フアン・クレスピ
From Wikipedia, the free encyclopedia
クレスピはマヨルカ島で生まれた。17歳でフランシスコ会に入った。クレスピはパルマ・デ・マヨルカでフランシスコ・パロウとともに同郷のフニペロ・セラに学び、1749年にセラおよびパロウとともに新大陸(ヌエバ・エスパーニャ)に渡った[1]。1767年にはセラとともにカリフォルニア半島にわたり、ロレト近郊にあるカデゴモの伝道所に勤めた[1]。
クレスピは1769年のガスパル・デ・ポルトラのアルタ・カリフォルニア探検に、セラらとともに参加した。クレスピはカリフォルニア半島からサンフランシスコ湾に至る陸路の全行程に参加した唯一の修道士だった[2]。
ポルトラやクレスピの一行は、1770年の第2回の探検でも陸路をモントレーまで行った。そこで海路を来たセラと会い、一行はモントレーにプレシディオ(砦)とサン・カルロス・デ・ボロメオ伝道所を築いた(伝道所は翌年近くのカーメルへ移転)。これ以降、クレスピは没するまでサン・カルロス・デ・ボロメオ伝道所にあった。
クレスピは、1772年のペドロ・ファヘスのセントラル・バレー探検にも参加した。1774年のフアン・ホセ・ペレス・エルナンデスの探検にも参加し、海路を今のアラスカにあたる地点まで北上した。
1782年に没し、ミッション・サン・カルロス・デ・ボロメオに附属する墓地に埋葬された[3]。