ビル・シンガー
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ドジャース時代(1971年) | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | カリフォルニア州ロサンゼルス |
| 生年月日 | 1944年4月24日(81歳) |
| 身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 200 lb =約90.7 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1961年 |
| 初出場 | 1964年9月24日 |
| 最終出場 | 1977年7月16日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ウィリアム・ロバート・シンガー(William Robert Singer, 1944年4月24日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の元プロ野球選手(投手)。ニックネームは「Sing Sing」,「The Singer Throwing Machine」。
1961年に地元のロサンゼルス・ドジャースと契約。1964年9月24日のシカゴ・カブス戦でメジャーデビューを果たすが、1966年までの3年間でわずか7試合の登板に終わる。サンディ・コーファックスが前年限りで引退した1967年も、開幕当初は敗戦処理のような扱いだったが5月からは先発に回る。6月20日のアトランタ・ブレーブス戦で自己最多の14奪三振を記録したが勝利は付かず。6月24日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では8安打されながら、ウィリー・メイズから3三振を奪うなど10奪三振の力投でメジャー初完投・初完封を記録し、フアン・マリシャルに投げ勝った。後半戦だけで10勝を挙げるなど活躍し、12勝8敗・防御率2.64を記録。1968年は防御率2.88、リーグ3位の227奪三振を記録したが、13勝17敗と負け越した。
1969年は4月7日のシンシナティ・レッズ戦で7回からリリーフで登板して3回を無失点に抑え、同年から正式に公式記録となったセーブを記録した最初の投手となった。前半戦で13勝7敗・防御率1.98を記録し、自身初のオールスターゲームに選出され、2回を無失点に抑える。チームメイトのクロード・オスティーンと並んでチーム最多、自身初の20勝を記録。防御率は終盤まで1点台を維持しながら最後の4試合で打ち込まれ、惜しくもタイトルは逃したものの2.34、リーグ3位の247奪三振を記録し、同年限りで引退したドン・ドライスデールに代わり、先発の柱となる。1970年は7月20日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で死球と失策の走者2人を許したのみのノーヒッターを達成するなど、7月に5勝0敗を記録しプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞したが、故障の影響で8勝に終わる。1971年は開幕投手を務めるも10勝17敗、翌年も6勝16敗と大きく負け越すなど不本意な成績で、1972年11月28日にアンディ・メサースミスら2名との交換トレードで、フランク・ロビンソン、ボビー・バレンタインら4名と共にカリフォルニア・エンゼルスへ移籍。
移籍1年目の1973年は20勝14敗・防御率3.22・241奪三振を記録。オールスターゲームに出場するが、ジョニー・ベンチ、ボビー・ボンズにホームランを浴びた。ノーラン・ライアンの383奪三振と併せた同一チームの2投手合計の奪三振は624で、2001年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスのランディ・ジョンソンとカート・シリングの2人が665を記録するまでメジャー記録だった。しかし1974年、1975年は共に7勝に終わり、12月10日に1選手プラス10万ドルとの交換トレードでテキサス・レンジャーズに移籍。
1976年6月1日にバート・ブライレブン他1選手との交換トレードで、他3選手プラス25万ドルと共にミネソタ・ツインズに移籍し、シーズン通算で13勝を挙げる。11月5日、エクスパンションドラフトで新球団トロント・ブルージェイズから3巡目に指名を受け移籍。1977年は開幕投手を務めるが2勝8敗に終わり、1978年は登板がなく解雇され、同年引退。
エピソード
堀内恒夫がロサンゼルス・ドジャースのベロビーチキャンプに参加した際、堀内にチェンジアップを教え、堀内は武器のひとつとした[1]。