ホクトビーナス
From Wikipedia, the free encyclopedia
1986年3月14日北海道浦河町の斎藤英牧場で、父マルゼンスキー、母ホクトヒショウの5番仔として生まれる。血統的には芦毛となっているが、黒鹿毛のように真っ黒な馬体であった[2]。
1989年1月新馬戦(東京ダ左1400m)でデビュー。前年の1988年に半兄ホクトヘリオスが、京王杯AHに優勝したほか、スプリンターズSでダイナアクトレスの3着、安田記念でニッポーテイオーの4着、マイルCSでサッカーボーイの2着など、GⅠ戦線で活躍していたことや、馬体の良さを買われ、1.8倍の1番人気となった。レースでは、2着キャロットスキーに3馬身半差、3着スロクマゼランには大差をつけて快勝した。このレースは鞍上・柴田善臣のJRA通算100勝目でもあった[3]。
翌2月には400万下条件戦の、うぐいす賞(東京ダ左1600m)に出走し、またも1.7倍の圧倒的1番人気となったが、2着リアルサファイアに1馬身1/4差をつけて勝利し、2連勝となった[注釈 1][4]。
3戦目は、4月に桜花賞に出走した。同レースには収得賞金の関係から抽選による出走であり、過去2戦がダートによる勝利で桜花賞が初めての芝であったことや、他の有力馬と違ってオープン以上のステップレースを勝っていないことなどから[注釈 2]6番人気の評価だった。しかし、厩務員の中野馨が「最高の状態。勝つつもりでいる」とコメントするなど体調は非常に良かった。1番人気は、単枠指定武豊騎乗のシャダイカグラが2.2倍、2番人気は、田原成貴騎乗のアイドルマリーが7.9倍で、ホクトビーナスは9.3倍の6番人気となっていた[注釈 3][5]。
レースでは、当時絶対的に不利と言われていた阪神1600m大外枠[注釈 4]からのスタートとなったシャダイカグラが、出遅れて後方からの競馬となり[注釈 5]、最後ので直線で先に抜け出したタニノターゲットをかわしたホクトビーナスが一時独走状態になったが、ゴール寸前でシャダイカグラにクビ差交わされ、タイム差なしの2着に敗れた[注釈 6][7]。
ホクトビーナスに騎乗した柴田善臣はシャダイカグラをマークし同馬が後方から進出するのを見てスパートのタイミングを遅らせる工夫を見せたが及ばず、柴田はレース後に鞭を叩きつけるほど悔しがった[8][注釈 7]。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[10]およびJBISサーチ[11]に基づく。
| 競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 | 枠 番 | 馬 番 | オッズ (人気) | 着順 | タイム (上り3F) | 着差 | 騎手 | 斤量 | 1着馬(2着馬) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1989.1.28 | 東京 | 4歳新馬 | ダ1400m(良) | 11 | 8 | 10 | 1.8(1人) | 1着 | 1:27.0(38.9) | -0.6 | 柴田善臣 | 53kg | (キャロットスキー) | |
| 2.19 | 東京 | うぐいす賞 | 400 | ダ1600m(重) | 11 | 1 | 1 | 1.7(1人) | 1着 | 1:38.6(39.0) | -0.2 | 柴田善臣 | 53kg | (リアルサファイヤ) |
| 4.9 | 阪神 | 桜花賞 | GI | 芝1600m(稍) | 18 | 2 | 4 | 9.3(6人) | 2着 | 1:37.5(37.9) | 0.0 | 柴田善臣 | 55kg | シャダイカグラ |
繁殖牝馬時代
産駒は初仔のホクトフィーバスが短距離戦線でオープン特別を4勝する活躍を見せ、3番仔のホクトペンダントは報知杯4歳牝馬特別で2着となり桜花賞への母子2代にわたって出走を果たす(結果は5着)など活躍した。しかしホクトビーナスはホクトペンダントが活躍を見せた時期に出産時の事故で死亡。その影響からホクトペンダントは急きょ引退し、ホクトビーナスの後継として繁殖牝馬となった。現在、ホクトビーナスの血は繁殖牝馬となったホクトペンダントと最後の仔ホクトスプライト(5番仔)が伝えており、ホクトペンダントの仔のビーナスラインは重賞の函館スプリントステークスを優勝した[12]。
産駒一覧
| 生年 | 馬名 | 性 | 毛色 | 父 | 馬主 | 管理調教師 | 戦績 | 主な勝利競走 | 供用 | 出典 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初仔 | 1991年 | ホクトフィーバス | 牡 | 鹿毛 | ミルジョージ | 金森森商事 | 美浦・中野隆良 | 29戦8勝 | [13] | ||
| 2番仔 | 1992年 | ホクトフロンティア | 黒鹿毛 | オウインスパイアリング | 金森森商事 →佐々木勇 | 14戦2勝 | [14] | ||||
| 3番仔 | 1993年 | ホクトペンダント | 牝 | 鹿毛 | パークリージェント | 金森森商事 | 8戦2勝 | (繁殖牝馬) | [15] | ||
| 4番仔 | 1995年 | ホクトブレーヴ | 牡 | 黒鹿毛 | ダンシングブレーヴ | (不出走) | [16] | ||||
| 5番仔 | 1996年 | ホクトスプライト | 牝 | 鹿毛 | トニービン | 23戦3勝 | (繁殖牝馬) | [17] | |||
エピソード
- 主戦騎手であった柴田善臣は、後に自著で「(ホクトビーナスの桜花賞は)今の自分が乗っていれば、勝てた勝負だね。あのときはほんのちょっと、残り3ハロンとまではいかなくても、570メートルくらいで若さが出た。詰めが甘かった。」と言うほど悔いの残るものであった、と語っている。[18]