バート・シャーリー

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生年月日 (1940-01-04) 1940年1月4日
没年月日 (2025-11-19) 2025年11月19日(85歳没)
バート・シャーリー
Bart Shirley
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テキサス州コーパスクリスティ
生年月日 (1940-01-04) 1940年1月4日
没年月日 (2025-11-19) 2025年11月19日(85歳没)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
183 lb =約83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1961年
初出場 MLB / 1964年9月14日
NPB / 1971年4月10日
最終出場 MLB / 1968年9月29日
NPB / 1972年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 中日ドラゴンズ (1976 - 1977)

バートン・アービン・シャーリーBarton Arvin Shirley, 1940年1月4日 - 2025年11月19日以前)は、アメリカ合衆国テキサス州コーパスクリスティ出身のプロ野球選手内野手)・コーチ

日本での登録名は「バート」。セ・リーグ初の遊撃手部門のダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を受賞している[1]

W.B.レイ高等学校を経て、テキサス大学卒業後の1961年ロサンゼルス・ドジャースへ入団し、1964年9月14日のパイレーツ戦(ドジャー)でメジャー初出場を果たす。1967年ニューヨーク・メッツで1年だけプレーした後、1968年にドジャースへ復帰。アメリカ時代から好守は認められていたものの、打撃の非力さを指摘され、大半をマイナーリーグで過ごす。

1971年中日ドラゴンズへ入団し、6月23日のヤクルト戦(中日)で会田照夫から初ソロ本塁打を放った[2]1972年には第1回ダイヤモンドグラブ賞を受賞するが、遊撃で同賞を獲得した助っ人は2025年現在もバートだけである[3]。正確かつダイナミックな守備は投手陣の心を掴み、日本球界では珍しい守備特化型の助っ人になったが[3]、同年は4月9日の開幕カードの阪神戦(中日)から打棒が開花。ダブルヘッダー第1試合で古沢憲司から1号本塁打、第2試合で江夏豊からサヨナラ満塁本塁打を放った[2]。開幕1週間で17打点を稼ぐ活躍を見せて打撃開眼かと首脳陣を喜ばせたが、オールスター後は調子を落としてしまう。カールトン半田直伝のバックトス、グラブトスの名手であった高木守道の守備も、バートとのコンビで最も開花したが[4]、同年限りで現役を引退。

引退後は古巣・ドジャースのマイナーリーグ監督(1973年 - 1975年)を経て、中日で一軍守備コーチ(1976年)→技術顧問(1977年)を務めた。中日では三塁ベースコーチを務めたほか、与那嶺要監督の良き相談役としても一役買い、田野倉利男宇野勝らを育てた[4]1978年より故郷のコーパスクリスティに戻り、保険業を営む傍らでスーパーバイザーとして後進の育成に努めた。

2025年11月19日までに死去。85歳没[5]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1964 LAD 186662617110207000042084.274.318.323.641
1966 12552100010000000020.200.200.200.400
1967 NYM 612121000000000000050.000.000.000.000
1968 LAD 39968361530018401301010135.181.269.217.486
1971 中日 12237034416601523882836421921368.174.219.256.474
1972 1244264033277112121285111121733809.191.228.318.546
MLB:2年 751791621533410391101301430289.204.267.241.508
NPB:2年 2467967474813726415216794754365411617.183.224.289.513

表彰

NPB

記録

NPB

背番号

  • 23 (1964年)
  • 2 (1966年、1972年)
  • 6 (1967年、1971年)
  • 11 (1968年)
  • 60 (1976年 - 1977年)

脚注

関連項目

外部リンク

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