バトルライン (競走馬)
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| バトルライン | |||||||||||||||
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| 欧字表記 | Battle Line[1] | ||||||||||||||
| 品種 | サラブレッド[1] | ||||||||||||||
| 性別 | 牡[1] | ||||||||||||||
| 毛色 | 鹿毛[1] | ||||||||||||||
| 生誕 | 1993年5月20日[1] | ||||||||||||||
| 死没 | 不明(2010年9月22日転売不明) | ||||||||||||||
| 登録日 | 1995年5月11日 | ||||||||||||||
| 抹消日 | 2000年3月1日 | ||||||||||||||
| 父 | オジジアン[1] | ||||||||||||||
| 母 | Line of Thunder[1] | ||||||||||||||
| 母の父 | Storm Bird[1] | ||||||||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | Peter M. Brant[1] | ||||||||||||||
| 馬主 | 社台レースホース[1] | ||||||||||||||
| 調教師 | 松田博資(栗東)[1] | ||||||||||||||
| 競走成績 | |||||||||||||||
| 生涯成績 |
中央競馬21戦7勝・地方競馬7戦2勝 [1] | ||||||||||||||
| 獲得賞金 | 3億4665万5000円[1] | ||||||||||||||
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バトルライン(Battle Line、1993年5月20日 - 不明)[1] は日本の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍は1997年のプロキオンステークス、エルムステークス。
半兄に1995年アメリカクラシック二冠馬サンダーガルチ(父ガルチ)。社台レースホースの出資馬であり、募集価格は1800万円(20口)。
デビュー前から米国二冠馬サンダーガルチの半弟として注目を集め、1995年8月デビューし、2着となった。しかし、後にフレグモーネ、翌1996年2月初勝利後に脚部不安のため休養と、当初は思うようにレースを使えない状態に終始した。
休養後は足元も徐々に良化しレース間隔を詰めての出走ができるようになり札幌競馬場と函館競馬場で特別戦を連勝。その勢いで9月のユニコーンステークスに出走。後続に3馬身差を付け1位入線を果たすも斜行により10着降着、重賞制覇はお預けとなった。鞍上の横山典弘はこの競走で騎乗停止を受け、マイルチャンピオンシップ南部杯で騎乗予定だったホクトベガへの騎乗が不可能になった。
1997年1月、昇級初戦の平安ステークスで単勝1.4倍という断然人気を背負うも3着に敗れた。これにより賞金を加算できず陣営が目標と掲げるフェブラリーステークスへの出走が微妙となり、中2週で銀嶺ステークスに出走。6走連続となる単勝1倍台の支持に応え勝利を収め出走にこぎつける。しかし本番では、前日からの降雪の影響でぬかるんだ馬場により末脚のキレを発揮出来ず3着に終わった。
その後プロキオンステークスをレコードで制し重賞初制覇、続くかしわ記念にて重賞連覇を達成。そして「出走経験は1800まで、微妙に伸びる1ハロンが鍵」と関係者がコメントし望んだ帝王賞、1番人気に押されたもの、直線半ばで一杯になりコンサートボーイ・アブクマポーロの地方2騎にかわされ3着とまたしてもGIタイトルを逃してしまう。さらにエルムステークスを制し挑んだマイルチャンピオンシップ南部杯では前走にて首差交わしたタイキシャーロックに1秒以上差をつけられる2着敗退。これ以降もGIタイトルにはどうしても手が届かなかった。
1998年以降はやや勝ち運にも見放され、3年連続の出走となった1999年フェブラリーステークスで8着に敗れた際、レース中に左第2中手骨骨折を発症していたことが判明、当初は全治3ヵ月の診断であったが復帰は大幅に遅れ1年弱を要した。復帰後2走するも共に勝ち馬から1秒以上離される惨敗で、2000年3月1日付で競走馬登録が抹消された。