ノーザンポラリス
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| ノーザンポラリス | |
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1996年阪神大賞典出走時 | |
| 欧字表記 | Northern Polaris |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 生誕 | 1991年5月5日 |
| 死没 | 1997年12月18日(7歳没・旧表記) |
| 登録日 | 1993年4月15日 |
| 抹消日 | 1997年7月3日 |
| 父 | ノーザンテースト |
| 母 | メイクィーン |
| 母の父 | Cipol |
| 生国 |
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| 生産者 | 社台ファーム早来 |
| 馬主 | 吉田勝己 |
| 調教師 | 森秀行(栗東) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 11戦2勝 |
| 獲得賞金 | 6472万1000円 |
ノーザンポラリス (Northern Polaris) は、日本中央競馬会 (JRA) に登録されていた競走馬で、引退後はノーザンホースパークで繋養されていた乗用馬である。
競走馬時代
1994年の1月にデビュー。2戦目の新馬戦で初勝利を挙げると、弥生賞 (GII) でも5着となる。続く日本ダービー(東京優駿)のトライアル青葉賞 (GIII) でエアダブリンの2着に入り、1勝馬ながら日本ダービーの優先出走権を得た。
その年の日本ダービーには後の三冠馬ナリタブライアンが2冠をかけて出走しており、注目が集まっていた。そのような中、スタートで立ち上がり大きく出遅れし、後方追走を余儀なくされたが、4コーナーではナリタブライアンの真後ろから大外を追い込み5着に善戦した。
菊花賞でナリタブライアンの史上5頭目の三冠を阻止すべく嵐山ステークス(阪神)に出走、芝3000メートルの日本レコード(当時)となる3分4秒4で走りぬけ優勝した。
目標はあくまで菊花賞であったが、嵐山ステークス後に脚部不安を発症、症状は重度で長期休養を余儀なくされた。
1年半を経た1996年の3月、復帰戦は嵐山ステークスと同じ距離、同じ場所で施行された阪神大賞典。同競走にはナリタブライアンも出走しており、1歳年下のマヤノトップガンとの一騎討ちで注目を集めていた。ナリタブライアンとマヤノトップガンが2頭馬体を併せて4コーナーを回ると、その後ろから追い込んだノーザンポラリスだったが、6着に敗れた。その後、烏丸ステークスに出走し3着、再び休養に入る。
翌1997年、難波ステークス12着を経て春の天皇賞に出走したが7着。6月14日の福島市制施行90周年記念では1番人気に支持されたが、故障を発症し競走中止。そのまま引退し北海道苫小牧市のノーザンホースパークで乗馬となった。
競走馬引退後
1997年7月3日、繋養先のノーザンホースパークに入場。同年12月18日、6月14日に発症した脚部不安が悪化。治療の甲斐もなく安楽死処分となった。