トランスヨルダン首長国

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トランスヨルダン首長国
إمارة شرق الأردن
シリア・アラブ王国 1921年 - 1946年 ヨルダン
ヨルダンの国旗 ヨルダンの国章
国旗 国章
ヨルダンの位置
首長国が統治していた領土
公用語 アラビア語
首都 アンマン
国王
1921年 - 1946年 アブドゥッラー1世
変遷
カイロ会議 1921年3月
設立1921年4月11日[1]
独立宣言[2]1923年4月25日
アングロ・トランスヨルダン条約1928年2月20日
王国に昇格1946年3月22日
完全な独立1946年5月25日
現在ヨルダンの旗 ヨルダン
サウジアラビアの旗 サウジアラビア
イラクの旗 イラク

トランスヨルダン首長国(トランスヨルダンしゅちょうこく、アラビア語: إمارة شرق الأردنローマ字:  Imārat Sharq al-Urdun直訳すると 「ヨルダン川東側の首長国」)は、1921年4月11日に設立されたイギリスの保護領である[3][1][4]


第一次世界大戦オスマン帝国が敗戦すると、トランスヨルダンは占領下敵国領政庁英語版内で統治された。1919年にイギリスが撤退した後、ハーシム家シリア・アラブ王国が統治した。1920年7月のマイサルーンの戦い英語版で、シリア国王だったファイサル1世が追放されたことで空位期間が始まり[5]イギリス委任統治領パレスチナは同国とパレスチナとの明確な繋がりを避けることを選択した[6]アブドゥッラー1世は1921年3月2日にトランスヨルダンに移住し、その後行われたカイロ会議では、アブドゥッラー1世がイギリス委任統治領パレスチナの下で完全に自治的な統治をすることで合意した。

ハーシム家は保護領や隣接するイギリス委任統治領メソポタミア、そして1925年までは南のヒジャーズ王国も統治していた。1946年5月25日に首長国は王国へと昇格、国号をトランスヨルダン・ハシミテ王国とし、同年6月17日にはロンドン条約の批准書が首都アンマンにて交換され、完全な独立を果たした。

1949年パレスチナヨルダン川西岸地区を併合し、ヨルダン川の両岸を統一したことで、現在の国号であるヨルダン・ハシミテ王国へと変更した。

背景

脚注

関連文献

外部リンク

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