トム・キャンディオッティ
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クリーブランド・インディアンス時代 (1991年) | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | カリフォルニア州ウォールナットクリーク |
| 生年月日 | 1957年8月31日(67歳) |
| 身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 221 lb =約100.2 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1980年 アマチュア・フリーエージェントとしてカンザスシティ・ロイヤルズと契約 |
| 初出場 | 1983年8月8日 |
| 最終出場 | 1999年7月24日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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トム・キャンディオッティ(Thomas Caesar Candiotti , 1957年8月31日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ウォールナットクリーク出身の元プロ野球選手。右投右打。ナックルボーラーとして有名な投手である。
セントメリーズ大学時代にはオール・アメリカに選ばれるなどしたが、ドラフトにはかからず1979年は独立リーグでプレーをした。だがオフに解雇され、翌1980年にフリーエージェントとしてカンザスシティ・ロイヤルズ傘下へ入ることとなる。AAで終えたオフに、ルール5ドラフトでミルウォーキー・ブルワーズに移籍、1981年はまずまずの結果を残していたが、ひじに痛みを感じトミー・ジョン手術を受けることとなった。その時点では術例が8件、復活したのはトミー・ジョンただ一人であったが、キャンディオッティは復活2例目となった[1]。 1983年・1984年は終盤にメジャーに昇格するが、元々技巧派ピッチャーであったこともあり限界を感じていた。ナックルを投げはじめた1985年はマイナーで過ごし、10月には解雇された[1]。
ナックルを物にするためウインターリーグで投げていた12月に、クリーブランド・インディアンスと契約。1986年はインディアンスのローテーションに入り、チームトップの16勝をあげる。この年と翌1987年はフィル・ニークロもインディアンスに在籍していたので、ローテーションにナックルボーラーが2人という珍しい状態であった。1991年の6月27日、フラッグシップディールを行ったトロント・ブルージェイズにターナー・ウォードと共に移籍する。ア・リーグ東地区優勝には貢献したが、リーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に登板し1敗と結果を出せず、チームもミネソタ・ツインズに1勝4敗で敗れた。 オフにフリーエージェントとなりロサンゼルス・ドジャースへと移籍する。ドジャーズでの6年間では通算防御率3.57であったが、打線の援護に恵まれず52勝64敗と負けが先行した。1997年11月にはオークランド・アスレチックスへ移籍。2年目の1999年は開幕から不調で解雇され、6月に古巣インディアンスと契約するがここでも調子は戻らなかった。翌2000年はアナハイム・エンゼルスのスプリングトレーニングに参加するが、ロースターには入れず引退した[2]。
引退後
引退後の2000年・2001年はインディアンスのGM特別補佐をつとめつつ、2001年からはESPNの解説者に就任。その後はアリゾナ・ダイヤモンドバックス専属解説者を務めた[3]。 2001年にはロジャー・マリスのシーズン61本塁打を題材にしたTV映画61*にナックルボーラーのホイト・ウィルヘルム役で出演している。