ペドロ・デ・スニガ
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第7代ヌエバ・エスパーニャ副王を務めたアルバロ・マンリケ・デ・スニガの子としてセビリアに生まれる[2][3]。その後はスペイン領東インド(現在のフィリピン)に移住し[1][2]、1618年(元和4年)にマニラから来日する[2][3]。しかし当時の日本はキリシタン追放令下にあったため[1][2]、翌1619年(元和5年)に再度マニラに戻る[2][3]。
それでもスニガは絶望せず、翌1620年(元和6年)にはドミニコ会宣教師のルイス・フロレスらと共に身分を隠蔽して平山常陳が乗船する朱印船で日本への再入国を企てた[1][2]。しかし日本への来航途中の台湾沖において[2]、英蘭連合艦隊に捕縛され平戸のオランダ商館に送還された[2][3]。その後は2年間同地に拘禁刑に処され[1][2]、壱岐に投獄された後に宣教師であることを白状すると火刑に処された[2][3]。この事件は平山常陳事件といい[2][3]、後の元和の大殉教につながるきっかけとなった[2][3]。
脚注
| 聖アウグスチノ修道会士 | |
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| 伝道施設 | |
カトリックの来日宣教師(1549年 - 18世紀) | |
|---|---|
| 日本のキリスト教史 | |
| イエズス会 | フランシスコ・ザビエル · コスメ・デ・トーレス(1549) · ルイス・デ・アルメイダ(1552) · ガスパル・ヴィレラ(1556) · ルイス・フロイス(1563) · フランシスコ・カブラル (1570) · オルガンティノ(1570) · ガスパール・コエリョ(1572) · ジョアン・ロドリゲス(1577) · グレゴリオ・デ・セスペデス(1577) · アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(1579) · ペドロ・ゴメス(1583) · ジョバンニ・ニコラオ(1583) · カルロ・スピノラ(1602) · セバスティアン・ヴィエイラ(1604) · クリストヴァン・フェレイラ(1609) · ディエゴ・コスタ(1609) · ジュゼッペ・キアラ(1643) |
| フランシスコ会 | ジェロニモ・デ・ジェズス(1594) · ルイス・ソテロ(1603) |
| ドミニコ会 | ディエゴ・コリャード(1619) |
| その他 | ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ(1708) |
| 関連事項 | |
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| 全般 | |
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| 国立図書館 | |
| 人物 | |
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