ウィル・ホワイト
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 |
ニューヨーク州ケイトン |
| 生年月日 | 1854年10月11日 |
| 没年月日 | 1911年8月31日(56歳没) |
| 身長 体重 |
5' 9.5" =約176.5 cm 175 lb =約79.4 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投両打 |
| ポジション | 投手 |
| 初出場 | 1877年7月20日 |
| 最終出場 | 1886年7月5日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ウィリアム・ヘンリー・ホワイト(William Henry White, 1854年10月11日 - 1911年8月31日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ケイトン出身のプロ野球選手(投手)。右投両打。
ニックネームはWhoop-La。40勝を3回挙げるなど活躍した。兄のディーコン・ホワイト、従兄のエルマー・ホワイトも共に野球選手である。
1877年にボストン・レッドキャップス(後のアトランタ・ブレーブス)でメジャーデビュー。3試合に先発し2勝を挙げる。
1878年にはシンシナティ・レッズに移り、468.0回を投げ、防御率1.79、30勝、169奪三振を挙げるなど大躍進。
1879年もフル回転し、43勝、232奪三振、75試合に先発し75完投、史上最多の680.0投球回を投げ抜きながら防御率1.99と、多くの部門で自己最高を記録した。
1880年は防御率が前年に比べ0.15悪くなっただけだったが、打線の援護に恵まれず42敗を喫する。しかしそれ以外の部分では前年に次ぐ水準の記録を残した。翌1881年は、新規参入したデトロイト・ウルバリンズに移籍したが、2試合にしか登板できなかった。
1882年、シンシナティ・レッドストッキングス(後のシンシナティ・レッズ)に移籍したホワイトは復活を成し遂げる。40勝12敗でリーグ最高の勝率.769、自己最高の防御率1.54。翌1883年も43勝、さらには3年ぶりの年間500投球回も記録。1884年も34勝と、投手陣の柱としてチームを引っ張った。
1885年は30歳を迎える年となり、これまでのような鉄腕ぶりは影を潜めるようになる。投球回は300を切り(それでも33試合完投)、そして1886年7月5日が生涯最後の登板となった。実動年数は10年だった。