フィリップ・オットー・ルンゲ
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スウェーデン領ポンメルンのヴォルガストの生まれ。ドイツの東北端に位置し、ポーランド語名のヴォウォゴシチ Wołogoszcz という名前もある。
親の仕事を継いで当初商人になったが、画家になりたいとの希望を捨てきれず、コペンハーゲンのデンマーク王立美術院(1799年-1801年)でイエンス・ユールに学び、その後ドレスデン(1801年-1804年)に移り、ドイツのロマン主義絵画を代表する画家のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒや詩人のルートヴィヒ・ティークと知り合った。
ティークを通してそのほかのロマン主義者の仲間と面識をえ、またヤーコプ・ベーメの著作に親しんだ。1804年、彼はドレスデンの商人の娘、パウリーナ・バセンゲと結婚。彼女はしばしば彼の絵のモデルを勤めた。結婚後、夫婦はハンブルクに移る。
作品とその特徴
ルンゲは、アカデミーの画家たちと対抗し、北方ロマン主義の最も重要な画家であったカスパー・ダーヴィト・フリードリヒと並び称された。フリードリヒからはドレスデン絡みの人脈で、好感を持って接してもらっていたらしい。彼はフリードリヒと違って人物描写に積極的に取り組み、なかでも子どもの肖像画にかけては名声を博した。
ティークのフランツ・シュテルンバルトの放浪遍歴をテーマにした芸術家小説から着想を得て、彼は、「風景」を巨大な神聖文字(ヒエログリフ)、つまり隠喩や象徴として描くという構想を生み出し、その作品化されたものが、たとえば、「朝」についての二つの作品、「アリオンの航海」、「さまざまな時間」などになった
