マーティン・ブロデューア

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本名 マーティン・ピエール・ブロデューア
原語名 Martin Pierre Brodeur
愛称 マーティ
マーティン・ブロデューア
2007年
本名 マーティン・ピエール・ブロデューア
原語名 Martin Pierre Brodeur
愛称 マーティ
生誕 (1972-05-06) 1972年5月6日(53歳)
ケベック州モントリオール
身長 6 ft 2 in (1.88 m)
体重 216 lb (98 kg; 15 st 6 lb)
ポジション ゴールテンダー
キャッチ 左手
所属したチーム ニュージャージー・デビルス
セントルイス・ブルース
代表 カナダの旗 カナダ
NHLドラフト 1巡目 / 全体20位(1990年
ニュージャージー・デビルス
プロ選手期間 1991年 2015年
2018年殿堂入り

マーティン・ブロデューアMartin Brodeur, 1972年5月6日 - )は、カナダケベック州モントリオール生まれのプロアイスホッケー選手。ポジションゴールテンダー

NHL史上最年少でレギュラーシーズン300勝を挙げ、通算試合出場数、勝利数、完封数、セーブ数におけるNHL記録を持つ、万能で耐久力に優れた同世代を代表するゴールテンダーである。

生い立ち

モントリオールで生まれたマーティン・ブロデューアは、家族の中で最初のゴールテンダーではなく、彼の父デニスは、1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックのアイスホッケー競技銅メダルを獲得したカナダ代表チームのゴールテンダーだった。デニスは後にモントリオール・カナディアンズ公式写真家となり、幼いマーティンはよく父親と一緒に仕事に同行し、パトリック・ロワを感嘆の目で見守っていたが、7歳の時にコーチトーナメント出場のための控えゴールテンダーを募るまではフォワードとしてプレーしていた。

ジュニア

10代の頃にはトレーニングキャンプに参加し、標準的なバタフライポジションとよりダイナミックな直立姿勢を組み合わせたハイブリッドなゴールテンダースタイルを開発し、卓越したパックハンドリングスキルを得た。ウラディスラフ・トレチャクのゴールテンダー学校に通い、ソ連の伝説的な人物の助けでポジショニングを向上させた。1989-90シーズンには、ケベック・メジャージュニア・ホッケーリーグサンティアサント・レーザーでプレーし、リーグのオールルーキーチームに選ばれた。その夏にニュージャージー・デビルスは1990年のNHLエントリードラフトでブロデューアを全体20位で指名した。

プロ

ブロデューアは1993-94シーズンにデビルスにフルタイムで加入し、レギュラーシーズンで平均失点2位、セーブ率4位を記録し、チームをリーグ2位に導く原動力となった。ブロデューアはシーズンを通しての素晴らしいプレーにより、NHLの最優秀新人に贈られるカルダー記念賞をデビルスの選手として初めて受賞した。

デビルスはロックアウトで短縮された1994-95シーズンをリーグ9位で終えた後、ポストシーズンで好調を維持し、スタンレーカップ決勝ではデトロイト・レッドウィングススイープしてフランチャイズ史上初のスタンレーカップ優勝を果たした。1999-2000シーズン、ブロデューアはキャリア2度目の43勝を挙げ、プレーオフでの素晴らしいプレーでデビルスを2度目のスタンレーカップ優勝に導き、翌シーズンも連続して決勝に進出した。

2002-03シーズンには3度目のウィリアム・M・ジェニングス賞に加えて、ついにリーグ最優秀ゴールテンダーに贈られるヴェジーナ賞を受賞し、ハート記念賞の最終候補者にも残り、NHLファーストオールスターチームにも選ばれた。プレーオフでも好調で、7回のシャットアウトを達成し、チームに3度目のスタンレーカップ優勝をもたらした。翌シーズン、2年連続でヴェジーナ賞とジェニングス賞を受賞し、再びハート記念賞の最終候補とファーストチーム・オールスターに選ばれ、NHLオールスターゲーム先発ゴールテンダーとなった。

2006-07シーズン、デビルスは再びアトランティック・ディビジョンを制した。ブロデューアは48勝のNHL記録を樹立し、3度目のヴェジーナ賞を受賞し、3度目のファーストオールスターチーム選出を果たした。翌シーズンにはキャリア4度目のヴェジーナ賞を受賞した。

2009年3月17日にレギュラーシーズン通算552勝のNHL記録を達成、12月18日にNHLゴールテンダー史上最多の通算1,030試合目の出場を果たした。数日後には、NHL通算104回目のシャットアウトを達成し、不滅と考えられていたテリー・ソーチャックのレギュラーシーズン記録を更新した。そのシーズンはNHLで勝利(45勝)、完封試合(9試合)、出場試合数(77試合)でトップとなり、5度目のジェニングス賞を受賞し、デビルスを地区優勝に導いた。

2012年のプレーオフでは40歳で1試合を除き全てに先発出場し、チームをカップ決勝に導いた。2013-14シーズンが終了し、デビルスでの21シーズン目を迎えた後にフリーエージェントとなり、2014年11月にセントルイス・ブルースと契約を結び7試合に出場、2015年1月29日に引退を発表し、キャリア125試合目となった3-0の完封勝利で現役を終えた。

ブロデューアはレギュラーシーズン出場試合数(1,266)、勝利数(691)、完封試合数(125)のNHL記録を樹立し、12シーズン連続で30勝以上を記録し、うち40勝以上を史上唯一8シーズンで記録した。さらには、プレーオフ出場試合数(205)と勝利数(113)は歴代2位、24回の完封は歴代最多で、さらには、レギュラーシーズンで2ゴール45アシスト、プレーオフで1ゴール12アシストを挙げ、3ゴールはNHLのゴールキーパーとしては最多記録である。

代表歴

獲得メダル

2010年冬季オリンピックでのブロデューア
アイスホッケー
 カナダ
オリンピック
金メダル - 1位2002 ソルトレークシティ
金メダル - 1位2010 バンクーバー
世界選手権
銀メダル - 2位1996 オーストリア
銀メダル - 2位2005 オーストリア

国際大会でカナダ代表として定期的に選ばれており、アイスホッケー世界選手権では1996年と2005年のオーストリア大会に出場し銀メダルを獲得した。アイスホッケー・ワールドカップでは1996年2004年大会に参加し、2004年大会では全6試合中決勝を含む5試合に先発出場してチームは優勝し、大会オールスターチームに選ばれた。

1998年長野オリンピックでは3人目の控えとして出場機会はなかったが、2002年ソルトレークシティオリンピックのアイスホッケー競技ではカーティス・ジョセフの控えとして臨み、開幕戦の敗戦後に先発に指名された後は決勝まで先発ゴールテンダーを務め上げ、カナダ代表は金メダルを獲得した。2006年トリノ冬季オリンピックで先発に選ばれたが、チームは準々決勝で敗退した。2010年のバンクーバーオリンピックでは2試合でプレーし、チームは金メダルを獲得した。

プレーと影響

キャリアの大半で、相手チームのシュートや得点機会を制限してきたことで有名な守備システム、即ちジャック・ルメールコーチによって採用されたニュートラル・ゾーン・トラップの存在がある。殿堂入りゴールテンダーのケン・ドライデンも1970年代のモントリオール・カナディアンズで素晴らしい守備陣の恩恵を受けたが、彼は著書『ザ・ゲーム』の中で、「強い守備陣の存在はゴールテンダーのミスを許さないだけでなく、逆にプレッシャーを増大させる。ほぼ不可能なセーブを強いられることはないが、それ以外のセーブは必ず決めなければならず、そのためチームは自分に不用意な失点、プレーの緩慢さや不安定さに気を取られないことを要求していた。」と語っている。その気質はブロデューアに備わっており、悪い試合や悪い失点からすぐに立ち直り、それらに悩まされることなく必要な時にパックを止める集中力は称賛されていた。

パッドでゴールを塞ぎ、ゴール裏でパックを操作し、ポークチェックパスプレーができ、鋭いグローブ側の反射神経を持ち合わせたブロデューアは、シューターにとって予測不能な独自のハイブリッドスタイルを創り上げた。辛抱強く待ってシューターが先に動いてから反応するという従来の1対1の戦術は取らず、自ら主導権を握って、先に動いてでも、シューターの反応を促すというスタイルを取った。それでもプレーの先を読むことに非常に優れていたため、シュートを打つ選手に対して正対できる確率が高かった。「右サイドから同じシュートを3回打っても、彼は3回違うセーブを決めるだろう。」とオタワ・セネターズダニエル・アルフレッドソンは語っている。

実質的に3人目のディフェンスマンとなり、優れたハンドリングスキルでダンプインされたパックをすぐにディフェンディングゾーンの外に出すか、味方にパスを出すことで守備を助けた。これは、NHLがゴール裏に台形エリアを設置してゴールテンダーのパック操作を制限したブロデューア・ルールの採用につながった。

ゴールテンダーとして多くの記録を持つが、記録以上に印象的な面は、10年連続を含む12シーズンで70試合以上に出場するという並外れた耐久性である。ブロデューアはNHLの連続試合出場記録を持つグレン・ホールと並ぶ鉄人ゴーリーであり、堅実な積み重ねが多様なスキルを基にした独創性と偉大な記録を生んだと言える。これらのスキル開発は、ブロデューアが「第二の父親」と呼んでいたゴールテンダーコーチであるジャック・カロンとのパートナーシップによるところが大きく、彼は1990年のNHLドラフト20位指名とほぼ同時期にニュージャージーに到着して以降、ブロデューアのプレー全体の向上をを支えた。

詳細情報

脚注

外部参考リンク

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