ビル・ゲイツ

アメリカの実業家 (1955-) From Wikipedia, the free encyclopedia

ビル・ゲイツ英語: Bill Gates)、本名:ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ3世英語: William Henry Gates III1955年10月28日 - )は、アメリカ合衆国実業家。幼なじみのポール・アレンとともにマイクロソフトを創業した人物として知られる[2][3]。マイクロソフトでのキャリアにおいて、ゲイツは会長、最高経営責任者(CEO)、社長、最高ソフトウェア設計者を歴任し、同時に2014年まで個人筆頭株主であった[4]1970年代から1980年代にかけてのマイクロコンピュータ革命の主要な起業家であった[5]

概要 ビル・ゲイツ, 生誕 ...
ビル・ゲイツ
Bill Gates
2025年
生誕 ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ3世
(1955-10-28) 1955年10月28日(70歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州シアトル
住居 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州メディナ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
民族
教育 レイクサイドスクール
出身校 ハーバード大学(中退)
職業
活動期間 1975年 -
影響を受けたもの 妻メリンダの考え方
純資産 増加 1268億ドル(2021年)[1]
身長 178 cm (5 ft 10 in)
肩書き
取締役会
配偶者
メリンダ・ゲイツ
(結婚 1994年、離婚 2021年)
子供 3人
受賞
栄誉
公式サイト www.gatesnotes.com
署名
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シアトルで生まれ育つ。1975年、アレンとともにニューメキシコ州アルバカーキにマイクロソフトを設立。世界最大のパソコン用ソフトウェア会社となり[6][注釈 1]、2000年1月にCEOを退任した後も、スティーブ・バルマーに引き継がれるまで会長兼CEOとして同社を率いた。その後、取締役会会長にとどまり、チーフ・ソフトウェア・アーキテクトに就任した[9]

1990年代後半、ゲイツのビジネス戦術は反競争的であると批判された。この見解は、数々の裁判でも支持されている[10]。当時、彼が経営するマイクロソフト社は、ライバル企業の技術の発展を妨げる「悪の帝国」と揶揄されることも多く、反トラスト法独占禁止法)違反で司法省に提訴された[11][12][13]

ただし、1994年にメリンダと結婚し、彼女と長く暮らすうちに、心に多少の変化が現れ始め、生き様に変化が現れ始めた。その後の出来事は、(ゲイツ自身の性質というより)主にメリンダのおかげなので、#メリンダとの結婚と生き様の変化で解説。

来歴

幼少時代

1955年10月28日にワシントン州シアトルで、ビル・ゲイツ・シニアメアリー・マクスウェル・ゲイツとの間に誕生した[14]

1970年2月にCCCが不渡り手形を出し、実質的に倒産したため[15]、コンピュータに触る機会を失う。1970年11月オレゴン州ポートランドにあったインフォメーション・サイエンス・インク(ISI)から、COBOLでの給与計算システムの作成を請け負い、開発費の代わりとして無料でPDP-10を使う権利を手に入れた[16]が、COBOLに習熟していなかったため、この作成は難航した[17]

高校時代

高校在学当時、先輩でありワシントン州立大学の学生であったポール・アレンと共に、トラフォデータ英語版という名称で[18]、交通量計測システムを作成しようとした。アレンによると、このトラフォデータは私的につけられたチーム名にすぎず[19]、法人として設立されてはいないため、トラフォデータ社とは言えない。最終的に、このビジネスはゲイツが大学生になっても続けられたが、大きな利益をあげることはできなかった[20]

1973年にハーバード大学に入学[21][信頼性要検証]。ハーバード大学では応用数学を専攻したが、成績は必ずしも良くなかった[22]。1974年に2年生になるとポーカーに熱中することが多くなった[23]。同時期にスティーブ・バルマーが同じ寮に住んでいた[24]

BASICの移植

ニューメキシコ州アルバカーキで交通違反を犯したときのマグショット(1977年12月13日)

1974年12月、アレンから『ポピュラーエレクトロニクス』誌1975年1月号にアルテア8800が載っているのを教えられた。これを読んだゲイツとアレンはアルテア8800用にBASICインタプリタを作成することを考えた。

アレンの名前を騙って、アルテア8800のメーカー、MITSに電話をかけ、実際には未だ何も作成していないBASICインタプリタについて「現在開発中であり、間も無く完成する。御社に伺ってお見せしましょうか」と言ってハッタリを使った。電話に応対したMITSのエド・ロバーツ社長は「動作するBASICを最初に持ってきた者と契約する」と答えた。これを受けて彼らはBASICインタプリタの開発を開始した[25]

アルテア8800の実物を持っていなかったため、アレンがハーバード大学にあったPDP-10上でアルテア8800をエミュレートするプログラムを作成し、これを用いてBASICインタプリタを作成した[26]

8週間後、BASICインタプリタが完成した[27]。1975年3月、アレンがデモのためにニューメキシコ州アルバカーキにあるMITSへ向かう途中、BASICのブートローダの開発を忘れていたと気付き、飛行機内で完成させた。こうして作られたBASICはMITSでのデモに成功し動作した(この時ゲイツはボストンの大学寮でアレンの帰りを待っており、同席はしていない)。ゲイツらが作ったBASICインタプリタはアルテア・ベーシックとして販売された。

1975年4月にアレンはMITSの社員となった[28]。一方のゲイツはハーバード大学の学生のままであり、夏休みになるとアルバカーキに滞在してBASICインタプリタの改良を手伝い[29]、9月になるとハーバード大学に戻った[30]。以降は1976年の春期・1976年の秋期のいずれもゲイツはハーバード大学におり[31]、大学が休みの間アルバカーキに滞在するという状態を続けていたが、(日本でいえば大学4年生の前期終了時に相当する)1977年2月にハーバード大学を休学し、大学に戻ることは無かった。この時、ゲイツとアレンの間で、パートナーシップに関する合意書が交わされた[32]

BASICインタプリタ事業が開始された1975年4月をもって、マイクロソフト社の創業とされることがあるが、上記のように実際には1975年4月時点ではマイクロソフトという法人は存在せず、そもそもマイクロソフトという名称自体も存在していない。また、上述のように、BASICインタプリタ事業が始まってからも、ゲイツはその後の約2年間は実質的にハーバード大学の学生であり続けている。パートナーシップ形成に関してゲイツとアレンの間で合意書が交わされ、パートナーシップによる経営としてマイクロソフトが正式にスタートするのは、1977年2月である[33]

マイクロソフトという名前自体は1975年7月にアレンが考え出した[34]。アレンによると、その時点ではマイクロソフトという名前はゲイツとアレンの活動を表す私的なチーム名に過ぎなかった[34]。なおチーム名という形にせよ、文書でマイクロソフトの名前が確認できるのは、1975年10月にMITSの社長であったエド・ロバーツが書いた記事が初出である[35]。この頃は「Micro-soft」とハイフンを含む名前であった。1976年に、ホビイストたちの多くが自社のBASICを違法にコピーして使っていたことを非難する『ホビイストたちへの公開状』を書いた。

MS-DOSの開発

1980年IBMは、Apple IIの成功を見てパーソナルコンピュータ市場への本格参入を図り、IBM PCの開発に乗り出した。短期間で開発することを目指していたため、オペレーティングシステム(OS)については自社開発を諦め、既存のOSを採用・改良することにした。当時多くのパーソナルコンピュータのOSとして普及していたのは、ゲイリー・キルドールによって創業されたデジタルリサーチが開発したCP/Mだったが、OS採用をめぐるIBMとデジタルリサーチとの交渉は不調に終わった。

IBMはマイクロソフトにOSの開発を要請した。OSの開発を行っていなかったマイクロソフトは、シアトル・コンピュータ・プロダクツ(SCP)から7万5000ドルで手に入れた[36]CP/M互換OSの86-DOSをIBM PC用に改良し、PC-DOSとして納入した。このPC-DOSをさらにMS-DOSという名前で他のパーソナルコンピュータにもライセンスで供給して現在の基礎を作った。7万5000ドルの価格については破格の条件であり、タダ同然の価格で騙し討ちであったと言われ、後に92万5000ドルを支払っている[37]

1982年7月6日、社長の座を離れ、マイクロソフト会長に就任[38]

Windowsの開発

MS-DOSの普及に尽力する一方、GUIを導入する必要性も理解していた。1982年の秋にコムデックスで、ビジコープ社のVisiOnが「MS-DOS上でGUIを実現するデモ」を見て焦りを感じたゲイツは[39]、インタフェース・マネジャーという名称で、同様の機能を持つソフトウェアを発売する予定であると発表した[40]。しかし、実際には何も開発しておらず、その後の開発も難航し、製品発売予定は守られずに何度も延期された。

実現の見通しが無い製品発売のアナウンスは、同時期にGUIを実現するパソコンを実際に開発中であったAppleへの煽りとなった。Macintosh開発舞台裏を追った『レボリューション・イン・ザ・バレー』によると、Windowsの発表を知ったジョブズは激怒し、ゲイツをAppleへ呼びつけた。現れたゲイツは落ち着き払った態度で「僕たちにはParcというお金持ちのお隣さんがいて、僕が盗みに入ろうと思ったら先に君が盗み出していたようなものじゃないかな」と言い放ったという[41]

結局、紆余曲折を経た上でMicrosoft Windowsに改称され、最初の製品が発売された時には1985年になっていた。この時期には既にGUIを有するMacintoshが販売されており、WindowsはMacintoshに大きく見劣りする機能であった。Windowsが現実的に使えるシステムになるのは、1990年のWindows 3.0の時である。

1995年にマイクロソフトの開発したWindows 95に至って、ようやくMacintoshと比肩ひけんしうるレベルに達した。

メリンダとの結婚と生き様の変化

一緒にいるのは元妻のメリンダ・ゲイツ(2009年)

テキサス州ダラス出身のメリンダ・アン・フレンチ(旧姓)と1994年1月1日に結婚した。シアトル郊外のキング郡マダイナに暮らし、子供を3人授かった[42]

慈善活動に熱心なクリスチャンであるメリンダと日々接し、その考え方を見習うことで、ゲイツの心境は少しずつ変化し、それまでの利益追求を主としたビジネススタイルにも変化が現れ始めた。

2000年、メリンダと設立した民間慈善財団ビル&メリンダ・ゲイツ財団の常勤に移行。2000年1月にCEO職をバルマーに譲る。2006年6月15日には2008年7月にゲイツは第一線から身を退き、財団での活動を重視すると発表し、CSA(Chief Software Architect、主席ソフトウェア設計者)職をレイ・オジーに移譲した。そしてその発表通り、2008年6月30日をもって会長職には留まるものの、フルタイムの仕事からは引退し、2014年2月4日に会長職から退いて「技術担当アドバイザー」となり、後任にはジョン・トンプソンが就任した[43][44]。 2014年2月にマイクロソフトの取締役会長も退任し、新たにサティア・ナデラCEOをサポートするテクノロジーアドバイザーに就任した[45]。2020年3月、マイクロソフトとバークシャー・ハサウェイの取締役職を離れ、気候変動、世界の健康・開発、教育などに関する慈善活動に専念する[46]

2008年にマイクロソフトの日常業務を離れて以来、多くのビジネスと慈善活動を追求してきた。BEN、カスケード・インベストメント、bgC3、テラパワーなど、複数の企業の創業者であり会長でもある。

2008年、1000万ドルをNSFヴェラ・C・ルービン天文台へ主鏡と2枚の副鏡の製作費としてチャールズ・シモニ−とともに寄付した[47]

また、世界最大の民間慈善団体といわれるビル&メリンダ・ゲイツ財団を通じて、さまざまな慈善団体や科学研究プログラムに多額の資金を提供している[48]。同財団を通じて、21世紀初頭のワクチン接種キャンペーンを主導し、アフリカにおける野生ポリオウイルスの撲滅に大きく貢献した[49][50]。2010年には、ウォーレン・バフェットとともに「ギビング・プレッジ」を設立し、自分たちや他の億万長者たちが、少なくとも財産の半分を慈善活動に寄付することを誓約している[51]

2016年に大統領自由勲章を妻と共に受章した[52]。2017年5月19日に自身の出身のシアトルとの姉妹都市である神戸市栄誉市民の称号を獲得し、ビデオメッセージを送った。

2017年11月13日に自身のブログでアルツハイマー病の治療法開発を支援するために、認知症研究基金『Dementia Discovery Fund[注釈 2]』に5000万ドル(約57億円)を提供することを明らかにした。なお、この件の資金提供は個人的なもので、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を通じたものではないと説明している。ゲイツは、「アルツハイマー病の治療が実現するには10年以上かかる可能性があり、恐らく最初は費用も極めて高額になるだろう」との見通しを示しており、治療法が確立したあかつきには、貧困国の患者にも治療を提供できるように、ビル&メリンダ・ゲイツ財団で取り組みを進める可能性についても言及している[53]

2020年3月13日にマイクロソフト取締役を退任した。長年取り組んできた途上国などの教育問題や気候変動対策に充てる時間を増やすことを退任の理由に挙げている。ビル&メリンダ・ゲイツ財団ではトイレの普及活動に力を入れており、水を使わないトイレや大便と小便を別々に回収できるトイレといった先進的なアイデアを募集するコンペティションの開催やケースに入った人糞を持ちながら講演に登場する等奇抜な活動を展開している。自身も「まさかこの年になってトイレに詳しくなるとは思わなかった」と講演で語っている。退任後もサティア・ナデラなどへの技術担当のアドバイザーを続ける[54]

2020年4月に旭日大綬章を受章した[55]が、新型コロナウイルスの影響などで受け取ったのは2022年8月18日となった[56]。日本国政府は世界的な技術革新とグローバルヘルスの進歩に対する貢献を功績として挙げた[57]

性犯罪者エプスタインとの交流と、メリンダとの離婚

2021年5月3日、ゲイツ夫妻は離婚を発表[58][59]Twitterで「熟慮と多大な関係改善努力の末、結婚生活を終わらせることを決めた」と共同声明を出した[58]

ジェフリー・エプスタインとの関係

メリンダは、ゲイツが性犯罪ジェフリー・エプスタインと交際していたことが許せず、それが彼女に別れを決意させたという[60][61][62]

2021年8月、CNNのインタビューで「彼と時間を過ごし、彼の存在を信用したことは大きな間違いだった」と関係を認めた[60][63]。エプスタインからゲイツとメリンダの慈善活動に資金を提供すると持ちかけられたことから、一緒に数回ディナーをとったと話したが、このときすでにエプスタインは未成年の女性に対する性的行為で有罪になっていた[60][61]

また、メリンダによると「私はビルがジェフリー・エプスタインと会っていたのが嫌だった。私はビルにそれをはっきり伝えた」とのことで、彼女が反対したにもかかわらず、ゲイツがエプスタインとの交際を続けたと示唆した[60][61]。メリンダ自身もエプスタインに一度だけ会ったとし、「彼がどんな人なのか見てみたかった。でも玄関に入った瞬間に後悔した。彼は忌まわしい人だった。悪の権化だった。後日、悪夢に見るほどだった」と語り、エプスタインの性的虐待の標的になった女性たちのことを思うと「心が痛む」とも話した[60][61]

2023年1月30日、オーストラリアのABCニュースで「彼と一緒に時間を過ごし、そこにいるという信頼を彼に与えたのは大きな間違いでした」と述べた[62]

世界長者番付

アメリカの雑誌である『フォーブス』の世界長者番付で、1994年から2006年まで13年連続の世界一となった。2006年の個人資産は推定530億ドル(日本円で約6兆2000億円)で、2007年、ゲイツの資産は、さらに50億ドル膨らんで資産総額580億ドルとなったが、推定資産620億ドルの著名投資家のウォーレン・バフェット、推定資産600億ドルの中南米の携帯電話会社América Móvilなどを所有するメキシコの「通信王」カルロス・スリムの後塵を拝し、ゲイツは3位に転落した。

2008年に推定資産400億ドルと世界的な金融危機で各々の総資産が減少する中、ゲイツの資産総額も前年度より180億ドル減少したが、結果的に再び第1位に返り咲いた。2014年の推定資産810億ドルで、世界1位である。長らくマイクロソフトの個人筆頭株主でありかつては資産の大半を同社株が占めていたが、定期的に売却を続けた影響で2014年には保有株数でスティーブ・バルマーに抜かれることとなった。現在の同氏の資産は個人投資会社であるカスケード・インベストメント社の投資成果によるものであり、マイクロソフト株も同社を通じて保有している。同社の投資資産としてはフォーシーズンズホテルリパブリック・サービシズエコラボカナディアン・ナショナル鉄道、バークシャー・ハサウェイなどがある。『フォーブス』の世界長者番付2017で推定資産860億ドルで1年間で資産を90億ドル以上増やし、4年連続の首位に立った。過去23年間では18回首位に輝いている[64]。 

なお、2021年現在の純資産は1374億ドル(日本円にして約15兆5800億円)であったが、離婚により、1268億ドルまで減少している。

エピソード

倹約家(ケチ)
  • もともとは倹約家(ケチ)としても知られていた。仕事のため世界中を飛び回っているが、一般旅客機に乗る時には極力エコノミークラスに座るようにしている。来日した際にマイクロソフト日本法人のスタッフからファーストクラス航空券を渡されると「日本のマイクロソフトはこんな無駄遣いをする会社なのか。何だこのファーストクラスの搭乗券ってのは!1時間ちょっとのフライトに、何故そんな無駄に会社の金を使うんだ!!」と激怒したという。なお、マイクロソフトジャパンがファーストクラス料金を支払って用意したわけではなく、たまたまファーストクラスに空席があったため航空会社側がチケットをアップグレードしファーストクラスの座席になっていただけで、実際に余計な料金は支払われていなかった[注釈 3]。マスコミのインタビューで、エコノミークラスを好む理由を質問された際には「会社の金でも個人の金でも、無駄なことに金を使うことは理解できない。ファーストクラスの料金に(エコノミークラスの)何倍もお金を払ってみたところで、到着する時間は同じなのだから」と答えた[65]
  • 自家用ジェット機は所有している。使用する際には燃料代・整備費は会社側に一切請求せず、かかった経費は全て自前で支払っている[65]
  • ホテルに泊まる際も、部下がどこのホテルでどのような部屋を用意しても「こんな大きな部屋はもったいない。寝る場所があり、インターネットにアクセスできればそれで良いのだから」と、たしなめる事が多かった[65]。しかし、後述の軽井沢にある別荘は地上1階・地下3階の計4階建てで、2万平方メートル(㎡)に及ぶ敷地面積を持つ。軽井沢では3階建て以上の建物は規制されているが、地下は規制対象外だった。工事の際は木をすべて切り倒したのち、山を切り崩し、連日100台近いダンプカーで大量の土砂を運び出した。県に届け出た建築計画書によると、4~5人で使用するという[66]
  • 小食として知られ、妻によると朝飯は摂らない[67]。食事はファーストフードが好物で、食生活はマクドナルドが中心だという[68]
  • 約50ドルのカシオ製ダイバーズウォッチ(Casio duro)を着用しているところを、何度も目撃されており、その腕時計自体もゲイツのお気に入りとして有名になった。
  • 払った金が消えてしまい残らないホテルの宿泊料金はケチるが、資産として残り売却すれば現金化できる不動産には大金を支払う。判明しているだけでもアメリカ国内に10の自宅と別荘があり[69]、そのほか世界中にいくつもの別荘を所有していると考えられている。最も知られているのはシアトル郊外ワシントン湖畔にある自宅「ザナドゥ 2.0」で、延床面積約6,000平方メートル、敷地面積約140平方km、見積価格推定1億2550万ドル(約130億円、2012年時点)の大豪邸である[70]。日本では京都軽井沢に別荘があると噂された。京都は約3500平方メートルの和風建築の豪邸で、土地の登記簿にはゲイツの名前があり、ゲイツが西和彦の会社に貸し付け西が所有していたが、2017年に西によって23億円で売りに出されたと報じられ、噂が事実であったことが判明した[71]。軽井沢は延床面積約6000平方メートル、敷地面積約2万平方メートル、建設費約80億円の大規模な個人邸ということは判明しているが、所有者は未だに謎と報じられている(日本マイクロソフト社はこの軽井沢の別荘について「わからない」と回答した)[66]。またゲイツは、ほかに広大な農地や一流ホテルなども買収し、その所有権を取得している[72]
贅沢な収集癖
  • アーマンド・ハマーが所有していた「レスター手稿」(レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿)72枚をオークションで30億円(世界で2番目の高値といわれた[73])で購入した。2018年現在、唯一個人の所有者である。手稿は世界の美術館を巡回して展示されており、一般市民でも「レスター手稿」を閲覧する事が可能になった。2005年には日本で行われた「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」で展示された。
  • 世界初の印刷聖書であるグーテンベルク聖書を個人で所有している。
  • ナポレオン・ボナパルトの研究家だという[74]
その他
  • 最初に深層学習が普及し始めた頃に人工知能の実存的リスクに言及していた。現在では汎用人工知能のような将来のリスクよりも「長期的なリスクについて考えることで、より差し迫ったリスクをないがしろにしてはなりません」と考えていると言われる。人工知能は選挙や教育、雇用などにおいて脅威になっていると指摘する。ゲイツはそのような脅威は重大ではあるが、このような脅威に対処できるとも考えているとも言われる[75]
  • ハーバード大学を中退したにもかかわらず、企業家としての実績から2007年名誉学位号が授与された[76]立教大学から名誉博士号を授与されたときには、「大学を出ていない私が大学からこのような学位を得られて嬉しい」と語っている。
  • ベルギーを拠点に活動している「パイ投げスナイパー」と呼ばれる集団にパイを顔面にぶつけられたことがある(1998年2月)。
  • 地元のMLB球団シアトル・マリナーズのファンである。T-モバイル・パークの年間指定席を購入しており、時折観戦に訪れる。
  • 中華人民共和国の歴代指導者陣と強い繋がりを持ち[77][78]中国共産党総書記習近平とは2度会見している[79][80]中国共産党機関紙の『人民日報』にもしばしば寄稿し[81]、中国政府の金融政策や検閲政策に肯定的な姿勢を見せており[82][83][84]中国工程院の外国人会員にも選ばれている[85]
  • 同じシアトルに本社を置く関係から、任天堂の米国法人(Nintendo of America、NOA)の首脳陣と交友がある。中でもNOA初代社長の荒川實とはゴルフ友達で、かつては同じ町に住んでいたこともある[86]
スティーブ・ジョブズ(左)とビル・ゲイツ(右)
  • スティーブ・ジョブズとは、1970年代からの(1980年代からの)友人かつライバル同士。複雑な関係だった。2007年にテレビでの公開対談をし、"互いに尊敬しあっている"という建前の演出のもとに出演し、かつての自分たちを回想した[87][88]
  • 2010年代では、普段はAndroidのスマートフォンを使っている、また、初期からClubhouseも利用してるためiPhoneも持っている[89][90]
  • 2022年、「人生で読んだ最高の本5冊」をピックアップ、世界100箇所の図書館に置いたことを公表。日本では唯一、京都府立植物園の屋外図書館からメッセージ入りの書籍5冊が見出された[91]
  • ゲイツが持つ独特の思考パターンや行動特性は、発達障害の特徴と重なる部分があるとしばしば言及される(ゲイツはアスペルガー症候群だろうと推定する人も多い)[92]
  • 桁外れの記憶力をもっており[93]、西和彦も認めていた[94]
  • 「子供の頃、百科事典や聖書を暗記した」と言う世間からの都市伝説については、「全部ではない」と一部否定した[要検証][95]

ビル&メリンダ・ゲイツ財団

2008年、世界経済フォーラムでのビルゲイツ(右からU2ボノ、ビル・ゲイツ、ヨルダンのラーニア王妃、イギリスのゴードン・ブラウン首相、ナイジェリアのウマル・ヤラドゥア大統領、潘基文〈パン・ギムン〉国連事務総長

当時の妻メリンダ・ゲイツ、父親のビル・ゲイツ・シニアとともに設立した慈善団体。2005年には国際団体のワクチンと予防接種のための世界同盟に、民間としては最大規模の7億5000万ドルの寄付を発表した。

財産管理は主にメリンダが行っており、寄付をする際の検査は厳格に調査していると公表している。なお、2006年6月15日の記者会見にて、2008年7月にマイクロソフトの経営とソフト開発の第一線から退き、ビル&メリンダ・ゲイツ財団 の活動に専念すると発表した。

2006年12月1日には、夫妻の死後50年以内に財団の資産を使い切って活動を終えると発表した。同基金は「我々が取り組んでいる問題を今世紀中にめざましく進展させるため」と、存続期間を限定した理由を説明している。同基金は途上国のエイズマラリア結核の根絶や教育貧困保健の水準の改善などに尽力しており、今後は更に寄付を拡大する方針も明らかにもしている。

著作

  • 『世界は考える ぼくたちの未来をつくるコンセプト集』ジョージ・ソロス黒田東彦 ほかとの共著、野中邦子 訳、土曜社、2013年3月5日。ISBN 978-4-9905587-7-2
  • 『世界論 世界20名の要人に聞く、今年の論点』安倍晋三、朴槿恵 ほかとの共著、プロジェクトシンジケート叢書編集部 訳、土曜社、2014年1月17日。ISBN 978-4-907511-05-0
  • Gates, Bill; Myhrvold, Nathan; Rinearson, Peter (1995). THE ROAD AHEAD. VIKING(A Division of Penguin U.S.A). ISBN 0-670-77289-5. https://www.geekwire.com/2020/bill-gates-looks-back-road-ahead-25-years-hit-miss-tech-predictions/
  • 『ビル・ゲイツ自伝1 SOURCE CODE 起動』山田文 訳、早川書房、2025年12月12日 ISBN 978-4-15-210485-4。(全3部作を予定)

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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