ブラッド・フルマー
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 出身地 | カリフォルニア州カリフォルニア州 |
| 生年月日 | 1975年1月17日(50歳) |
| 身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 185 lb =約83.9 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 一塁手 |
| プロ入り | 1993年 ドラフトモントリオール・エクスポズ2巡目 |
| 初出場 | 1997年9月2日 ボストン・レッドソックス戦 |
| 最終出場 | 2004年7月24日 オークランド・アスレチックス戦 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
| |
ブラッド・フルマー (Bradley Ryan Fullmer :ブラッドリー・ライアン・フルマー、1975年1月17日 - ) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手である。ポジションは内野手(一塁手)、外野手(左翼手)であるが、指名打者 (DH) での出場試合数が最多(465試合)であった。
1993年6月3日、モントリオール・エクスポズからドラフト2巡目で指名を受けた。そして、約3ヵ月後の9月8日に契約を結んだ[1]。同年と1994年はマイナーリーグも含め、試合に出場しなかった。
1995年、アルバニー・ポールキャッツ (A級) でプロデビューを果たした。この年は123試合に出場し、打率.323・8本塁打・67打点・10盗塁という成績を残した。
1996年は、ウェストパームビーチ・エクスポズ (A + 級) とハリスバーグ・セネターズ (AA級) で計126試合に出場し、打率.297をマークした。
1997年、セネターズとオタワ・リンクス (AAA級) の2チームでプレイ。118試合に出場して打率.303・22本塁打・79打点・7盗塁という好成績を残した。同年9月2日の対ボストン・レッドソックス戦で、代打としてメジャーデビューを果たした。この打席では右中間スタンドに2点本塁打を叩き込み、初打席本塁打を記録した[2]。最終的には打率.300・3本塁打・8打点という打撃成績を記録した。
1998年はエクスポズのファーストのレギュラーに定着し、140試合で44二塁打・2三塁打・13本塁打を放ち、長打を量産した。シーズンオフのルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では、5位にランクインした (同年の受賞者はケリー・ウッド) [3]。打撃面では好成績をマークしたが、守備面では137試合の一塁守備で、ファーストとしてリーグ最多の17失策・守備率.985という成績に終わり、拙守を呈した。
1999年、100試合に出場したが、1ケタ本塁打に終わった。守備面では、守備率を.991まで改善させた。
2000年3月16日に、大型トレードでトロント・ブルージェイズに移籍した[1]。アメリカン・リーグに移籍した事で、この年から指名打者としての出場がメインになった。シーズン通じて打撃好調を維持し、自身初の30本塁打・100打点のラインをクリアした。チームではカルロス・デルガード、トニー・バティスタ (以上41本)、ホゼ・クルーズ (31本) の3人と共に「30本塁打カルテット」を構築した[4]。
翌2001年、自己最多の146試合に出場したが、前年から大幅に打撃成績を落とした。
2002年1月17日、自身2度目のトレードでアナハイム・エンゼルスに移籍した[1]。エンゼルスでは打率.289・19本塁打・59打点という打撃成績をマークし、走塁面でも自己ベストとなる10盗塁を決めた。ポストシーズンでは、3ステージで計12試合に出場し、打率.294・1本塁打・5打点・2盗塁という成績を記録、チームのワールドシリーズ制覇に貢献した。シーズンオフにFAとなったが、2003年1月6日に再契約を結んだ[1]。
2003年は、ルーキーイヤー以来となる.300以上の打率をマークしたが、ヒザの故障で故障者リスト (DL) 入り影響により、63試合の出場に留まった[5]。10月15日にエンゼルスから解雇されたが、12月18日にテキサス・レンジャーズと契約を結んだ[1]。
2004年、レンジャーズで76試合に出場して11本塁打を放ったが、低打率 (.233) に留まった。11月1日にFAとなり、2005年7月7日にシカゴ・ホワイトソックスと契約を結んだが[1]、2004年を最後にメジャーで試合に出場する事はなかった。2005年オフにはNPBのオリックス・バファローズがフルマーの入団テストを行ったが[6]、最終的には獲得を見送った[7]。