競走馬としてはフランスで[2]短距離馬として活躍し、重賞を2勝(セーネワーズ賞(英語版)、シェーネ賞(英語版))した。
1975年の競走馬引退後日本に輸出され、北海道の浦河スタリオンセンターで種牡馬となった[3]。当初は種牡馬として過大な期待を抱かれていなかったものの、種付けを開始した1976年に全弟のブラッシンググルームがヨーロッパでG1を4連勝する活躍を見せ、種牡馬としての血統的価値が急騰した。しかし翌1977年2月に[2]2年目の種付けを行うことなく急死した。
競走馬となった産駒は初年度の28頭であったが[4]、その中から中央競馬の重賞優勝馬が2頭、地方競馬の重賞優勝馬が2頭出現した。