フラワーショウ
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メンバー
- 浪曲師・吉田天洋の娘、6歳で初舞台。吉田奈良千代門下で修行を積み吉田駒千代を名乗る。長じて36歳で西川ヒノデに誘われ、歌謡浪曲カルテットの『西川ヒノデショウ』に加入、ヒノデと結婚して二代目西川サクラになり、夫婦漫才『西川ヒノデ・サクラ』(第二期)で数年間活動。
- ヒノデとの離婚を期に、自らのトリオ『フラワーショウ』で独立。浪曲で鍛えた喉で聴かせ、永年大看板を張るが、次第に仕事が減ってきてリーダーとしての責任を感じた末に鬱病をこじらせ、1989年5月に琵琶湖で入水自殺。享年61。
- 1961年に西川ヒノデの門下となる。1年程修行し後にぼたんの養女となる。1962年10月神戸松竹座で初舞台。ぼたん亡き後もフラワーショウの看板を守った。テンポのいいしゃべくりが特徴。
- 2006年10月に肝不全のため死去、享年70。
- 浪曲師・杉原五月の娘。初代日吉川秋斎に預けられ、13歳で島川八代名の名で初舞台。日吉川系の『ジョウサンズ』ではなく、フラワーショウの立ち上げに参加した。1966年脱退し島川あゆみの名で東五九童の相方を務めたが、結婚を機に廃業した。享年75。
沿革
ぼたんは、ミナミでギター流しをしていたところを「西川ヒノデショウ」のヒノデにスカウトされ、カルテットに加入。『Wヤング』(第一期)は弟弟子に当る。ヒノデとの結婚後は夫婦コンビ「西川ヒノデ・サクラ」(第二期)で活動するが、離婚を期に独立。
「タイヘイトリオ」や「宮川左近ショー」らの浪曲漫才トリオブームを追って、ばら、あやめを誘って1961年10月に自らのトリオ、フラワーショウを神戸松竹座で旗揚げした。
若干のメンバーチェンジはあったものの、歌謡浪曲を下敷きに新しい音曲漫才の型を確立し、後に続く「ジョウサンズ」「ちゃっきり娘」らと舞台を永らく賑やかす。
1989年にリーダーのぼたんが自殺した後はゆりとばらのコンビ「フラワーショウ ゆり・ばら」として再出発したが、2006年のばらの死去に伴い自然消滅。そのちょうど20年後の2026年にゆりが死去し、フラワーショウはサポートメンバーのらんを除いて全員鬼籍に入った。
メンバー構成の変遷は以下の通り。
ぼたん・ばら・あやめ→ぼたん・ばら・ゆり(一時期ゆりがらんに交代)→ばら・ゆり(ぼたんの自殺に伴いゆりとばらのコンビに)→ばらの死去に伴い自然消滅
レコード
- 男のみち/義理のしがらみ(ローオンレコード、RR-5。「フラワーショー[注釈 1]」名義)
- 「男のみち」は歌:華ゆり、三味線:華ぼたん。「義理のしがらみ」は歌:華ばら。
- 「男のみち」をA面としたもの、「義理のしがらみ」をA面としたものの2種がある。
- 女の舞台/幻のブルース(ローオンレコード、RH-80。「フラワーショー」名義)
- おんな別れ雨/何考えてんの(ローオンレコード、RAB-101。「華ばら」名義)
- 帰っておいで/あたしが悪いんだよ(ローオンレコード、RAB-107。「華ばら」名義)
これら計8曲は、下記参考資料『ローオン歌謡列伝I・II』で聞くことができる。
出演番組
受賞歴
弟子
- 麻里美々 - 麻理奈々(中田ダイマルの娘)の元相方
参考文献・資料
- 「現代上方演芸人名鑑」(1980年、少年社)
- 「ローオン歌謡列伝I・II」(2011年、テレビランド/P-VINE、PCD-25122・25136)
脚注
外部リンク
- 『フラワーショウ ゆり・ばら』時代の公式プロフィール (Web Archive)