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フランキー・ベルコーテレン

ベルギーのサッカー選手、指導者 From Wikipedia, the free encyclopedia

フランキー・ベルコーテレン(Franky Vercauteren、1956年10月28日 - )は、ベルギー出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード(左ウイング)。選手時代はベルギー代表であり、監督としてもベルギー代表監督を務めた。

本名 フランソワ・ベルコーテレン
François Vercauteren
愛称 The Little Prince
ラテン文字 Franky VERCAUTEREN
概要 フランキー・ベルコーテレン, 名前 ...
フランキー・ベルコーテレン
名前
本名 フランソワ・ベルコーテレン
François Vercauteren
愛称 The Little Prince
ラテン文字 Franky VERCAUTEREN
基本情報
国籍 ベルギーの旗 ベルギー
生年月日 (1956-10-28) 1956年10月28日(69歳)
出身地 シント=ヤンス=モレンベーク
身長 174cm
選手情報
ポジション FW
ユース
1963-1975 ベルギーの旗 アンデルレヒト
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1975-1987 ベルギーの旗 アンデルレヒト 367 (93)
1987-1990 フランスの旗 ナント 78 (19)
1987-1990 フランスの旗 ナントB 13 (4)
1990-1993 ベルギーの旗 モレンベーク 50 (4)
通算 508 (120)
代表歴
1977-1988 ベルギーの旗 ベルギー 63 (9)
監督歴
1993-1994 ベルギーの旗 ブライネ (ユース)
1994-1997 ベルギーの旗 メヘレン (ユース)
1997-1998 ベルギーの旗 メヘレン
1998-2005 ベルギーの旗 アンデルレヒト (コーチ)
1998-1999 ベルギーの旗 アンデルレヒト (暫定)
2005-2007 ベルギーの旗 アンデルレヒト
2009 ベルギーの旗 ベルギー代表
2009-2011 ベルギーの旗 ヘンク
2011-2012 サウジアラビアの旗 アル・ジャジーラ
2012-2013 ポルトガルの旗 スポルティングCP
2014 ベルギーの旗 メヘレン
2014-2016 ロシアの旗 クリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ
2017-2018 ベルギーの旗 サークル・ブルッヘ
2021- ベルギーの旗 ロイヤル・アントワープ
1. 国内リーグ戦に限る。
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経歴

選手経歴

クラブ

RSCアンデルレヒトの下部組織出身。1975年のKRCメヘレン(英語版)戦で、Gilbert Van Binstとの交代でトップチームデビューした。デビュー当初は負傷が続き、1975年10月と1976年1月に手術を行なっている。1975-76シーズンのUEFAカップウィナーズカップでは、準々決勝でレクサムFC(ウェールズ)を、準決勝でFSVツヴィッカウ(東ドイツ)を、決勝でウェストハム・ユナイテッドFC(イングランド)を破って優勝した。1976年のUEFAスーパーカップではUEFAチャンピオンズカップ王者のバイエルン・ミュンヘン(西ドイツ)を破って優勝した。1976-77シーズンのUEFAカップウィナーズカップでも決勝に進出したが、ハンブルガーSV(西ドイツ)に敗れて優勝を逃した。1977-78シーズンの同大会では3シーズン連続の決勝進出を果たし、決勝でFKアウストリア・ウィーン(オーストリア)を破って2シーズンぶりの優勝を決めた。1978年のUEFAスーパーカップではリヴァプールFC(イングランド)を破っている。1981-82シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグに出場してベスト4となり、1982-83シーズンにはUEFAカップで優勝。1983-84シーズンのUEFAカップでも決勝に進出したが、トッテナム・ホットスパーFC(イングランド)にPK戦の末に敗れた。1984-85シーズンはUEFAカップでベスト8、1985-86シーズンはUEFAチャンピオンズカップで準優勝、1986-87シーズンはUEFAチャンピオンズカップでベスト8となり、ベルコーテレン在籍下のアンデルレヒトは6シーズン連続で欧州カップ戦のベスト8以上の成績を挙げた。1981年から1987年にはベルコーテレンがキャプテンを務めたが、この黄金時代のアンデルレヒトにはアリー・ハーン、プレーメーカーのエンツォ・シーフォ、ジョルジュ・グルンなどが在籍していた。アンデルレヒトではUEFAカップウィナーズカップで2回、UEFAカップで1回、UEFAスーパーカップで2回優勝しており、計5個の欧州カップ戦タイトルを獲得した。また、国内大会では欧州カップ戦ほどの好成績を挙げられなかったが、ベルギー・カップで2回、ジュピラーリーグで4回、ベルギー・スーパーカップで2回優勝している。

1987年にはフランス・ディヴィジョン・アン(1部)のFCナントに移籍した。1970年代から1980年代半ばまでのナントはフランス屈指の強豪であり、この時期に4回のリーグ優勝を果たしていたが、1980年代後半には成績に翳りが見え、ベルコーテレンが加入してからの3シーズンは10位、7位、7位という成績に終わった。しかし、ベルコーテレン自身は2回アシスト王に輝いている。1990年にベルギーに帰国してRWDモレンベークに加入し、1993年までプレーした。

代表

ベルギー代表としては、スペインで開催された1982 FIFAワールドカップ、フランスで開催されたUEFA欧州選手権1984、メキシコで開催された1986 FIFAワールドカップに出場。通算63試合に出場して9得点を記録した。

1977年11月16日、北アイルランド戦 (3-0) でベルギー代表デビューした。イタリアで開催されたUEFA欧州選手権1980でベルギー代表は準優勝しているが、ベルコーテレンは出場メンバーに選出されていない[1]。1982 FIFAワールドカップの1次リーグではアルゼンチン、ハンガリー、エルサルバドルと同組となったが、前回大会優勝国でありディエゴ・マラドーナを擁したアルゼンチン、エルサルバドル戦で1試合最多得点(10点)を記録したハンガリーを抑えてグループ首位となった。2次リーグではポーランド、ソビエト連邦と同組となり、2連敗で大会敗退となった。UEFA欧州選手権1984のグループリーグでは、優勝候補筆頭のフランス、デンマーク、ユーゴスラビアと同組となった。初戦のユーゴスラビア戦には2-0で勝利したが、ミシェル・プラティニ擁するフランスには0-5で大敗。グループリーグ最終戦のデンマーク戦はフランスに次ぐグループ2位決定戦となり、ベルギーが39分までに2点を先行したが、40分以降に3失点して逆転負け。3回目の出場にして初のグループリーグ敗退となった。1986 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではプレーオフに回ったが、オランダとのライバル対決を制して本大会出場権を獲得した。グループリーグでは4ヶ国中3位だったが、各組3位チームの中でもっとも良い成績を残して決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント1回戦ではソビエト連邦を延長の末に破り、準々決勝ではスペインをPK戦の末に破ったが、準決勝では結果的に優勝するアルゼンチンに敗れた。3位決定戦でもフランスに敗れたが、同国史上最高の4位という成績を残した。

指導者経歴

現役引退後の1993年、ブラバン・ワロン州にある小規模クラブ、CSブライネのユースチーム監督に就任した。1994年にはKVメヘレンと契約し、1994年から1997年にはユースチーム監督、1997年から1998年にはトップチーム監督を務めた。1997-98シーズン終了後、古巣RSCアンデルレヒトのアシスタントコーチに就任した。1998-99シーズン序盤のアンデルレヒトは18位と低迷し、アリー・ハーン監督が退任。ベルコーテレンとJean Dockxが共同で暫定監督に就任した。ライバルのスタンダール・リエージュ戦に6-0で、KRCヘンク戦に5-2で勝利するなどし、両暫定監督はクラブを欧州カップ戦出場権圏内まで押し上げた。1999年にはエメ・アンテュニスが正式な監督に就任し、ベルコーテレンは再びアシスタントコーチに戻った。アンテュニス監督の後任にはチェコ人のウーゴ・ブルースが就任したが、2005年2月に解任され、ベルコーテレンがトップチーム監督に就任した。2004-05シーズン、2005-06シーズンとジュピラー・リーグ2連覇を達成。2006-07シーズン序盤には勝ち点が伸び悩み、11月までに首位に勝ち点7を付けられたことから、監督・クラブ双方合意の上で11月12日に職を離れた。ベルコーテレンの下でアシスタントコーチを務めていたアリエル・ヤコブスが後任監督に就任している。

2009年4月、ベルギー代表のレネ・バンデレイケン監督が成績不振によって解任され、ベルコーテレンが暫定監督に就任[2]。5月下旬に日本で行なわれたキリンカップサッカーのチリ戦 (1-1) が初采配試合となったが、日本戦 (0-4) に大敗して3ヶ国中2位タイに終わった。7月にはディック・アドフォカートの正式な監督就任が発表され、ロシア・プレミアリーグの2009年シーズン終了まではベルコーテレンが暫定的に指揮を執るはずだったが、同年9月9日のアルメニア戦に敗れた後にベルコーテレン監督が暫定監督を辞任したため、アドフォカートは当初の予定よりも3ヶ月早く正式監督に就任した。

2009年12月3日、ハイン・ファンハーゼブロウク監督の後任としてKRCヘンク監督に就任した[3]。2010-11シーズンのレギュラーシーズンはアンデルレヒトに次ぐ2位だったが、プレーオフの成績でアンデルレヒトを上回り、最終戦のスタンダール・リエージュ戦に引き分けてリーグ優勝を決めるとともに[4]、UEFAチャンピオンズリーグ本選出場権を獲得した。2011年夏のベルギー・スーパーカップではスタンダールに勝利して初優勝を飾った。

2011年8月8日、サウジアラビアのアル・ジャジーラ・クラブ監督に就任した。2012年3月11日、アル・ジャジーラはベルコーテレンとの契約解除を発表し、退任の背景に選手との不仲があるとした。同日には後任監督にカイオ・ジュニオールが就任している。

2012年10月、リカルド・サ・ピント監督の後任としてポルトガル・プリメイラ・リーガのスポルティングCP監督に就任。古巣ヘンクとの試合(UEFAヨーロッパリーグ)が初采配試合となった。2013年1月7日に退任した。

2014年1月5日、KVメヘレンの監督に復帰したが、4ヶ月後の5月5日に退任した。

2014年夏、クリリヤ・ソヴェトフ・サマーラの監督に就任。ロシア2部リーグで迎えた2014-15シーズンは優勝し、チームを1部昇格に導いた。

2017年、ベルギー2部のサークル・ブルッヘの監督に就任。

タイトル

選手時代

アンデルレヒト

指導者時代

アンデルレヒト
ヘンク
クリリヤ・ソヴェトフ・サマーラ

脚注

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