ブレット・トムコ
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | オハイオ州ユークリッド |
| 生年月日 | 1973年4月7日(52歳) |
| 身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 220 lb =約99.8 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1995年 ドラフト2巡目(全体54位)でシンシナティ・レッズから指名 |
| 初出場 | 1997年5月27日 |
| 最終出場 | 2011年5月24日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ブレット・ダニエル・トムコ(Brett Daniel Tomko, 1973年4月7日 - )は、アメリカ合衆国・ オハイオ州ユークリッド出身(カリフォルニア州サンディエゴ育ち)の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
父親のジェリー・トムコはNBA・クリーブランド・キャバリアーズの名付け親である[1]。
プロ入りとレッズ時代
1995年のMLBドラフトでシンシナティ・レッズから2巡目(全体54位)指名を受け、プロ入り。
1997年5月27日にメジャーデビューを果たし、同年は先発ローテーションに定着して規定投球回不足ながら11勝を挙げる。
1998年は防御率5点台ながら投球回は210.2イニングを数え、13勝を挙げた。また、オフには日米野球で来日した。
1999年は開幕投手を務めた。シーズン全体では規定投球回に達したが、途中で先発陣から外れるなど期待外れの成績に終わった。
マリナーズ時代
2000年2月10日にケン・グリフィー・ジュニアとのトレードで、マイク・キャメロンらとともにシアトル・マリナーズへ移籍。同年はロングリリーフやスポット先発として起用されて7勝を挙げ、ポストシーズン進出に貢献。
2001年は、チームが116勝する中、シーズンの大半をAAA級タコマ・レイニアーズで過ごすことを強いられた。それでも、タコマでは10勝を挙げるなど格の違いを見せつけた。
パドレス時代
2001年12月11日に3対3のトレードで、サンディエゴ・パドレスへ移籍。
2002年は4年ぶりの二桁勝利(10勝)と200イニング超えを果たし、復活。
カージナルス時代
2002年12月15日にルーサー・ハックマン他1選手とのトレードで、セントルイス・カージナルスへ移籍。
ジャイアンツ時代
2004年は、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した。この年はは3年連続二桁勝利となる11勝を挙げた。
2005年は8勝15敗と大きく負け越す。
ドジャース時代
2005年12月21日にロサンゼルス・ドジャースと2年契約を結ぶ。
2006年にドジャース入りして以降、毎年のように所属球団が異なるようになり、起用法もロングリリーフやスポット先発が中心になる。
パドレス復帰
2007年9月4日に古巣のパドレスと契約を結ぶ。
ロイヤルズ時代
2008年1月20日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約を結んだ。6月12日にDFAとなり、20日に解雇された。
3度目のパドレス時代
2008年6月27日にパドレスと契約を結ぶ。9月1日に解雇される。
ヤンキース時代
2009年1月13日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。スプリングトレーニングには、招待選手として参加した[2]。開幕を、傘下のAAA級スクラントン・ウィリクスバリ・ヤンキースで迎えた。5月9日にメジャーに昇格した。7月21日にセルジオ・ミトレと登録する為にDFAとなった。7月29日に解雇された。
アスレチックス時代
2009年8月17日にオークランド・アスレチックスと契約を結んだ。9月15日のテキサス・レンジャーズ戦で通算100勝を達成している。
2010年は、傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツでリハビリを行った。
レンジャーズ時代
2011年2月19日にレンジャーズと契約を結んだ[3]。開幕を傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスで迎えたが、4月20日にメジャーに昇格した[4]。2年振りにメジャーのマウンドに上がった。5月27日にAAA級ラウンドロックに降格した。オフにFAとなった[5]。
レッズ傘下時代
2012年2月19日に古巣のレッズとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級ルイビル・バッツでプレーしたが、8月2日に解雇された。
ダイヤモンドバックス傘下時代
2012年8月4日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。傘下のAA級モービル・ベイベアーズへ配属された。8月24日に傘下のAAA級リノ・エーシズに昇格した。オフにFAとなった。
独立リーグ時代
2013年3月にアトランティックリーグのヨーク・レボリューションと契約を結んだ。8月に引退し、古巣のロイヤルズのスカウトに就任した[6]。
現役復帰とマイナー時代
2014年3月14日にロイヤルズとマイナー契約を結び、現役復帰した[7]。傘下のAAA級オマハ・ストームチェイサーズでプレーしていたが、6月3日に解雇された。
ロッキーズ傘下時代
2014年6月10日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスでプレーした。