マカオにおける死刑

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マカオにおける死刑(マカオにおけるしけい)では、マカオにおける死刑制度の歴史と現状について述べる。

マカオでは、ポルトガル統治期に死刑が段階的に廃止され、現在の法制度上も死刑は存在しない。1995年制定のマカオ刑法典第39条は、「死刑は存在しない」こと、ならびに終身刑および無期限の自由剥奪刑を認めないことを定めている。1999年のマカオ返還後も、この原則は中華人民共和国マカオ特別行政区基本法の下で維持されている。[1][2]

マカオの死刑廃止は、返還後に新たに採用された政策ではなく、ポルトガル統治下で形成された刑事法秩序を継承したものである。1996年施行の刑法典第39条第1項は、死刑を否定するとともに、終身刑および無期限・不定期の自由剥奪刑も認めていない。返還後の基本法第29条は罪刑法定主義および無罪推定を、第40条は市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)などの継続適用を定めており、マカオの刑事法体系が中国本土とは別個に維持される法的基礎となっている。[1][2]

歴史

ポルトガル統治下での廃止

国際連合への提出文書によれば、ポルトガル本国の1867年7月1日法に基づく刑事・監獄改革は、1869年11月18日付『マカオ官報』第3号に掲載され、その第1条で「死刑は廃止された」と明記された。さらに1870年6月9日、海外領土全体において民事犯罪に対する死刑が廃止されていることを明確化し、同年8月22日付『マカオ官報』第34号に掲載された。[3]

同文書は、この結果として民事犯罪についての死刑はマカオで完全に廃止されたと説明している。また、軍事犯罪については、1911年のポルトガル共和国憲法が死刑および終身刑・無期限刑の導入を否定したこと、第一次世界大戦中に戦地の軍事犯罪について例外的に復活したものの、マカオでは適用されなかったこと、さらに1976年には軍事犯罪についても完全に廃止されたことが示されている。[3]

返還前夜の位置づけ

1999年のアムネスティ・インターナショナル報告書は、マカオの死刑廃止を同地域の法秩序の重要な特徴の一つとして位置づけている。同報告書は、ポルトガル統治下で形成された制度が返還後にも継続する見通しであったことを指摘し、死刑や死刑対象犯罪に関する引渡しの扱いを人権上の主要論点として挙げた。[4]

1995年刑法典

1995年11月14日、マカオ刑法典が承認された。同法第39条は「死刑は存在しない」と定め、さらに「自由を剥奪する刑罰または保安処分について、終身、無期限または不定期のものは存在しない」と規定している。この条文は、死刑廃止のみならず、終身刑の否定まで含めて、マカオの刑罰体系の基本的方向を示すものである。[1]

返還後の位置づけ

基本法との関係

1999年12月20日の返還後、マカオは中華人民共和国マカオ特別行政区となった。基本法第29条は、行為時法によらない処罰を否定し、刑事手続における早期裁判を受ける権利および無罪推定を定めている。第40条は、ICCPR、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約および国際労働条約のうちマカオに適用されていたものが引き続き効力を有すると規定している。これにより、返還後も死刑を採らない刑事法秩序と人権保障の枠組みが維持されることとなった。[2]

中国本土との相違

マカオでは死刑が刑罰体系から排除されているのに対し、中華人民共和国本土では死刑が法定刑として維持されている。そのため、死刑を認めないマカオの制度は、「一国二制度」の下で維持される法制度上の差異の一つとみなされる。[1][2]

引渡し・司法共助

返還前

国連提出文書は、当時マカオで適用されていたポルトガル憲法第33条第3項により、請求国法上で死刑が予定される犯罪については引渡しが禁止されていたと説明している。また、請求国で終身刑が科されうる場合も、代替措置の保障がなければ引渡しが認められないとしていた。[3]

アムネスティ・インターナショナルも、1999年報告書で、死刑対象犯罪に関する引渡しが返還期の主要な人権論点の一つであったと述べている。[4]

返還後

返還後の司法共助については、2006年法律第6号「刑事司法共助法」が基幹法となった。政府系資料や関連解説では、同法がマカオ特別行政区と他の国・地域との刑事司法共助を規律する枠組みとして位置づけられている。[5]

制度上の特徴

脚注

関連項目

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