Arakan Army、ラカイン語:အရက္ခတပ်တော်、ラテン文字表記:Arakha Tatdaw;[17]、ビルマ語:ရက္ခိုင့်တပ်တော်)、略称:AAは、ミャンマーのラカイン州(旧称:アラカン州)を中心に活動するラカイン族の武装組織。2021年ミャンマークーデター以降、もっとも活動的な武装組織の1つである。
当初、ミャンマー語名称はラカイン軍(ビルマ語: ရခိုင် တပ်မတော်)だったが、2019年4月10日、設立10周年を機にラカイン軍(ビルマ語: ရခိုင် တပ်တော်)に変更した[18]。さらに2024年4月10日には、ラカイン州の住民すべてを代表する組織とすることを目的として、アラカ軍(ビルマ語: အရက္ခတပ်တော်)への改名が発表された[19][20]。しかし、同団体の英語サイトではアラカン軍(英語: Arakan Army)という名称が使われ続けている[21]。
設立
アラカン軍(AA)は2009年4月10日に、カチン独立軍(KIA)の拠点であるカチン州ライザで、26人のラカイン族の若者によって結成された[22]。その背景には、2011年に成立したテインセイン政権が欧米との関係を深める一方、にミッソンダム計画を凍結するなど中国と距離を置き始めたのを見てとった中国が、石油パイプライン、経済特区、港湾など多数の利権を有するラカイン州に楔を打ちこむために、AAを支援したという事情があったという見方もある[23]。
指導部の中心人物であるトゥワンムラッナインはシットウェ出身の元ツアーガイド、ニョトゥンアウンはチャウピュー出身元医師である。2人とも若く教養があり、ラカイン族が多いラカイン州南部出身ということで、ラカイン族の広範な支持を獲得した。また、「ラキータの道」や「アラカン・ドリーム2020」といったわかりやすいスローガンを掲げ、ソーシャルメディアを積極的に活用することで、支持基盤を拡大していった[24]。
カチン州での軍事訓練終了後、AAはラカイン州に戻り民族自決のため戦う予定だった。しかし、2011年7月にカチン州でミャンマー軍(国軍)との間で戦闘の勃発したことにより実現せず、AAはKIAと協力し国軍との戦闘に参加することになった。2015年にはラカイン州に隣接するチン州のパレッワ郡区に拠点を設け、さらにカレン州にも拠点を設けた[25]。また同年、AAはミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)、タアン民族解放軍(TNLA)とともに戦闘に参加した[26]。
このようにAAは中緬国境地帯の武装勢力と緊密な関係を築き、連邦政治交渉協議委員会(FPNCC)、北部同盟、三兄弟同盟のメンバーとなっている[27]。
成長
2011年から2015年までのテインセイン政権下では各少数民族武装勢力との間で停戦合意が進んだ。しかし、ラカイン州の交渉相手とされたのは、KIA指揮下にあると見なされたAAではなく、ラカイン州での武装闘争の経験がほとんどないアラカン解放軍(ALA)だった。ALAは2012年4月5日政府と停戦合意を結び、2015年10月15日には全国停戦合意(NCA)にも署名したが、この過程から排除されたAAとその支持者の間には不満が高まった[28]。
その後、AAは、2016年1月10日から16日にかけて第1回会議を開催し、21人の中央委員会メンバーからなる政治組織アラカン統一連盟(ULA) を結成した[18]。
同年3月31日、NLD政権が成立したが、2015年のラカイン州議会選挙でアラカン民族党(ANP)が過半数の議席を獲得したのにもかかわらず、NLD政権は同州首相にNLD国会議員ウー・ニープー(U Nyi Pu)を指名した。また、停戦合意の新たな枠組みである連邦和平会議 - 21世紀パンロンにもAAは招待されなかった[24]。
さらに2018年には、アラカン王国がコンバウン王朝の軍隊の前に陥落した日を追悼するミャウウーでの式典が直前になって中止された。この措置に対してラカイン族住民の強い反発が起こり、抗議行動が暴動へと発展した結果、警察が発砲し、7人が死亡、多数の負傷者を出す事件となった[29]。その前日には、ラカイン州選出の人民代表院議員エイマウンが、武装闘争によるラカイン族の主権回復を訴えたとして国家反逆罪の罪で逮捕され、他の民族主義者とともに懲役20年の刑を受けた。、その後、当時行政長だった人物が殺害されるという事件も発生している[30][31]。
2020年の総選挙では治安悪化を理由にラカイン州の広範な地域で選挙が中止された。このようにNLD政権の下でラカイン族の人々の神経を逆なでするようなことを繰り返した結果、ラカイン族住民の間でAAへの支持がいっそう高まっていったと指摘されている[24]。
初期の衝突

AAは、2014年以降、ラカイン州とバングラデシュの国境地帯で少数の部隊を展開し始めた。2015年4月には、シットウェから60キロメートルほど北に位置する、ラカイン州チャウット―郡区とチン州パレッワ郡区で国軍との衝突が発生した[32]。
同年8月20日、バングラデシュ国境警備隊(BGB)がAA側の馬10頭を押収したことをきっかけに、両者の間で戦闘が発生した[33]。8月27日には、バングラデシュのバンダルバン県タンチ郡(Thanci)のモダック(Modak)地域付近で、再び衝突が起きた[34]。
同年12月には、チャウット―郡区とミャゥウ―郡区の境界地域において、日間にわたりAAと国軍との衝突が続き、国軍側に死者が出た[35]。 この際、複数名の国軍兵士が狙撃により死亡したほか、負傷者も出たとされる[36]。
2016年10月のラカイン州北部でのアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)と政府系治安組織との衝突が発生した後、AAはARSAを「野蛮なベンガル人ムスリムのテロリスト達」、この暴力行為を「アラカン北部のベンガル人イスラム原理主義民兵の凶暴な行為」と表現した。
2017年11月には、チン州においてAAと国軍のと大規模な戦闘が発生し、国軍兵士11人が死亡した[37]。これは当時、ラカイン族の少数民族武装勢力が国軍に与えた最大の人的損失だったと報じられている[38]。BBCによれば、ミャウウーではAAが市民の支持を得ており、同組織に参加するために町を離れた者もいたのだという[39]。
2018-2020年のミャンマー軍との戦闘

2018年12月21日、国軍は全国停戦協定(NCA)に署名していない武装組織との交渉を行うと表明し、紛争が続く5地域において4か月の停戦を一方的に宣言した。 しかし、西部コマンド(チン州・ラカイン州管轄) はこの停戦の対象から除外されており、AAとの衝突がむしろ増加したと報じられた[40][41][42]。
2019年1月4日、約300人のAA兵士が、ブティダウン郡区北部に位置するKyaung Taung、Nga Myin Taw、Ka Htee La、Kone Myintの4箇所の国境警察隊駐在所に夜間に襲撃した[43]。この攻撃により13人が死亡、9人が負傷し[44][45][46] 火器40丁以上と1万発以上の弾薬が鹵獲された。のちにAAは、これらの攻撃で9人の国境警察構成員と民間人5人を拘束し、AA兵士3人が死亡したと主張した[47][48]。
攻撃後、ミャンマー大統領府は2019年1月7日にネーピードーで国家安全保障に関する高官級の会合を開催し、国防省に対し、攻撃を受けた地域での兵力増員と、必要に応じた航空機の投入を指示した[49]。
これに続き、第22軽歩兵師団、第66および99軽歩兵師団の一部、西部コマンド所属部隊がAAに対する攻勢を開始したと伝えられている。ラカイン州北部および中部のマウンド―、ブティダウン、チャウット―、ラテダウン、ポナンジュン郡区で衝突が報告された。 ラカイン州政府は、赤十字国際委員会(ICRC)および世界食糧計画(WFP)を除くNGOと国連機関に対し、これらの郡区の農村部への立ち入りを制限した。国際連合人道問題調整事務所(OCHA)によれば、この戦闘により5,000の民間人が避難を余儀なくされたのだという[50]。 また、民間人の犠牲者[51]、 ラカイン族の住民の恣意的な拘束[52] 食料および医療物資の搬入停止も報告されている[53]。
同年3月9日には、約60人のAA兵士が日暮れ時に Yoe-ta-yoke警察署を攻撃した。流出した戦闘報告によると、この攻撃で9人が死亡、2人が負傷し、BA-63(H&K G3のライセンス生産品)10丁が鹵獲されたのだという[54]。 同日、AAは第5軽歩兵師団の管轄下にある第563軽歩兵大隊(拠点:グワ郡区)の前線指揮所を占拠した。AAの報道官によれば、技官4人を含む11人が拘束され、バックホー16台のほか、車1台、ダンプカー、60mmと80mmの迫撃砲を鹵獲したのだという[55]。
4月には、約200人のAA兵士が第31警察治安部隊を午後10時に襲撃し、これに対する報復として、国軍は翌日午前6時までAAの陣地を空爆した[56]。
9月22日には停戦期間が終了し、ミェボン郡区のタウンジー村付近で再び衝突が発生した[57]。 10月には、マユ川においてシットウェとブティダウン郡区を結ぶフェリーを拿捕し、兵士、警察官、国家公務員を含む58名の乗客を誘拐した。国軍はヘリコプターによる救出を試みたが、これが戦闘に発展し、人質の一部が死亡した[58]。
2020年2月6日、AAはチン州カラダン川沿いに位置する国軍の前線基地を攻撃した。戦闘は数週間続き、特に3月第2週に激化し、AAは大隊司令官を含む36人の兵士を拘束したと主張した[59]。 3月19日、国軍は同基地の包囲を突破したとの声明を発表した[60]。
同年5月26日、 AAは政府機関および国軍に対し、アラカン地域からの即時撤退を求める声明を発表した[61]。なお、2019年1月、ミャンマーの反テロリズム中央委員会はAAを反テロ法に基づきテロ団体として指定している[62][63]。
AAと中央政府は、同年11月に停戦に合意した。その結果、ラカイン州北部および中部における政府の統治力は大きく低下し、その間、AAは同地域でCOVID-19ワクチン接種や地方行政の運営など、さまざまな公共サービスを展開したとされる[64]。
2021年からのミャンマー内戦

2021年ミャンマークーデター後、軍と民主派の結成した政府のどちらもAAのテロ団体指定を取り消した。 軍が設立した国家行政評議会 (SAC) は3月11日に取り消したのに対し[65][66]、 連邦議会代表委員会 (CRPH)は数日後すべての反乱組織に対するテロ団体指定を取り消すと発表した[67]。
しかし、AAは抵抗運動に同調した他の少数民族武装勢力とは一線を画す態度を取った。トゥワンムラッナインはAA創設12周年記念日のメッセージの中で、ラカイン族の人々に対し、CDM(市民不服従運動)や街頭抗議活動に参加せず、ラカイン族の国家建設の目標を維持するよう奨励[18]。
一方で、3月30日、AAは抗議する市民への虐殺の停止命令を出すことを拒否するなら軍との停戦を終わらせると警告した[68]。さらに 4月10日には、同盟を結んだMNDAA、TNLAとともにラーショー南部の警察署を攻撃し、14名の警察官を殺害、施設を焼き払った[69]。
その後、2022年7月と8月にかけて、2020年後半成立したAAと国軍との非公式停戦は崩壊した。国軍の関心が国内の他地域で勢いを増す反乱とNUGへの支持の広がりに向けられる中、 AAはラカイン州南部での影響力の拡大を図り始めた[64]。7月におけるトゥワンムラッナインの発言は次第に挑発的になり、国軍系メディアはAAが紛争を招いていると主張した[70]。
そして、カレン州のAAの拠点が空爆が行われ、6人が死亡したことをきっかけに、本格的な戦闘が再。 12日後にAAはマウンド―郡区で攻撃を行い、兵士4人を殺害、12人を負傷させた。 7月後半から8月前半にかけては、ラカイン州北部とチン州西部(パレッワ市含む)でも戦闘が相次いだ[71]。
8月下旬には、ラカイン州北部への移動は複数の検問所への連絡を要するようになり、公共の船便は運航を中止した。AAとSAC双方が交通路を封鎖し、河川や検問所を超えて移動する者に対し厳格な通行許可の申請を義務づけたた[71]。
今回の紛争の特徴として、国軍の士気が著しく低下していた一方で、AAがNUGを中心とする民主派勢力と、事実上、市民の支持を共有する同盟関係の一部を形成していた点が、これまでの衝突とは明確に異なっていた[71]。
再度の停戦
同年11月26日、AAと国軍は翌日以降の一時的な停戦に合意した。この停戦は、日本財団の笹川陽平が仲介したとされる。AAの報道官カイントゥカは、停戦理由は人道的配慮によるものであり、国際社会からの圧力との無関係と主張した。なお、AAAは停戦合意時点で保持していた陣地から撤収しなかった[72]。
ある軍事政権の公務員は、これは恒久的な停戦への最初の一歩であると現地メディアの『エーヤワディー』に語っている[73]。しかし、12月半ばの時点でも緊張状態は解消されておらず、双方の部隊は引き続きラカイン州北部に配備されていた[74]。
その後も、AAは引き続き三兄弟同盟の一員として活動し、2023年10月には、シャン州北部のラーショーやコーカン自治区を含む諸地域で行われた1027作戦を含む一連の共同作戦に参加した[75] このほか、作戦の一環としてザガイン地方域ティジャインで複数の戦闘を行い、10月31日にはカチン州においてKIAと合同でミッチーナ・バモー沿いに位置する大規模基地であるガンダウ・ヤン基地を占拠した[76]。
さらに、AA、KIAおよび現地の国民防衛隊(PDF)は、11月3日にザガイン地方域の都市コーリンを攻撃し、同月6日にこれを制圧した。同市は、蜂起した民主派の獲得した初の県庁所在地とされている[77]。
ラカイン州での戦闘の再開
2023年11月13日総長、AAがラテダウン郡区にある国境警備警察の2箇所の基地を攻撃したことにより、ラカイン州での停戦は破られた[78]。同日の夜にはパウットー市に攻撃をし、郡区警察署を占拠。翌朝までに同市全域を制圧したが、この市はラカイン州の首都シットウェに近いため、国軍にとっては新たな安全保障上の課題となった[79]。
2023年12月、AAの参加する三兄弟同盟とSACは、シャン州北部における停戦に合意した[80]。 これに続き、2024年1月、AAはチン州パレッワ郡区への攻勢を強め、カラダン複合輸送路計画の要衝である同郡区の主要都市パレッワを占拠した[81]。さらに1週間後、AAは3か月のおよぶ戦闘の末、パウットーを再占拠した[82]。
2月6日、AAはミンビャ郡区に残存していた国軍基地をべて占拠し、同郡区を完全に掌握した。また同日、 マウンドー郡区のバングラデシュとの国境にあるタウンピョー(Taung Pyo)基地を占拠した[83]。 翌7日にはチャウット―を制圧し、ミャウウーおよびラムリーでは戦闘が継続した[84]。
9日にはミャウウー県南部ミェボン郡区の部隊が弾薬を残したままチャウッピューに撤収した[85]。 翌10日、AAは歴史的年であるミャウウーを占拠し、同郡区を完全に支配下に置いた。 この過程で、チャウットー郡区から出港しようとしていた国軍兵士とその家族を乗せた上陸用舟艇3隻が爆撃により沈没し、川岸にたどり着いた生存者が刃物で襲撃され、700~900人規模の犠牲者が出たと報じられた(AAの報道官は否定)[86][87][88]。
これに対しSACは、チャウットー郡区やシットウェで橋梁を爆破し、道路を遮断することにより対応したが、 5日後、AAはミェボンを占拠し[89]、ミャウウー県全域を支配下に置いた[90]。
2024年12月21日、AAは、ラカイン州アンにある西部軍管区司令部を占拠したと発表した[91]。国軍の地方司令部が占拠されたのは、ラーショーの北東軍管区司令部に次いで2つ目だった。その後、AAは同盟軍とともに、マグウェ地方域、バゴー地方域、エーヤワディ地方域に進軍し、前2者ではミャンマー国防産業局(カパサ)の工場を攻撃対象にしているとされる[92]。
シットウェを巡る攻防と準国家の形成
2025年以降、AAとその政治部門であるアラカン統一連盟(ULA)は国軍をラカイン州の大半から排除し、事実上の自治権を持つ準国家(Proto-state)を国境沿いに形成している。2024年の時点ですでに非国家勢力として国内最大規模の支配領域を持っていたが[93]、2026年4月現在の最新の報告では、全17郡区のうちはシットウェ郡区、チャウピュー郡区、マナウン郡区以外の14郡区を掌握したとされている[94][95][96]。
また2024年の末から2026年にかけて、AAの部隊は州都シットウェの中心から2キロメートル圏内まで迫った。シットウェは国軍にとってラカイン州における最後の主要拠点であり、夥しい兵力と海軍の支援を受けて徹底的に要塞化されている。しかし、国軍による都市の封鎖措置により、シットウェ市内では食料不足や深刻な飢餓が蔓延し、絶望した住民の自殺者が急増するという深刻な人道的危機が発生している[97]。 一方で、国軍は砲撃・空爆・インフラ破壊を通じて全土の住民生活を困窮させ、ラカイン州の複雑な民族同士の亀裂を利用して長期的な消耗戦に持ち込み、最終的な交渉優位を得ることを狙っているとも指摘されている[98]。
組織
目的
- 多民族アラカン人の自決。
- アラカン人の民族的アイデンティティと文化遺産の保護と促進。
- アラカン民族の「国家の尊厳」と最善の利益。
AAは、これを一言で「ラキータの道」と呼び、この「ラキータの道」を通じてラカイン族の国家を築き、[24]ワ州連合軍(UWSA)と同等の地位を得ることを目的としている[102]。
2021年8月のアラカ・メディア(Arakha Media:AKK) によるインタビューで、トゥワンムラッナインは革命闘争の政治的目的はアラカンの主権を回復することであり、また、失われた主権の回復に取り組む過程で交渉は行わず、今後も行うつもりもないと明確に主張している。また、クーデター後の東京新聞のインタビューでは、国民統一政府(NUG)の傘下に入るつもりはないと明言し[103]、NUGにラカイン情勢に介入しないよう要請している[104]。
統治
| 役職 | 軍階 | 名前 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 最高司令官 | 少将 | トゥワンムラッナイン | ULA議長 |
| 2 | 副司令官 | 准将 | ニョトゥンアウン | ULA総書記 |
| 3 | 大佐 | チョーハン(Kyaw Han)[105] | ULA第1書記 | |
| 4 | 報道官 | カイントゥカ | ULA報道官を兼任 |
政治部門のULAには、議長、総書記の下に3人の書記がおり、以下のような部署が設けられている[18]。
- 特別諮問グループ
- 同盟関係
- 国際関係
- 司法委員会
- 組織と広報
- 文芸問題
- 歴史と文化
- 女性問題
- 雇用機会調査委員会
- 地域開発と労働問題
- その他
旅団
旅団の人数や構成に関する公式発表はない。ラカイン州にはアルファ、ノヴァ、ベータと呼ばれる軍管区があるが、正確な境界線は不明である[18]。
停戦と和平のプロセス
政府と正式な停戦合意は締結していない[18]。
- 2019年11月、日本財団笹川陽平の仲介により、停戦が実現。ただし、合意には至らず。2022年7月と8月にかけて戦闘再開。
- 2022年11月26日、再び笹川陽平の仲介により、停戦合意が成立[106]。2023年11月13日、戦闘再開。
同盟関係
- 北部同盟
- 三兄弟同盟
- 連邦政治交渉協議委員会(FPNCC)
軍備
AAの兵士の大半はもともとKIAの軍事学校で訓練されていたが、2014年にラカイン州に独自の訓練基地を設立したとされる。 Myanmar Peace Monitorによれば、2014年の時点でラカイン州のバングラデシュとの国境付近に1,500人の兵力を擁していたのだという[107][108][109][110]。
2015年9月には、国内メディアの『エーヤワディー』が、AAは2,500人以上の兵士と、非軍事部門に1万人の構成員を擁していると報じた[111]。 また、トゥワンムラッナインは、2020年7月には2万人以上[112]、 2021年12月には3万人の兵士を擁していると主張している[113]。一方、軍事・安全保障の専門家アンソニー・デイビスは、AAの戦闘員をラカイン州とチン州に1万5,000人以上、カチン州とシャン州に1,500人前後と推定している[8][114]。
兵器については、UWSAから中国製兵器を調達しているほか、泰緬国境地帯の闇市場や、印緬国境地帯で活動するクキ族の武装組織からも入手していると報じられている[42][115]。インド政府は、UWSAやAAなどに兵器やインド領内の隠れ家の提供していると中国を非難しているが[116]、実際の兵器供給は主にUWSA経由であるという見方が強い[117]。また、KIAがUWSAから供給された兵器を半額でAAに売却しているとも報じられている[118]。
AAは、インドが手動するカラダン複合輸送路計画を攻撃対象にする一方、中国関連のインフラ計画に対しては攻撃を行っていないことから、中国の間接的関与を疑う見方も示されている[115][119]。2024年2月には、同計画の妨害をしないと約束し[120]、翌3月にはインドの上院議員による進捗状況の視察を受け入れている[121]。
資金源
翡翠取引
翡翠採掘が盛んなカチン州で創設されたことから、AAは、以下のように、翡翠産業からさまざまな形で利益を得ていると考えられている[122]。
- ラカイン族の残土採掘労働者(yemase)を組織・監督し、彼らに採掘用機材や宿泊施設を提供して、その代金を徴収。
- パカンで操業するラカイン族企業への非公式課税(利益の約10%)。
- パカンに少なくとも1つの翡翠採掘会社を所持。
- 翡翠の違法取引・密輸の仲介
AAは、同じくパカンで翡翠産業に関わっている国軍やUWSA関連企業とは距離を置き、KIO/Aとのみ協力しており、KIO/Aは、AAの採掘事業から10~25%の生産税を徴収しているとされる。ただし、KIO/Aはその事実を否定している[122]。
在外ラカイン族からの寄付
AAは、国内外のラカイン族労働者に非公式の課税・寄付を科しているとされる。一説には、小規模事業主には月額約1万チャット(4.76ドル)、大規模事業主には月額約10万チャット(47ドル)の寄付を科しているのだという[122]。アラカン族の富裕層の中には定期的に多額の寄付をする者もおり、2017年に国軍はパレッワを空爆した際には、トゥワンムラッナインは、アラカン族の富裕層から得た1,000万チャット以上の資金で、対空ミサイルを購入したと『エーヤワディー』紙に語った[42]。
麻薬取引疑惑
AAには、メタンフェタミン製造が盛んなシャン州北部と、ラカイン州のバングラデシュとの国境を支配していることから、バングラデシュにメタンフェタミンを密輸している麻薬取引疑惑がたびたび持ち上がっている[123][124][125]。ある識者は、AAがこれほど短期間に急成長できた一因は麻薬取引による莫大な利益があったからに違いないと述べる[122]。
2016年2月、トゥワンムラッナインの側近だったアウンミャッチョー(Aung Myat Kyaw)が逮捕され、自宅から大量の兵器とヤーバーの錠剤30万以上が発見された。裁判で、アウンミャッチョーは麻薬取引で得た資金で泰緬国境でRPG、RPG弾頭、TNTダイナマイト、地雷んどを購入し、ヤンゴンで経由でシットウェまで30回以上それらの兵器を運んだと自供した。また、2018年2月、前述したムラウク・ユーの行政長殺害事件で逮捕された4人は、AAに関与し、2016年12月から2017年11月の間に、メタンフェタミン錠剤約440万錠を売買し、AAに供給するためにM-16アサルトライフル、ピストル、数個のマガジンと弾丸を購入したことを自供した[42]。
疑惑が浮上するたびに、AA当局は否定しているが[126]、コフィー・アナン率いるラカイン州諮問委員会による2017年のレポートでも、AAは麻薬取引に関与していると記されている[42]。
外部関係
地政学的戦略
ラカイン州は中国の「一帯一路(BRI)」における要衝(チャウピュ深海港、石油・ガスパイプラインの起点)であり、インドの「東方行動(Act East)」政策におけるカラダン・マルチモーダル輸送プロジェクトの経由地でもある。 AAは、これらの大国によるインフラプロジェクトを自身の統治の正当性や経済基盤として活用する一方で、プロジェクトが地域住民を置き去りにした「搾取(一党支配的なビルマ族中心の開発)」であると批判し、AA(ULA)の承認を通じた利益還元を求めている[127]。
民族間の関係
ロヒンギャ
AAはロヒンギャを組織内に取り込み、ラカイン州において包括的な政府を築いていると主張している[128][129]。ただし、トゥワンムラッナインはロヒンギャが平等に扱われるためにはロヒンギャ側の「誤った」歴史的主張を放棄し他民族と協調すべきとも主張している[130]。 Prothom Aloとの2021年のインタビューで、トゥワンムラッナインはバングラデシュとの良好な関係を築き、ロヒンギャ問題において協力する意思を示した[113]。
その後、ラカイン州で国軍とAAの戦闘激化する中、国軍がロヒンギャを強制徴兵している事実が報じられた[131][132]。2024年3月中旬にはAAが川を渡ろうとしていたロヒンギャ兵たちを襲撃して、97名が戦死したと伝えれれる[133]。またARSA、アラカン・ロヒンギャ軍(ARA)、ロヒンギャ連帯機構(RSO)などのロヒンギャの武装組織が国軍の指揮下に入ったとも報じられた[134]。
こうした状況下、AAは国軍によるロヒンギャ徴兵を非難する声明を発表。しかしその声明の中で、「ベンガル人(Begali)」というロヒンギャの蔑称を使用したことで非難の声が高まった[135]。これに対してトゥワンムラッナインは「ベンガル人を『ベンガル人』と呼ぶことに何も問題はない」と反論し[136]、両者の間で緊張が高まった。また、ヒューマン・ライツ・ウォッチの2月のレポートでは、AAがロヒンギャを人間の盾に利用している事実も明らかにされた[137]。
さらに、報道や人権団体の調査により、AAは自らも少人数ながらロヒンギャを強制徴兵し始めたほか[138]、ロヒンギャの人々を殺害、強姦、拉致誘拐、脅迫・恐喝、住宅を放火するなど深刻な人権侵害を行っている事実が明らかになった[139][140][141][142][143]。ミャンマー人の人権活動家のワイワイヌーは、「AAは病院と学校を標的にして攻撃して多数の死傷者を出している」「他にも虐殺の報告が多数ある」 「AAとの対話を試みたロヒンギャの長老たちが殺害された」「AAはスマホを持っていると殺害すると警告し、実際、電話をかけようとした少年が殺害された」「ラカイン族の村は被害を受けていない」と述べ、「2017年のロヒンギャ危機の時よりひどい」と主張した[144]。
国連の広報官も「ロヒンギャはAAに家を焼き払われ、ブティダウンとマウンドーで暴力が激化している」と懸念を表明した[145]。ロヒンギャの各団体は、緊急の国際人道支援を要請する共同声明を発表した一方[146]、NUGは「国軍が民族間対立をあおっている」などと非難したものの、AAへの言及がなかったことから、「NUGは現状を把握していない」と批判された[147]。
2024年8月7日には、AAがほぼ制圧したとされるマウンドーから避難し、ナフ川を渡ってバングラディシュに渡ろうとしていたロヒンギャ住民が、AAの砲撃とドローン攻撃に遭って、200人以上の死者が出たと報じられた[148][149][150][151]。これに対してAAは「ARSAなど一部のムスリム武装勢力が、いまだAAの支配下にないマウンドーで殺人、略奪、誘拐、恐喝、放火を犯している」と事実関係を否定した[152]。
一方、ARSAやRSOが、ラカイン族を含む非ムスリムの村々を襲撃、人々を虐殺しているとも報じられている[153]。
ヒューマン・ライツ・ウォッチおよびアムネスティは、国軍とAA双方のロヒンギャに対する人権侵害を告発している[154][155]。
ムロ族
ラカイン州の少数民族ムロ族を強制徴兵したり、ムロ族の村近くに陣地を作って戦闘に巻き込んでいるとも報じられている[156]
チン族
チン州南部の町パレッワをめぐって、長年チン族と対立している。パレッワの住民の大半はチン族のサブグループとされるクミ族だが、ラカイン族も少数ながら住んでいる。パレッワは伝統的にラカイン族の土地とされてきたが、1948年に独立した際に、その民族構成を反映して、チン特別区に編入されたという経緯がある。パレッワは、戦略拠点として重要であるとともに、アキャブとインドのミゾラム州を結ぶカラダン渓谷の重要部分であり、交易路としても重要である[157]